プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

30代の妙齢の女性です。

私は昔から自己否定感が強く、そのために苦しんでいます。

客観的に見て、私は十人並みの容姿だということは理解できているのですが、誰に何を言われても自分の顔が醜くて気持ち悪いと思います。誰かが私の顔を凝視しているだけで「気持ち悪いと思われているのかな」とすごく不安に感じたり、申し訳ないとすら思います。醜形恐怖症かもしれません。

外見だけでなく内面にも自信がなく、好きになれません。
どうしてこうなったのか分かりませんが、思春期の頃から自分が嫌いでたまらなく、私みたいな人間のこんな人生になんの意味があるの?と思ったり、自分をゴミのように感じてできるだけ早く死にたいと思ってました。

自己否定感には波があり、ちょっとしたことで猛烈にひどくなり涙が出て不眠になったり、食事もとれなくなります。早く死にたい死にたいとそればかり思ったり・・・。

だけど自殺するには勇気が出ず・・・それに親を看取とるのは私の役目だと思ってるので踏みとどまっています。

自分を愛せない人は、誰のことも愛せないと聞きました。
私もそうだと思います。
結婚して子供を愛せる自信がありません。

支離滅裂な話になってしまって申し訳ありません。
精神科に行くべきなのかもしれませんが、表面的には明るく元気を装っているので、誰も私が内心こんなことを考えているとは思ってないと思います。それに誰にも話せないです。

自己否定感をなくせれば、もっと自分に自信をつければ楽になれると思うのですが・・・自己啓発本を読んでみても効果がありません。
どうしたらいいでしょうか。

A 回答 (7件)

原因と対策から述べます。



まず、愛が足りないですね。
つまり、”(育ての)親に深く愛されて育った”という実感が足りないように思われます。
これは日本文化社会ではある面、ありがちかもしれません。

>自己否定的な傾向は、アメリカ人より日本人は強いと読んだことがあります。

No.1で回答したkappa1zokuさんがおっしゃる様に日本社会はキリスト教社会よりも愛が足りません。極論から言うとアジア社会は自力本願です。キリスト教社会は他力本願的な傾向が見えます。

自分の自信が身に付く根源は”どれだけ(育ての)親に深く愛されてきたか”に関わってきます。
たとえ実力、能力があっても、どんなに美男美女でも(育ての)親からの愛が十分出ないと自信がありません。
いつも不安と自己否定に再悩まされます。

逆に子供時代に(育ての)親に深く愛されて育った人は(根拠無き)自信にいつも満ち溢れています。

深く愛されて育った人は人に多くの愛を注ぎます。
否定されて育った人は(自分を)人を否定します。
憎まれて育った人は(自分を)人を憎みます。


それではどうしたらいいか?
人に愛されましょう。人を愛しましょう。
そこで手っ取り早いのがキリスト教。
私は何もキリスト教信者でもキリスト教伝道者でもありませんが、(たぶん仏教徒)
今まで見てきた中でキリスト教の人たちは人に多くの愛を笑顔で分け与えてる姿を見てきました。
 
友達の仏教の尼さんに誘われたお寺のお祭りに参加するための道中、迷って知らずにプロテスタント教会にたどり着きました。そしたらそこにいた初対面のキリスト教夫婦が車でお寺まで送ってくれました。別れ際にりんご一袋を笑顔でくれました。あぁ、宗教者だなと感じました。つまり愛に満ち溢れているということです。

宗教でなくてもボランティアサークルなど何でもそういった愛に満ちた人たちはいるので参加して愛を共有しあってはどうですか?
人を愛し、愛されることで自然と自分に自信がついてくると思われます。

Good Luck

.
    • good
    • 0

こんばんは



先ずは悩み事を書いてくれた事、ありがとう

しっかりし、受け止めましたからね

私の知人ですが、とても美人の人がいます。お若い頃余り、自分の容姿が受け入れられず悩んだ事、聞きました

あなたも苦しいまれたのですね

しかしご安心下さい

今からは、あなたの未来は確実に変わります

何故ならば、自分にどうにもならない事に助けを求めたからです


静かですが、人や物により助かるでしょう

何故なら、乗り越えられないことはあなたにおこりません

悩むだけ悩んだのなら後は天に任せて

きっと素敵な事が待ってますよ

また苦しくなったら質問下さいね
    • good
    • 0

人間の心理、それも、意識をするという事を学んではいかがでしょうか?不安になり易い、是は意識性の強い事の現れです。

人間は意識をする時に苦しむように出来ています。それは自分自身を知らない事によります。人間が本当に生き生きとして、心から楽しいという心持になれるのは、自分と、自我意識がうまく協調出来ているからです。それは意識をしていない時と言えます。

神経症と言うものを学んでみてはいかがでしょうか?神経症の症状は様々な事が有ります。ですが是は全てが「意識した事」が症状名になっています。そうしてその原因は「意識をする」と言う事に尽きます。意識をする事が人間が社会生活を送る邪魔をしているという事になります。

例えば耳鳴り一つでも、気になって意識をした場合には苦になります、そうして、もっと意識をした場合にはもっと辛い気持が大きなものになってしまいます。歩く事でも人前と言う事になれば意識をする事になります、上がらないように意識をした場合には、心とは反対になってしまうかも知れません。

これらの例は自分自身を知らない事から引き起こされています。又本人の認識の誤り、或いは勘違いとも言えるものと言えます。

本当に、人間が本来の力を出して生きてゆく時には、自我意識は引っ込んでいます、我を忘れてやっている、或いは無我夢中でやっているという表現が良いのかも知れません。心の屈託がなくて、心が自由になっている、或いは心が澄みきった青空の様と言う時にも言えます。その時は至福な時とも言えます。

この反対が有ります、不安などが有って、絶えず意識をしている時です。この時は自我意識が出しゃばっていて、我を忘れている暇が有りません。意識が生きるのを邪魔をしている感じがします。

人間が辛い感情になるのは、自我意識を休ませてやれなくなるからです。意識をして無意識に入れなくなる事です。普通の生活とは自我意識と無意識が絶えず連絡を取り合って、意識と無意識が絶えず入れ替わって、成り立っています。歩く時にも無意識で歩いています、その証拠は、歩いている事さえも忘れているからです。

人間の心は絶えず二つの心が入れ替わりながら体を、心を働かせています。その入れ替わりが、余りに巧妙に出来ていてほとんどの人は気が付きません。ですが確かに人間の心は二つあります。健康な心とはその二つの心がバランス良く、入れ替わっていて、二つの心が、離れていない事、或いは矛盾していない事と言えます。その時が至福の時です。心が言い争いをしない時と言えます。

これに反して神経症などの心の中は、絶えず心と心が言い争いをしている時と言えます。自我意識に対しての、無意志識の意識は通常人は感知できません。この事から、無意識の意識は自我意識に抗議或いは提案をします。この抗議が、判らない者からの圧迫感、罪悪感、或いは生き難さと言うものです。是は無意識の意識を無視しているという事の表れと言えます。元のようなバランスを取り戻そうという心の働きと言えます。

眠れなくなってしまう事を不眠症と言います。是は眠るという事に対する無知と言う事も関係しています。眠るのは自我意識では有りません。自我意識は眠ろうというタイミングを計っています、眠る事にして、布団に入ります。自我意識は引っ込んでしまいます。無意識が体も心も支配します、そうして眠りに入ってゆきます。眠れない人は、何かが有って、意識したまま眠ろうとしています。意識そのものは眠りに入れないからです。従って人間の行動は無意識とバトンタッチした場合にスムーズに行くものです。

神経症は意識をしたために、無意識を無視した生き方をしているという事です、そのために無意識の意識がバランスを元に戻すように働きかける、その働きかけが、感情に対しては、違和感や、もろもろの不愉快等で自我意識に訴えかけている事と言えます。

貴方の場合においては、貴方が自我意識だけを認めている事が、貴方の苦しみとなっています。貴方が何も考えていない時に湧き上がる考え、或いは感情が有ると思います。是は全てを肯定しているものです。貴方が、悉く、全てを否定しています。その事が貴方を悩ませています。是が貴方の心の矛盾です。

貴方が否定しているもの、無意識の意識とは、仏性の事です。貴方は悩み苦しみと言うものを通じて、今、自分自身と対立しています。貴方の自我意識が、計らいを捨てた時に、貴方は自分自身に遭うと思います。その時を悟りが開いたと言います。貴方の計らいが尽きるまで、計らいは続きます。その時がきたなら、心は自由になります。心が争わなくなります。心が争っている状態が不安と言う事が分かるからです。

鈴木大拙博士の本を読んではいかがでしょうか?不安解消が禅の歴史であり、その方法と言えるものと思います。一生の付き合いとなります。不安になり易い、意識性の強い人の、書いたものが禅の歴史です。究極の不安解消方法と言えるものです。私の場合には18年間の苦しみの後に、不安解消が出来た経験が有ります。あれからかれこれ、約30年経ちます。今でも暇が有れば、大拙博士の本を読んでいます。
    • good
    • 0

まず、申し上げたいことは自己否定する必要はないですよ、貴女は真面目な人で一生懸命、より良く生きようと努力されているし潔癖な気性のだと方なのだからということです。



自己否定感は多くは欝の症状から出てきますのでもし軽い欝気味なのかと言われたらそうかもしれないとは思いますが病院にいく段階にはおられないのではと思います。又、薬を飲んだら良くなるという保障は無いと思います。

親御さんを看取りたいと真剣に望む質問者さん、もし情のない人だったらそんなこと、思わないですよ、親なんてほったらかして平気という人も多いのです。人に対する温かい気持が持てる人ですがそういうご自分に気が付かないで誤解して自分自身を苛めている方ではないかと思います。愛する能力はあるのに無いと思い込んでおられるのです。

自意識が強く感受性の強い方は時折被害妄想のようになってご自分の容姿を必要以上に醜いと感じることもあると思いますが錯覚だということをもう一度、きちんと理解してください。

>表面的には明るく元気を装っているので、誰も私が内心こんなことを考えているとは思ってないと思います。それに誰にも話せないです。

心というものは外に見えにくいですのでこういう心理は悩んでいる人の殆どが感じる共通の真理だということを知ってください。つまり、貴女だけではない、隣にいる人も貴女にには見えない悩みを抱えているはずです。貴女の悩みが他人には見えないだろうと思われるのと同様、隣の方も同じことを考えているということです。

苦しみが癒える方法、それは病院に行くことではなく、ご自分の悩みが特別ではなく、自己否定は真面目すぎるところから間違って自分を裁いてしまっているからだということに気がつくことだと思います。ゆがんだ鏡でご自分を凝視されているからだと自覚することだと思います。

錯覚や誤解がとけて少しでもお気持が楽になられますように、癒されますようにと思います。
    • good
    • 0

こんばんは。

うう…。だいぶ苦しそうですね。
あなたにとって、少しは気が楽になる方法、考えてみました。

まず、親御さんは、貴方様をどんなふうに育てられましたか?
小さい頃、しばしば貴方をほめてくれましたか?
テストの点が悪いとバシッとやられましたか?
放任主義でしたか、それともかまいすぎ傾向?

貴方の今の苦しさを親御さんのせいにすることで、いやな気分になるようならやめたほうがいいですが、
子どもに対する適切な教育力がない親の元にいると、自己肯定感が育ちにくいことがあります。

ですのでもし思い当たるなら、自分だけの責任でこうなったのではない、と開き直ってみてはどうでしょう。
なんと言いましょうか、よかれあしかれ自分の状況は運命です。

それで、その「運命」の捉え方によって、貴方は幸福にも不幸にもなる。

たとえば、親はろくな愛情を掛けてくれなかった。でもそれも運命。すんだことやね。まあ、仕方ないか。こんなふうになっちまったよ。どうするんだよ…。でもま、いいか。このまま生きよう…。なるべく自分の楽しいことしよう…。悩む時間もったいない…。

こんなふうに考えてみたら・・・ほんのちょっと・・・楽ではないですか?

わたしの場合、真剣に悩んだり、深刻になりそうなとき、高田純次さんの顔をよく思い出してました(笑
それで、あれほど適当に生きてる(ように見える)人がいるのにアホらし・・・。悩むのやめよ、と思い直してました。

要は、自分の悲惨な状態を自分で笑いとばせるか否か・・・。

悩みに埋没して、苦悩にどっぷり飲み込まれないように、自分を「操縦?」するといいと思いました。
    • good
    • 0

すべてのネガティブな感情の原因を


自分自身にもっていっていませんか。
うまくストレスを発散できていないから、
自分を否定することで発散している感じがしました。

容姿は造作による美醜もありますが
おおむね「表情」「雰囲気」によります。
他人の顔を凝視することはありません。第一印象は数秒で決まります。
なので造作が10人並でも、「かわいくみえる」雰囲気にすることは可能です。
そして大体の人がそのために努力をしています。

内面は自分のことなので
気の持ちようでどうとでもなります。
今は自ら「自分が嫌いな自分」が好きだから
そうなっているのだと思います。
そう思っているほうが、具体的に何かするよりも
楽なのではないですか?

>結婚して子供を愛せる自信がありません。
そうなってからでないと、実際どうなのかはわからないので杞憂です。

自分に自信をつける、というよりも
思考から「自分」を排除するといいと思います。
欲求のままに行動してみるのです。
自分について考えている暇はなくなります。
何か「これをやっていると時間を忘れる」ということはありませんか。
なければ何でもいいです、考えるより動いてください。
走るでも歩くでもいいし、描くでも書くでもいいし、
歌うでも読むでもいいです。
脳を自分以外のことで忙しくしてください。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早々のご回答ありがとうございます。

容姿は雰囲気、表情で決まるとのことですか。確かに表情豊かで笑顔のある女性は魅力的だと思います。

>内面は自分のことなので
気の持ちようでどうとでもなります。
今は自ら「自分が嫌いな自分」が好きだから
そうなっているのだと思います。
そう思っているほうが、具体的に何かするよりも
楽なのではないですか?

これは・・・申し訳ありませんが、ないです。
自己陶酔しているわけではありません。

お礼日時:2009/01/10 21:48

あなたが精神的に追い込まれていて病的になっているのかは、文章を読んだだけでは正直分かりません。


ですから、一般的な話をします。

自己否定的な傾向は、アメリカ人より日本人は強いと読んだことがあります。
例えば、ビジネスで出てくるノルマですが、このとらえ方がアメリカ人では、4割程度達成していると「自分はうまくやれている」と感じるそうです。ところが、日本人は6割ほど達成していても「自分はまだまだやれていない」と感じてしまう人が多いそうです。

この感覚は、以外と普通の出来事でも多くの日本人が感じてしまう傾向のような気がします。
ですから、あなたが感じてしまう感覚は、大なり小なり日本人的なものと言えないでしょうか?

また、自信と言うのは何でしょうか?
俺はあれが出来る。他の人はできないだろうが、これも出来る。と言うことでしょうか?

僕は違うと思います。
自分に対する客観的な諦めが<自信>のような気がします。
出来る出来ないではなく、自分はこんなものかなと思えることが<自信>のような気がします。

つまり、あなたは自分自身に対して要求が高いのだと思います。その要求にこたえきれない自分がいると許せないのだと思います。

諦めましょう。自分はこんな程度じゃないかと。
<諦める>という言葉の語源は、「明らかにする」ということらしいですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早々のご回答ありがとうございます。

確かに日本人は真面目気質というか、完璧を求める方が外国人に比べて多いかもしれませんね。

>自分に対する客観的な諦めが<自信>のような気がします。
出来る出来ないではなく、自分はこんなものかなと思えることが<自信>のような気がします。

すごく共感ができました。私は自分の理想が高いのに実物は・・・なんて思って、いまだに諦めきれないのかもしれません。理想と現実のギャップは誰しもあるものだと思います。折り合いをつけるかどうかですね・・・。
ご丁寧にありがとうございました。

お礼日時:2009/01/10 21:45

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!