プロが教えるわが家の防犯対策術!

故・筑紫氏の死に伴なってTVでは特番が報道され、
各キャスターはその死を惜しみ、最大限の賛辞を送っていました。

しかし、マスコミはこの故・筑紫氏を最大限に絶賛していましたが、
ネット世界では批判ばかりでした。
ブログランキングの政治・社会関係の上位のブログや
ネット掲示板などでは最大限の批判や罵詈雑言が延々と続いている有様。
2chでは、その死を喜ぶかのようなスレが30以上もたちました。
(ネットで彼の評価を調べてみてください。
 容易に彼のマスコミ人としての多くの批判が確認できます。)

立花隆は故・筑紫氏を日本最大のジャーナリスト」と評価しているそうですが、
ネットの世界では概ね日本を馬鹿にし腐った「日本最大級の売国奴」といったところです。

2ちゃんねる人口は約990万人以上。
書き込みをする人は500~800万人。
そして、30~40代が中心。
またブログ開設人口は7月段階で1500万人で、
ブログ訪問人口だけでは2000万人突破。
ネットの世論は、日本国民の世論のごく少数とも言えなさそうです。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0511/29/n …
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0811/13/n …

このように無視できないネット世論について考えてみますと、
故・筑紫哲也氏は、マスコミが絶賛するほどに、
国民には支持どころか賛同を得ていないのではないでしょうか?

それなのになぜ、ネット世論とマスコミ論調にはこれほど大きな乖離があるのでしょう?

A 回答 (17件中1~10件)

マスコミにおける煽動を顕著にしたという意味で、ジャーナリストとして一流と呼べない点はあるかと思います。


白髪でしわの深い男性が落ち着いた声で世相を切る。視聴者はその「いかにもそれっぽい感じ」だけで説得力を感じ、彼の言うことを信じるでしょう。その発言に真実をとらえているかどうかではなく、彼が言っているからです。
マスコミの仕事というのは「事実の報道」であり「意見の報道」ではありません。意見や批判は、批評家や知識人、そして市民に委ねるべきです。意見を言いたいならジャーナリストの看板を掲げるべきではなかった。問題点の提起ではなく、思想の提起を行った点(そしてそれが一部の左翼に偏った点)は、問題ですね。

今のネットというのは、そういった前世代が疑わなかった点に批判の目を向ける時期にあるのだと思います。匿名で言いたいことを言えますが、誰が言ってるかわからないからこそ、「根拠は?」「ソースは?」と問われるのは当たり前で、説得力に乏しい意見は歯牙にもかけられません。
たとえば、「貴方が見ているネット世論というものは、「知的下層階級」の声が実際よりも大きく見えてしまうということかもしれませんね。」証拠は?
「少なくとも彼は、最後までなんとか自分の脳で物事を考えよう、見ようとしたことは確かなような気がします。」具体的には?
といった感じです。
No.4のかたのように根拠となる言動を挙げての批判は別ですが、そうでなければ幼稚な好き嫌いの表明にすぎない。

この点で、「発言内容の説得力」ではなく「筑紫哲也の説得力」を最大限に煽動に用いた彼とテレビ局には、批判の余地はあるかと思います。
    • good
    • 1

真の愛国、正義感、問題意識からはWeb活動家の意見とは真逆になります。


それだけのことです。
    • good
    • 0

追記です。

No.8のmmky氏のような見解を私は持ち合わせてはおりません。ソ連が崩壊した時に消え去るべき、などというのはまさにネット右翼の妄言にも等しいものでしょう。マルクスはマルクス主義者ではない、という言葉がありますが、これは経済学者マルクスが研究した経済運動から見た社会構造の分析を一つのモデルとして後生の研究者達がその形を国家像のあり方として提起したことを意味する言葉です。そうした事跡を捉えず短絡的に筑紫哲也氏を評価することは無謀ともいえることでしょう。立場の異なる相手に対しても最後までその言い分に耳を傾けるというのがジャーナリスト筑紫哲也氏の基本的スタンスであると思います。それは筑紫哲也氏が育ってきた終戦後(敗戦後)の日本の大人達が見せたコペルニクス的転回ともいえる豹変に基づくものに他なりません。従って、筑紫哲也氏が最後まで拘り守り続けてきたモノ、それは誰しもが自由にモノを言う権利、場所の確保だったと私は思います。精神の自由が脅かされることが最もアブナイ道への近道であるとの思いから『多事争論』を是としたのではないでしょうか。
    • good
    • 0

私は2chは利用しないので、どういう罵詈雑言なのかは知りませんが、インターネットが普及する以前に筑紫氏は、ニュース23をスタートさせ、ニュースキャスターの先駆者としては、大変な実績を残した事は間違いないと思います。


彼自身、クオリティーペーパーといわれた朝日新聞出身だからなのか、左翼的なイデオロギー的影響を、自身の番組でエッセンスとして使っていたような気がしますし、それが番組の魅力だったと思います。

ですがネット世論では、中立ではなく左翼的な報道部分を批判しているような気がします。

従軍慰安婦問題や教科書問題は、朝日新聞が発端となり、他の新聞やテレビがそれを追従する形で報道され、当時、読者や視聴者はメディアが間違った報道をするはずが無いと思っていた方が多かったと思いますし、それは報道や放送をしたら終わりという一過性の物で、一方的な物だったと思います。

しかし、ネットでは一過性ではなく遡って検証する手段を得、現在、捏造する事を、朝日新聞と絡めてアサヒるとネットの世界では言っていますから、筑紫哲也氏を含め、メディアに対しては信頼のおける物ではなく、偏向報道や捏造をする事もある媒体であり、攻撃される対象となっていると思います。

メディアは同業者であり、左翼的シンパシーを感じる筑紫氏を批判しないのだと思います。

私個人としての意見ですが、政治のネット世論は一部の人の声が大きいだけとは思いません。
国籍法について、大手メディアがほとんど報じないのに、ネットの動画アクセスはかなりあります。
これは、「知的下層階級」という分別ではなく、普通の一般人が関心があるという事だと思います。
それと、故・筑紫氏批判とは同一に出来ませんが、大手メディアの方が大多数の一般世論と乖離している可能性はかなりあると思います。
    • good
    • 0

ネットでの世論と仰っていますが、ネットの世論がそれほど信頼に足るべき性質のモノでしょうか。

少なくとも私にはネットでの書き込みの内容からその投稿者の知的レベル・良識には疑問符を抱かざるを得ないケースが多数あり、これまでは無視してきました。けれど今回の筑紫哲也氏の死去に関する書き込みを見て余りの非道さにはこの国に又迫っている危うさを感じ、私なりの回答を寄せてみたいと存じます。人にはそれぞれ好悪があるのは当然ですが、人を評価することはそれとは別次元の問題です。評価するのはその人が遺した足跡・事跡によってなされるべきであり、それは物理の実験や数学の証明問題を解くプロセスと似ています。先ず自らが自らの目で確かめること、そのためには相手の意見を最後まで聴くことが最低限の条件です。そうでなくては論拠に乏しい『ネット世論』と同じことになってしまいます。少なくとも筑紫哲也氏の示した形はこの『意見と異見』を尊重するという場の提供だったと思います。因みに『世論』と『輿論』は明らかに性質の違うモノです。
    • good
    • 0

筑紫哲也氏は、良くも悪くも賛否両論あるジャーナリストです。


また、丁度テレビが新聞に並ぶマスコミに育つ過程で活躍した人物でもあるので、TV業界では結構評価が高いのは確かです。
あと、死者にむち打つ行為は日本人は嫌うので、公の場でははばかれるのでしょう。

ネットの場合、公の場ですが「匿名」ですので罵詈雑言が飛び交いやすい環境ですから。
さらに、今の日本のネットはマスコミ叩きが横行しています。
中には、的を射た的確な批判もあるのですが、ほとんどは悪のりした誹謗中傷です。
で、筑紫氏はTV報道の第一人者であるので、よく祭り上げられる人物です。
また、ブログの訪問人数や書き込みも恣意的に操作が可能なので当てになりません。
よって、上げておられる数字ほどの世論は無いと思われます。

>ネット世論とマスコミ論調にはこれほど大きな乖離があるのでしょう?

先にも記しましたが、今の日本のネットは反マスコミの声が大きいのは事実です。
ただ、それは今までマスコミへの反論や批判は、各マスコミに意見を投書するくらいしか無く、マスコミ側が無視すればそれで終わりでした。
しかし、ネットだと賛同してくれる人が集まりやすい(例えそれが少数でも、多数に見えてしまう)事から、声がどうしても大きくなるのでしょう。
それが、言い意味でマスコミ界の意識改革に繋がればいいのですが、現状は「程度が低いだけの集まりであるネット陣営」と「それを鼻で笑ってあしらうマスコミ界」って構図が出来つつあるようですね。
    • good
    • 0

戦後の教育は前の戦争を犯罪行為だと教えてきました。


政府の公式の認識もそうしたものですが、戦後も60年経つとその認識に疑問を持つ人たちが出てきて当然です。所謂ネット右翼と呼ばれている人たちがそうです。
彼らが知的下層階級(何という偏見)に属しているかは匿名の社会でプロフィールが不明ですから分かりませんが、戦争に関する戦後の教育内容を信じていないのは何となく分かりますし、疑問を持つだけ知的でもあります。
最も知的でないのは自分の考えに固執して疑問を持たず、数十年前の思い込みに囚われている人たちか、あるいは商売の為に自分の考えを変えられない人たちです。
ネット右翼と言われる知的集団の人たちは筑紫氏にそんな匂いを嗅ぎつけたのではないでしょうか?
筑紫氏を支持する既存マスコミの人たちと非難するネットの人たちのどちらが正しいのかは分かりませんが、個人的には既存マスコミの考えは古すぎて腐臭がしていると感じています。
    • good
    • 0

■それなのになぜ、ネット世論とマスコミ論調にはこれほど大きな乖離があるのでしょう?



パソコン通信時代と違って、貴方が見ているネット世論というものは、「知的下層階級」の声が実際よりも大きく見えてしまうということかもしれませんね。
「知的下層階級」というのは、世俗的地位が低く、自らの人生や生活に対する満足度も低く、そういった環境から生まれる自分の鬱憤を自分とは異質な存在や、自分よりも弱いと感じる相手に向けて共感を求める傾向があるように感じます。
その敵意の矛先は、例えば、所謂在日の方達であったり、良心的と呼ばれるジャーナリズムに対してであったりするようです。

故・筑紫哲也氏は、50代の僕にとって、決して両手を挙げて共感するばかりの人物ではありませんが、尊敬すべき人生を送った人間だとは思います。

人間って、自分の脳で考え、自分の言葉で表現することはそれほど簡単なことじゃあありません。
どうしても育ちや時代、様々な環境や周囲に振り回される。
少なくとも彼は、最後までなんとか自分の脳で物事を考えよう、見ようとしたことは確かなような気がします。
勿論、間違ったことも沢山したし、書いたとは思うけれども、少なくとも「知性のある人間」であることにおいて、貴方の言う大勢の「知的下層階級」とはモノが違う、、、ということが理解出来ないから、彼等は「知的下層階級」なのだということを僕は知っています。
    • good
    • 1

 筑紫哲也氏には良いところも悪いところもあったと感じる立場から。



>故・筑紫哲也氏の評価がTVや新聞とネットで乖離しているのはなぜですか?
 批判に耐えうる意見表明ができるかどうというところがポイントだと感じます。
 ネットだと匿名性が高い分無責任な表現をしても、書いた者は犯罪でも無い限り逃げることができますし、書き込む場を与えた者は内容に関与しなくても影響は少ないでしょう。一方、マスコミでは意見表明した者に匿名性は少ないですし、意見表明の場を与えた者も批判や責任追及に晒されます。
 筑紫氏への賛辞に対する非難より死者にむち打つ表現をした方が非難は多くなるでしょうし、それが購買数や視聴率に影響を与えます。
 2ちゃんねるの書き込みで全くないとは言いませんが手垢のついていない光る意見を目にするのはまれですし。

 ちなみに引用されているネット利用者の統計については話半分で見ておいた方が良いでしょう。これはテレビでの視聴率に相当する統計情報収集が目的です。このため、広告料算定のデータとしては有効でも世論の動向を見るにはデータの収集方法が適切ではありません。またサイトへの訪問や書き込みが全て特定の意見になっているわけではありません。
 すなわち、このデータがネットに書き込まれている内容と同意見であるとは言えません。
    • good
    • 0

[故・筑紫哲也氏は、マスコミが絶賛するほどに、


国民には支持どころか賛同を得ていないのではないでしょうか]

マルクスにかぶれた世代の代表の一人ですね。ソ連崩壊と共に消え去るべき人たちの一人であったことは確かですね。マスコミにはマルクス思想がいまだ蔓延してますから重宝してたわけです。ソ連崩壊後は共産中国大好きというようにマスコミの風潮は変化していますが、多くの国民は良くその本質を見抜いているわけです。ネットの反応は意外と正しいと思いますよ。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!