No.2ベストアンサー
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伺候席(しこうせき)とは、江戸城に登城した大名、旗本が将軍に拝謁する順番を待っていた控席のこと。
殿席とも。伺候席は拝謁者の家格、官位、役職等により分けられており、大名家にとってその格式を表すものとして重視されていた。大名が詰める席には大廊下、大広間、『溜間』、帝鑑間、柳間、雁間、菊間広縁の七つがあり、それぞれに詰める大名は出自や官位を元に幕府により定められていた。ただし、役職に就任した場合は、その役職に対して定められた席(奏者番ならば芙蓉間、大番頭なら菊間等)に詰めた。大広間席、帝鑑間席、柳間席の大名は「表大名」といわれ、五節句や月次のみ登城した。
『溜間』
別名黒書院溜之間(くろしょいんたまりのま)。黒書院溜之間の通称を松溜(まつだまり)といい、これに詰める者を溜詰(たまりづめ)という。代々溜間に詰める大名家を定溜・常溜(じょうだまり)または、代々溜(だいだいたまり)といい、会津藩松平家、彦根藩井伊家、高松藩松平家の三家をいう。なお、一代に限り溜間に詰める大名家を飛溜(とびだまり)といい、伊予松山藩松平家、姫路藩酒井家、忍藩松平家などがある。また老中に永年在職し退任した大名が、前官礼遇の形で帝鑑間および雁間より一代限りで溜間詰格という形で末席に詰めることもあった。
初期の段階では定数は4~5名であり、重要事については幕閣の諮問を受けることとなっており、また儀式の際には老中よりも上席に座ることになっていたなど、非常に格式が高いものとされていた。江戸中期以降、飛溜の大名らも代々詰めるようになった。また、桑名藩松平家、岡崎藩本多家、庄内藩酒井家、越後高田藩榊原家の当主もほぼ代々詰めるようになり、結果として幕末には員数が15名近くになり、その希少性もあわせて、初期の趣旨は甚だ形骸化した。
井伊家は関ヶ原の役の功績より元々「溜(間)詰」の資格が与えられておりました。
以上、引用元は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BA%E5%80%99% …
No.1
- 回答日時:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BA%E5%80%99% …
ウィキの記事ですが、すでに参照されてました?
私も殿中における席次?くらいに思ってましたがいろいろあるんですね。
ウィキの記事ですが、すでに参照されてました?
私も殿中における席次?くらいに思ってましたがいろいろあるんですね。
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