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表題のとおりですが、この経験で人生が狂った、見たいな経験を教えてください。
若いころなら受験の失敗や就職の失敗、20代後半以降なら
離婚や失恋、株の失敗や会社の倒産、といった要因があるかと思いますが、教えていただければと思います。具体的なことやそのときの感情も教えていただければと思います。
また、その辛い時期をどのように乗り越えてリカバリーしたのかも
教えていただければ幸いです。
何卒宜しくお願いします。

A 回答 (7件)

今年の2月です。


友人を旅行に誘っていて、1月から話はしており、友人も行く気満々で、旅行前日から会うことになっていました。
ですが、旅行前日になっても全く連絡がなく、覚えてるものだと思ったので、あえて連絡がないのかなと思えば、全く来る気配がなし。
何かあったのかと思い、友人の自宅に確認の意味で電話をしたら、今度は家が話中。(友人はケータイを持っていない)
1時間くらいなら、本当に話中なんだと思うけども、5時間以上たっても同じ状態になり、旅行当日が来てしまい、埒が明かなくなり、友人抜きで実行。
旅行から帰宅して、事情を聞くために電話をすると、またしても話中。(旅行前日から数えて5日が経過していても同じでした)
さすがにここまでくると、病気か事故か事件可能性があると判断し、インターネットで検索すると、何と友人が、旅行に行く5日前に家庭内のトラブルで事件を起こしていたことが判明。
(おそらく、話中状態はその頃からだったんだと推測が出来ますが・・・)
時期が時期だけに、私は旅行に誘ったことが今回の事件の発端なのではと思ってしまい、また傍目からもそのように思われると悩んでいました。
さらに、私が旅行に誘ったことが原因で、私までもが他の友人から白い目を向けられるし、7年来の友人に対して軽蔑の目でこれからみていくことになるのかなと思っていました。
もちろん、7年来の友人ですのでショックは大きかったですし、それで3月に体調を壊してしまったのです。

7月に入った頃に、友人の母から私宛に、その事件になってしまったいきさつが書かれた手紙が届いたわけで、封筒を開ける前は「旅行が原因だった」意の叱責文なのかと思っていたのですが、近所のトラブルが原因だったこと、友人の母が友人とのコミュニケーションを取れなかったことの後悔の意の文などが綴られていて、私が原因だったこととかは一切かかれていませんでした。

誤解も晴れ、完全とはいえませんが、7月の手紙をきっかけに元気を取り戻せました。
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幼稚園に通う年齢の時に塀から落ちて折れた自分の骨が皮膚を突き破って飛び出しているのを見た瞬間が一番ビックリしました。


その後、再生は期待できない左肘に金属部品を埋め込まれて「左手はもう付いているだけ、動くことは期待できません。」と医師に言われ「ご飯食べにくくなるんだ。」と思った割に小学校中学年くらいには何故か動いてました。

大学時代に交通事故で右足が千切れたとき、痛さは凄かったものの転がっていた自分の足を拾って救急車に乗ると意外な冷静な対処ができたのは左肘の経験があったせいかなとも思っています。
(拾って行っただけで右足は残念ながらくっつきませんでしたが。)
半年以上の入院と、その後のリハビリもあって大学中退、さすがに一晩くらいは本気で凹んだ気がします。

なんとか職安(ハローワーク)で今の会社を紹介してもらい就職して結婚。
これで大きな事件に関わることもなく平凡に生きていける。と思ったら9年後に配偶者にカレシができたと一方的に告げられて離婚。(笑)
悲劇の主人公気分の自分にしばらくの間、酔って楽しむにも就学前を含めた2人の息子達は残して行ってくれたので、すぐにクレーマー・クレーマー生活に突入。
世の中の多くの女性がこなしている家事、育児、仕事の三本立ては不器用な私にはきつくて凹んでいる時間を作れるほどの余裕はなかったですね。
その割には恋愛する時間は捻出していましたが。(笑)

書ける範囲ならこのくらいです、もっと大きないくつかの残念な経験は検索されると個人名がばれてしまうので・・・。

ただ、よく思うのは私のような比較的大きめの経験では無く、ほんの些細なことで人生が狂って行く方が多いのではないでしょうか?

些細なことだけに頭でゆっくり考える余裕があって、自らが分かっているのに悪くなる道を選択してしまうのを何度か身近の方に感じました。
本当に追い詰められ、余裕を全て失った時には前しか見えず、前だけ見て進んでいれば何とかなるものだと私の少ない経験上では考えています。

そういえば、父親が会社を倒産させて個人の負債7億背負ったまま病気で死んだのは私が高一のときでした。

父親の波乱万丈っぷりに比べると私は、あの世から鼻で笑われていそうな気がします。^^;
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30代半ばで病気して、前の会社を辞めた時は、人生設計が完全に狂ったし、もう生きてる価値なしと思いました。

医者からは、病気が完治する可能性も低いと言われたし、社会復帰は出来るかもしれないけど、無理は禁物って言われたし。

2年近く実家に戻って療養してて、最初の半年ぐらいは、車の運転も出来なかったし、仕事を探す気にもなれなかったし、第一、外出は通院の時のみ。年度の変わり目に、国民健康保険証が送付されてきて、あぁ年度変わりの時期かぁ、だけど、自分だけが世の中から本当に取り残されてる気持ちでした。

実家戻って10ヶ月目ぐらいだったかな、犬のワクチン接種で獣医さんのところに車に乗せて連れて行って、全然知らない人と色々話ししたり、犬の散歩に出かけて外を歩くようになってから、散歩の途中でまた他の飼い主さんと話したりして、少しずつ外を歩けるようになって。

実家に戻って2年近くなって、また外へ出ようって気持ちが強くなってきて、30半ばの女が一人食べていかなきゃいけないわけで、親は無理しなくていいよって言ってくれるけど、親がいつまでも生きてるじゃなし、必死に就活して今の会社に入りました。

今は40半ばよりちょっと前で、収入の面から行けば、前職のような報酬は無理だけど、それでもなんとか手直ししながら、将来設計も立てていけてるし、病気とは、長いお付き合いと思ってます。最悪の頃は、一人で起き上がることもできなかったし、今は2カ月に一度の通院でいいんで、付き合っていくしかないか、と。

落ち込んだ時は、こんな最悪な人生って・・・って毎日そればかり思ってましたけど、その時の自分がいるから今の自分があるから反対によかったのかな、なんて思ったりしてます。
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数年前、凄く好きな女の子(学生ではない)がいてその彼女の好みに合わせて自分を思いきり変えた事がありました。


大学の後半で、就活とか凄く大事な時期だったんですが、異常にワガママな彼女になにもかも合わせておおいに身を持ち崩しました。
夢中になって色々見失なった自分が悪いんですけどね。


そんなわけで、大学を留年して、就活も放棄して世間的に後ろ暗い仕事をして食べていました。(それも彼女の趣味でした)

その後彼女にフラれ、必死に社会復帰しました。
ひどく落ち込みましたが、食べていくために何かを頑張っている時はその彼女を忘れていられる時間でもあったので打ち込めました。
その後、本当に私を心から大事にしてくれ、私も全力で大事に思える別の彼女が出来、つまづきながらですが今生きる事ができています。

色んな事がありましたが、恨んだり私以外の誰かが悪かったとは思っていません。

遠回りだったけど、今は幸せに向かっているので後悔はありません。
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無礼なお礼をされたこと。

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結婚した事ですね。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

結婚というと、一般論では非常にいいことのように
思われるのですが、別の面もあるのですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/09 23:54

私の場合は、子供の頃から勉強苦手で


勉強嫌いな子供でしたので高校も中退してしまいそれで人生が狂いましたね。
自分としては、中学生からパソコンをやり始めたので
社会人になるときは、パソコンを使った仕事がやりたかったんですが
高校中退なので、専門学校にも入れず、夢叶わずでしたね。
たぶん、勉強がそこそこ出来ていたら好きな高校にも入れただろうし
専門学校にもいけたはずなので夢は叶ったでしょう。
でも、機械をいじるのが好きという趣味もあったので
車の整備士の方に道を勧めて、現役でやっています。
夢が叶ったとしても、パソコンを使う職業でずっといけたかどうかはわかりませんけどね。

ちなみに、私が中学時代のコンピューターはパソコンとは言わずに
マイコン(マイクロコンピューターの略)と呼ばれていました。
当時のマイコンは、今のようにマルチではなかったし
プログラムをして自分でゲームを作るというのが主流みたいな
使い方でしたので、知識のない人が気軽に使う事ができなかった
コンピューターですね。
昔の機種、MZ-80とかPC-8001とかですね。
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