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こんにちは。

昨日気になる事を香港人の友人に言われたのです。

私が「香港には少数民族いるの?日本には沖縄と北海道にいるんだ。」と話したところ「でも、100年前沖縄は中国だったから、日本が奪ったんだよね。だからその民族も中国人なんだよ。」と言われました。

私は、沖縄に2年前訪れましたが文化は中国から来たと知っただけで中国の一部だったのかな?っと疑問に思いました。


日本人として知っておきたい知識なのですが、参考になりそうな資料などご存じでしょうか。

この質問に対していろいろな意見があると思いますが、是非参考になる資料など教えて頂きたいです。

ちなみに、留学中なのでサイトが1番良いのですが日本に帰国した後にご紹介頂いた書籍を読みたいと思うので教えて下さい。

ご回答よろしくお願いします。

A 回答 (10件)

 まず、100年前の沖縄の状況から考えると、当時の領有権は日本と考えるのが妥当でしょう。


 しかし、実は当時の沖縄情勢で、一部を中国の領有権とする試案があったのは事実です。
http://rca.open.ed.jp/history/story/epoch4/syobu …
ただし、条約が発効していませんので、これは有効とは言えません。
同時に、沖縄人民に清国への服属を望んでいた人がいるのは事実のようです。

沖縄の領有権に関しては、あまり揺らぐことはありませんが、国際法的には、「宮古」「八重山」の二つは清国化した可能性を否定できませんし、その寸前だったことは事実でしょう。

実は、江戸時代から琉球処分までは、沖縄は
独立国or江戸幕府・清国の両国従属(臣従)関係という見解と言われます。
従って、500年前は沖縄は中国王朝のものだった、という主張にはある程度は、説得力はあります。しかし、沖縄人民の独立心を考えれば、属国ではなく、友好国とするのが妥当でしょう。

琉球処分についてサイトを紹介します
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83% …

さて、琉球の人の遺伝子はどちらかというと中華系に近いと言われています。つまり、琉球人は遺伝子的には中華系に近いと言えそうです。
しかし、民族・部族は遺伝子だけで語ることはできませんから、注意する必要性はあるかもしれません。

ただ、歴史的には琉球の所属は中国王朝と考える時間は多いのは事実でしょう。
それが現在の日本の沖縄領有権を否定するわけでもありません。
ただ、仮に沖縄人が独立を希望したら・・・・という問題は法的には興味深い問題です。
 日本人の多くは沖縄独立構想については危険視していないようですが、私は不可能ではないことを含めて少しは配慮するべきだと思います。
 少なくとも、国際法的な理屈では、沖縄の民族自決となれば、中国の領有権ではなく、独立というシナリオは夢想に近いにしても、全否定できませんから・・・・

ちなみに、国際社会では、アイヌ人・琉球民族は先住民族を捉えることが可能で、保護対象とされているようですが、国内法ではアイヌだけは先住民扱いです。学術的には不明ですw

従属の意味は、悪意的にいえば、属国であり支配と言えますので、言葉の取扱の問題でもあります。
 ただし、日中の歴史研究では、沖縄の多くの島に関しては、日本の領有権が確定していますので、ご安心ください。

ただし、日本政府が、割譲しそうだったことは事実として忘れてはならないように思います。
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サイトではウィキぺディアが一番分かりやすいでしょう。


だいたい経緯が書いてあります。

沖縄県の歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84% …

琉球語は古代日本語から分岐したものですね。
分岐した年代は約1400年前あたりと言われてますが、さだかではありません。

DNAでいえば良く母から子へ遺伝するミトコンドリアDNAが用いられますが、東アジアはみんな同じようなものなので参考になりません。
近隣地域とのDNAの差を求めるにはY遺伝子で確認することが良いでしょう。
本土人との違いは確かにありますが、大部分本土からの移住と考えて間違いないでしょう。

日本人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …
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>琉球が中国ではなく日本に近かったことは、言語からも明らかです。


ってあるけど、明らかに日本語とは違う。
聞いていても、意味不明で、全く意味がわからない。
意味が通じるならば、方言ぐらいの差で残っているはず。

どちらかというと恐らく中国寄りと思われる。
ただ、文法が日本ということかもしれないが、中国語の影響は絶対に受けている。

質問の中国だったというのは、相手の勘違いでしょう。
独立国では?島津と中国と貿易していたし。
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沖縄が中国の一部だったという事実はありません。



沖縄は、中国で明王朝が興った直後の1372年から、明治維新後の1879年に強制的に日本に組み込まれるまで500年間、中国(明朝と清朝)の王朝帝国に従属する「琉球」であったというのは中国側に認識です。
確かに、1609年に幕府が島津家(薩摩藩)に命令し、江戸幕府の体制下に組み入れ、薩摩藩の監督支配下に置かれるまでは日本ではありませんでした。その頃までの沖縄は中国と外交を続けていた「琉球王国」という独立国家です。主に中国と外交してた事実が中国側が属国と勘違いした理由です。
その薩摩藩による管理下に置かれた後も琉球と中国(清朝)との外交関係はそのまま続いたため、中国から見れば琉球が属国である状態は変わらなかった。幕府と島津家は、琉球に中国との外交関係を維持させることで、貿易収入を得る政策をとったのです。
江戸時代以降、日本の属国(支配下)だった沖縄は、明治になり正式に日本の県(日本国)になりました。
中国から見れば自国の属国だった琉球を日本が勝手に侵略し、明治の頃には完全に奪い取っていたという感覚のようです。
本当は、琉球(沖縄)は千年前から中国と外交貿易していただけの独立国家。でも中国だけでなく日本とも同時期から交流してましたので中国の属国だった事実はありません。琉球王国は島の歴史文化を守りながら中国や日本の良点を取り入れ独自の発展を遂げた島国です。しかし、言語でいえば、昔の沖縄弁というは日本の言葉に近いのでどちらかといえば日本寄りの国だったとえいるでしょう。
確かに400年前に島津家が武力で琉球を支配した当初は、琉球人は地元文化を壊される心配もあり、強引に支配した幕府をよく思ってなく、日本の管理下に置かれるのが嫌だったようで、しばらくは日本人は嫌われていたようです。
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書籍としては


中国の異民族支配 横山宏章著 集英社新書
などが取っ掛かりとしてはよろしいかと。

西洋史を理解の補助線で考えると
ローマ教皇と神聖ローマ皇帝が一緒になっているのが中華皇帝ということになります。ローマ教皇の権威を認める(=キリスト教徒になる)ことは、俗世においては、神聖ローマ皇帝の支配下にあることになります。理念上は。
キリスト教世界では、すべての土地はイエスから託されたローマ教皇のモノであり、ローマ皇帝に執行が任されたことになっています。
これと同じ原理が中華帝国にもあり、中華思想と呼ばれています。
天から地上の土地の支配と管理を任されているのが皇帝である。
西洋においては、近代化の中で国民国家体制に移行しましたが、中国はまだそうなっていない。

キリスト教の受容が中華思想においては「中国文明」の受容となり、近代国家の意味での統治の実行なんてのは関係ない。中華思想の論理からすると沖縄も朝鮮もベトナムも中国領ということになります。

民族概念なんてものはかなりいい加減というか、言う人間の主観です。
日本で言えば、関東人と関西人くらいの違いが欧州では平気で違う民族として分離されています。逆に中国では、欧州では他言語と認識されるような言語同士が中国語としてまとめられちゃっています。
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 琉球が中国ではなく日本に近かったことは、言語からも明らかです。



 琉球の言葉はあくまでも日本語の一方言です。
 かなり独特で分かり難いところも多いものの、文法など全て日本語の伝統に乗っており、中国語とは全く異なっています。
 分かり難いのも独自性、というだけでなく、本来の日本の古語をそのまま使っているところもあるようですので、そういった意味でもむしろ古代より日本との関連性が高い地域であったと推測できます。

 資料ではなくて申し訳ないですけれど、ご参考までに。柳田國男の書籍などにはこの方言の問題は載っているかと思います。
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琉球が明朝の冊封国でありましたので、その点では中国の冊封体制に組み込まれていたということは事実です。



ただしこれは当時の外交的な秩序関係であり、琉球や朝鮮、ベトナムなどが中国王朝の直接な領土になったという意味ではありません。

>100年前沖縄は中国だったから、日本が奪ったんだよね。だからその民族も中国人なんだよ。

これは、思想上の事実でもあり歴史的な事実でもない、という所です。
中国伝統の華夷思想、王化思想では中国すなわち華に対し周辺国は夷であり、その夷が皇帝の徳を慕い、礼を受け入れれば華の一員となるというわけですから、その思想の上から見る限り、琉球は「中国」の一部であり、琉球人は礼を受け入れた「中国人」となるわけです。
首里城の門である「守礼の門」は明朝万暦帝の詔勅のなかにある「琉球は守礼の邦と称するに足りる」という文言からとった「守礼の邦」という額がかかっていることからこの様に呼ばれているともいいます。

ただし、これは中国の思想上のことであり、琉球が例えば明の領土であったり、琉球の人が直ちにいわゆる中国人:漢民族であるとかいうことでは全くありません。
(特にこういう話をするときに思想上の華を受け入れた「中国人(出身民族にこだわらない)」と中国の主要な民族「漢民族」の概念をごちゃ混ぜにしてしまうような話になると全くわやくちゃになりますね。)

中国を頂点とする当時の国際序列に組み入れられていたということがすなわち琉球が中国であったというのは全く無理のあるお話です。
またその中国の思想の外にある者にとっては、全く実質的な意味を持たないことではあります。

また、現在の琉球の人にあなたは中国人ですか、と問うて見れば、そうですとこたえる人はおそらく居ないでしょう。

ただ、このような話になった時、どうしてこういうことを言うのだろうか?と言う所から歴史を見るのは大切なことであるとは思います。
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そんなわけ無いw


1895年、下関条約で大日本帝国に帰属する事になった台湾が1945年第二次大戦終結の後のサンフランシスコ条約で日本とは切り離されてます。
もし100年前に沖縄を時の中国から日本が奪ったものだとすれば、
その時にGHQの元で台湾や朝鮮半島同様に切り離されているはずですよね。
それに日本はずっと日本国として成立してますが、中国は100年前なら清、中華民国、中華人民共和国と治める民族も代わってるし、
その間内紛があり、前王朝・前政府と日本との間にやりとりされた主張や約束事がひっくり返されたり、勝手に無効とされたりって認識もでてくるでしょうからその香港の友人の発言もそういった近代史の中での領土のやりとりは無視で2000年前の事を持ち出して主張してるだけに思えます。
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琉球でも台湾でも、日本は中国の実質支配のないことを確かめつつ、自国支配に取り込みました。


 チベットにしろ内モンゴルでも中国支配を好んでいなかったのに、中共により併合されていきました。共産主義国になったのに、領土については清時代の最大の領土を自分の領土と考える癖があります。その思考経路の大きな原因は、膨れ上がる人口による圧力に政治家が常にその欲求をみたすための外的要求を準備して、内的不満をそらす必要があります。
 教科書のよる反日教育はその最たるものです。
質問者の対策としては、外国人と歴史の話をするときは、日本の歴史を知っておくことです。今回では台湾、琉球、北方領土などネットで調べられてはいかがでしょうか。ネット検索すれば沢山出ています。
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琉球王朝は中国とは別個の独立国家でしたが、江戸時代に薩摩藩が


併合しました。

台湾や上海の辺りとは琉球国家の時代も交易がありましたが、
朝貢などの属国同然の態度を取ったことはありません。
中国は、自国と交易をする国は全て朝貢してくる属国と考える
(中華思想)きらいがあるので、沖縄についてもそういった
勘違い(自惚れ)の考え方を持っています。
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