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(1)京都・六波羅蜜寺は977年に比叡山の僧・中信が中興して以降、天台天台宗に属していたそうですが、桃山時代に真言宗智積院の末寺となったそうです。
寺院の宗派は簡単に変えることができるのでしょうか。

(2)六波羅蜜寺では年末に隠れ念仏が行われています。
これはかつての念仏弾圧から逃れるために密かに念仏を行ったことの名残だそうです。
念仏弾圧が行われたのは鎌倉時代だと思いますが、このとき六波羅蜜寺は天台宗です。
浄土宗の開祖である法然は、1204年に比叡山の宗徒に念仏停止を訴えられています。
比叡山延暦寺は天台宗であり、天台宗は念仏を快く思わなかったのではないか、と思うのですが
なぜ天台宗であった六波羅蜜寺において隠れ念仏が行われたのでしょうか。

(3)上記の記述において間違いがあれば指摘いただければ幸いです。

A 回答 (1件)

>>寺院の宗派は簡単に変えることができるのでしょうか


寺が衰微した時期に復興した僧侶、あるいはパトロンによって宗派が流動的に変わる事はよくあります。

六波羅蜜寺の場合は近くにある智積院の勢力が伸びた事も一因とされます。また修験的な山岳信仰への回帰も指摘されます(『修験と念仏』91頁「都市に下りた念仏聖」)。

>>六波羅蜜寺では年末に隠れ念仏が行われています
念仏弾圧で誤解されるのは、弾圧されたのは法然一派の立てた「専修念仏」、つまり自戒作善を必要とせず弥陀一仏のみに帰依するという教義に基づく念仏です。
念仏そのものは大乗仏教での基本的修行であり、中世の仏教では南都や叡山、高野などの各宗派で念仏は行われています。念仏は「仏を念じる」ことであり、特に阿弥陀如来を念じる念仏が代表格となります。
しかし、法然一般の立てた「専修念仏」はそれまでの念仏と異なり、各宗派から仏教の破壊、異端として批判され、弾圧されます(『沙石集』をお読みになれば、当時の専修念仏批判がどのような視点であったかがお分かりになると思います)

当時の六波羅蜜寺は天台教学に基づく浄土信仰の寺院ですから、法華経と念仏三昧により法会が修され、六波羅蜜寺周囲は他界信仰とも結びつきます。
寺側も文人貴族との関わりのみならず、積極的に民衆の信仰を受け入れる事で寺勢を高めます。
踊り念仏は極楽往生という面のみではなく、除災招福や鎮魂などの土俗信仰、民俗信仰とも深く結びつく信仰ですから、いわゆる専修念仏的な視点のみで捉えてしまうと、分かりにくい面もあるでしょう。
つまり信仰における建前と本音の部分とでもいいましょうか…
 専修念仏は批判するが、民衆の念仏信仰へのパワーは受け入れる…
 専修念仏を信仰するが、現世利益や他の神仏の信仰も捨てない…
この両者の思惑が一つになった面も考えられるでしょう。
また現在の有名寺院の表面的説明では妙にロマンチックに語りがちですが、もっと当時の信仰は土臭い物でもあります。

参考文献として、五来重『踊り念仏』、上田さち子『修験と念仏』(平凡社)を一読されてみてはどうでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/01/25 12:23

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