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東西の大名(石高の隣、○印は関ヶ原に布陣した大名、●は寝返った大名)

徳川家康 ○ 255.0 西軍 毛利輝元 120.5

前田利長 83.0    上杉景勝 120.0
伊達政宗 58.0    島津義久 73.0
加藤清正 24.5    宇喜多秀家 ○ 57.4
福島正則 ○ 20.0   佐竹義宣 56.0
細川忠興 ○ 18.0   石田三成 ○ 19.4
浅野幸長 ○ 16.0   小西行長 ○ 20.0
池田輝政 ○ 15.2   増田長盛 20.0
黒田長政 ○ 18.0   小川祐忠 ● 7.0
加藤嘉明 ○ 10.0   大谷吉継 ○ 5.0
田中吉政 ○ 10.0   脇坂安治 ● 3.3
藤堂高虎 ○ 8.0   安国寺恵瓊 ○ 6.0
最上義光 24.0   小早川秀秋● 35.7
山内一豊 ○ 6.9   織田秀信 13.5
蜂須賀至鎮 17.7   長宗我部盛親 ○ 22.0
本多忠勝 ○ 10.0   朽木元綱 ● 1.0
寺沢広高 ○ 8.0   赤座直保 ● 2.0
生駒一正 ○ 15.0   吉川広家 ● 14.2
井伊直政 ○ 12.0   長束正家 5.0
松平忠吉 ○ 10.0   毛利秀元 ○ 20.0
筒井定次 ○ 20.0   戸田勝成 ○ 1.0
京極高知 ○ 10.0   真田昌幸 3.8

本多忠勝・井伊直政・松平忠吉の所領は徳川家康の、毛利秀元・吉川広家の所領は毛利輝元の領地に含まれます。

あなたが、輝元あるいは三成、もしくは西軍サイドで勝利したあとの処断・処遇を任せられたとしたら・・ どういった裁きをしますか?
歴史に詳しい方や、自分だったらこういう処断・処遇にするといった考えの方など、様々な回答をお待ちしてます!

A 回答 (5件)

関ヶ原で西軍の勝利は、ありえません。

西軍が勝利するなら、関ヶ原で合戦自体なかったのですよ。
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歴史にIFはない、とはよく言われますが、当時の人々の前にあった意思決定上の選択肢と、それを選ぶにあたって比較検討したであろう選択肢ごとの将来の予測は確かにあったわけで……



いわゆる架空戦記に、関ヶ原で西軍が勝利した設定の作品がいくつかありますので、機会と興味があれば読んでみるのも一興かと。

小生の見解ですが、当時は関ヶ原以外でも全国あちこちで戦になっていたので(最上対上杉とか、九州での黒田如水の活動とか)、史実で東軍がおさめたような鮮やかな勝利を仮定しないといつの間にやら再び元亀天正の世の中、戦国時代の再来になりかねません。当然この場合は処断も処遇もあったものではないです。

または、関ヶ原の戦いで史実とは逆に西軍が1日で鮮やかな勝利をおさめ、家康が首を取られたか、その身一つで(史実の三成のように)落ち武者になるか、したとします。
……ここで問題となるのは、西軍の事実上の中心人物である三成の身代があまりに軽すぎ(佐和山19万石)、かつ彼に対して朝鮮の役以来のわだかまりを抱える大名が(主に東軍側に)多いことです。関ヶ原の戦いに先立ち、毛利輝元が何かを主導した、という話は聞こえてきませんので、権威と武威をもって論功行賞を行える人材が西軍にいません……他の西軍側大老は、宇喜多秀家は若すぎかつ三成に近すぎ、また上杉景勝は関ヶ原にいませんでしたから、西軍を主導するにはいささか押しが足りません。
よほどうまくことを進めなければ、リストアップされている大名のうち、家康及び徳川家臣の面々の領地を配分するだけで大騒ぎ、東軍に参加した大名の減封はほとんどできず、下手をすれば論功行賞に不満な大名同士で第二ラウンド(そしてこれを止められる実力者がいない)、でしょう。

どうも、石田勢が正面から家康本隊を撃破・粉砕するような鮮やかきわまりない戦功(これができるような大名に文句を言える大名はいないでしょう)をあげない限り、あるいはそれに類する奇跡が起きない限りは、その後の情勢はよく言って「きわめて不安定」、と、小生には思えます。
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まず、関が原で西軍側が勝ったとして、そこで家康が討ち死にする可能性は極めて低いでしょう。

ま、勝ったにも関わらず家康は死んでいて影武者に代わったという説もありますが^^。まず、家康は落ち延びますし、徳川本隊である秀忠隊は都合よく無傷で中山道を進軍中です。ということで、家康が岐阜に逃げ込むか、策源地としていた清洲に入るか、それとも中仙道を長躯江戸に撤退するかは不明ですが、本能寺のときの伊賀超えのように再起すると思います。

まあ、しかし相当に力を削がれますのでどのような状況で講和が行われるかは一つに予想するのは難しいですね。家康の切腹は考えられません。家康が西軍側に徹底的な処断をし得たのは、天下を取りにいっているからです。それですら、西軍の大将にに祭り上げられた毛利を切腹させてもいませんし、消滅もさせませんでした。上杉もしかり。ということで、家康を隠居させて減封あたりがせいぜいだと思われます。会津の上杉と封地替えとか、小西、加藤の肥後一国という形で九州に飛ばす(これは少し無茶かもしれません)などでしょう。

さて、その他の東軍大名の処遇ですが。そもそも天下を事実上支配していると考えている西軍側は何を望んでいたかです。家康の政治からの排除です。できれば、何人かは徳川家を滅亡させたかったでしょうが、秀吉ですら出来なかったそれは、無理です。ということで、東軍側の多くが秀吉恩顧の大名であることを考えれば、減封、転封等はありますが、完全な徳川寄り、徳川家臣以外の切腹は考えずらいところです。

以上の前提で、その後の情勢を考えると、毛利と上杉と宇喜多そして三成を中心とした豊臣官僚大名との合議という名のもとの権力闘争という図式になりますが、圧倒的な軍事力と政治力がないところから、案外、安定的な長期政権が続き、その政権の特徴から鎖国はしないでしょうから、産業革命もいち早く吸収し、イギリスのインド進出のころには、日本もインドシナ、インドネシア、フィリピン等は経済的勢力圏にしているでしょう。朝鮮半島はおそらく実行支配していると思います。必然的に、ヨーロッパ勢力との経済的な衝突が中国をめぐって行われますが、これは圧倒的に地理的な条件で、豊臣政権の勝ちです。よって、現実の歴史の明治維新の頃には東アジア共同体が完成していることになり、20世紀にはヨーロッパ、アメリカ大陸にも経済的な影響をおよぼす世界帝国になっているでしょう^^;

歴史にもしもはありません。
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まず、東西両軍の配置が間違っています



徳川家康 ○ 255.0 西軍 毛利輝元 120.5

前田利長 83.0    上杉景勝 120.0
伊達政宗 58.0    島津義久 73.0
加藤清正 24.5    宇喜多秀家 ○ 57.4
福島正則 ○ 20.0   佐竹義宣 56.0
細川忠興 ○ 18.0   石田三成 ○ 19.4
浅野幸長 ○ 16.0   小西行長 ○ 20.0
池田輝政 ○ 15.2   増田長盛 20.0
黒田長政 ○ 18.0   小川祐忠 ● 7.0
加藤嘉明 ○ 10.0   大谷吉継 ○ 5.0
田中吉政 ○ 10.0   
藤堂高虎 ○ 8.0   安国寺恵瓊 ○ 6.0
最上義光 24.0   
山内一豊 ○ 6.9   織田秀信 13.5
蜂須賀至鎮 17.7   長宗我部盛親 ○ 22.0
本多忠勝 ○ 10.0   朽木元綱 ● 1.0
寺沢広高 ○ 8.0   赤座直保 ● 2.0
生駒一正 ○ 15.0   
井伊直政 ○ 12.0   長束正家 5.0
松平忠吉 ○ 10.0   毛利秀元 ○ 20.0
筒井定次 ○ 20.0   戸田勝成 ○ 1.0
京極高知 ○ 10.0   真田昌幸 3.8
脇坂安治 ● 3.3
吉川広家 ● 14.2
小早川秀秋● 35.7

脇坂・小早川は東軍的立場で行動をしています。特に小早川は一ヶ月前から東軍的行動をし、一週間前から石田とは連絡を取っていません。前日には松尾山の西軍を追い出し西軍側を向いて布陣しています。
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 すみません、回答になっていませんが、私では西軍勝利後の天下の仕


置きをする自信がありません。
 でも、とてもおもしろいテーマなので、ほかの方の回答に期待してし
まいます。おもしろい題材を提案してくださってありがとうございます。

 とりあえず、私が悩んでしまう理由ですが、徳川秀忠率いる本隊が手
つかずですし、もう一戦あると思うからです。さらに、関東に籠もった
徳川勢ともう一戦……、かなり長期間の内戦になる可能性もあると思い
ます。

 そして、多大な損害を出しながら、なんとか徳川勢を倒したあとは、
上杉と毛利による政権の主導権争いになるでしょう。徳川は倒したもの
の、また大規模な内戦が勃発するかもしれません。
 いずれにしろ、難しい政権運営になることは必至。
 そう考えると、なかなかいいアイデアが浮かばないのです。
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