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こんにちは。私たちは最初の外国語として中学校から英語を学びます。
一部、英語なんか勉強しても役に立たないと言っている人もおりますが、ここでは英語の苦手な人の愚痴として無視します。
さて、日本の公立の中学校では英語の授業が週3コマしかありません。これは少な過ぎます。(しかし、センター試験の英語だって満更易しくないので、その分 高校にしわ寄せが来ますが。)
そして、大学までは多くの生徒は英語以外の外国語に触れる機会さえ与えられません。
数年前、高校での世界史の未履修が問題になりましたが、国際化を唱えるのなら 外国語教育にももっと力を入れるべきだと思います。事実、在日外国人の大半は英語を話しませんし、日本にとっても外交上重要な、中国、韓国、ロシア、タイ、ベトナム、インドネシアなどの近隣諸国はみな非英語圏です。
他の国の外国語教育事情を見ても、ヨーロッパ諸国は中等教育で2つ3つ外国語を習うのが普通ですし、お隣の韓国でも高校では第2外国語を履修します。
そこで質問です。日本はなぜ他の国に比べて外国語教育にあまり力を入れていないのだと思いますか? 外国語よりも理数系の教科を重視しているんでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

 「外国語教育にあまり力を入れていない」のではなく、力を入れる必要がさほどない(力を入れたい人だけ力を入れればよい)ということだと思います。

私は理科系の教育研究職におり、発展途上国やアジア近隣諸国の方々と話す機会がよくあります。これらの国では、自国語で書かれた自然科学や社会科学のメディア(書籍など)があまり整備されていないことがあります。日常生活は自国語で足りますが、それを越えて上を目指すには他国語を理解することが必須であり、自国の発展のためには外国語で書かれた情報を読み解く能力が必須です。こういった国々では小さい頃からの外国語教育は国策として重要なポイントでしょう。
 では、日本はどうでしょうか。日常生活以上の学術情報や政治経済情報なども、ほとんどすべての情報を日本語で入手可能です。大学での講義も、日本語で書かれた優れた教科書が多くあり、高度な専門性を要する学問でさえ、日本語で教授して十分にその中身を講釈できます。もちろん、外国語教育は重要です。学術論文の多くは英語ですし、外国語をこなせるとカッコいいし、外国人とのコミュニケションはスムーズになりますね。でも、小さいころから積極的に外国語教育を行わねばならないほど、情報伝達ツールとしての日本語の位置づけが低いわけではありません。日本語での情報伝達をもっと尊重すべきですね。
 逆に、資源国でない日本は、理数系に長けた人材を育成するほうが国策として間違っていないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>日常生活は自国語で足りますが、それを越えて上を目指すには他国語を理解することが必須であり、自国の発展のためには外国語で書かれた情報を読み解く能力が必須です。こういった国々では小さい頃からの外国語教育は国策として重要なポイントでしょう。
確かに東南アジアの諸国はそういう必要性が高いですが、フランスとかイタリアは、外国語は近隣諸国とのコミュニケーションの手段として重要視しています。

なるほど、日本の優れた技術力も理数系長けた人材を育成したおかげですよね。

お礼日時:2009/12/27 21:33

wy1です。

ゲーテやグリムを原文で読むことが本当にマニアックでしょうか?英語が本当に絶対的に我々の生活に必須な物なのでしょうか? ただ、外国語を学ぶことは専門が何であろうとも、俗な言い方の"頭の程度”を測る為の材料の"一つ”だと考えられるのでは?

>>一部、英語なんか勉強しても役に立たないと言っている人もおりますが、ここでは英語の苦手な人の愚痴として無視します。<<

上記をそのままあなたにお返しします。
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この回答へのお礼

今回は誤字脱字がないようですね。

お礼日時:2010/01/03 16:02

日本語です。

世界中で日本語だけ、言語の性格、パターンが違うからです。だから日本人は、神から選ばれた民族か?宇宙人の子孫か?と思う程、日本語は、特殊で変わっています。まず発音の仕組みが違います。子音、リズム、アクセンとが弱いので、自己主張、自己表現が出来ません。しかし母音が強いので、脳が休み情緒が発生します。外国語は、中国語でも、英語でも、反対で、子音、リズム、アクセントが強いので、脳を自我を刺激して、自己主張が強くなります。しかし母音は弱いので、情緒は発生しません。この日本語から情緒が発生するという特徴が、日本語をむずかしくしています。言語の目的は、外国語は用件だけですが、日本語の場合は、用件と情緒のふたつがあります。むしろ日本語は、情緒のほうが重要です。だから外国人は、情緒が理解出来ないので、日本語は、理解できません。しかし情緒は、人を癒し、人を育て、社会を調和に導きます。新しい時代は、情緒の時代です。情緒を理解する事が、新しい時代の鍵です。幸い日本人は、日本語の影響で、行動パターンが、情緒思考です。また日本の伝統文化は、情緒思考文化です。だから日本は、情緒に溢れた国です。だから日本は、情緒時代の手本です。人類を導く、役割があります。
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オーストラリア在住25年です。

日本の教育についてはただの推測です。

日本で学力低下が問題になり、授業日数も減りカリキュラムを詰め込むのが非常に難しくなった、とは聞いてます。そこで大学進学に必要な科目に絞られてきた、ということではないですか?

本来語学・音楽・美術・体育は必要度Bクラスと扱われてると思います。つまり、したい人はすればいいけど、しなくたっていいよ程度の。またこのグループは、センスのある人が習得が早い、生まれて持って来た才能がものをいいます。

アイススケートでいうと規定(決められたコースを正確にできる技術)と自由(表現力・想像力を求められる)の違いです。技術は練習量が一定に達すれば習得できますが、表現力には無理な人が出ます。だから、プロでその道を究められたら偉いですけど。

しかし中学校で将来金融・公務員・技師・流通・製造等の職業に役立つよう基礎教育を叩き込むとしたら、やはり主要4教科は押さえたいし、世の中が若年層の生活センスの現実ばなれを心配して生活科なんて増やしたら、英語は結局自分の時間で自分のお金で勉強すれば、と民間におろしたいところ。

必要だから国が面倒みてくれる訳ではないですね。認知症の老人だって末期ガンの患者だって、自宅で責任とって面倒見て下さいっていわれてますから。年金だってもらえないかもしれないのに。

英語はこれからの世界の共通語として誰もが話せて当然になります。日本語に並んで英語科目は必修になります。それは外国語のレベルを上回り、いわゆる世界標準語で、日本語の方が現地語として残るという逆転現象がいずれおこります。

時間もモスクワ時間とか日本時間とかはなくなり、世界の標準時になるでしょう。でないと、ミーティングが設定しづらいのなんの。サマータイムなんて最悪。

脱線しましたが、オーストラリアでは第二外国語は個人で選択します。フランス語や中国語ギリシャ語日本語とさまざまで、語学を取らない子も半数はいます。必要性より教養科目としてまるでピアノを練習するように。英語がすでに身に付いてますからそれで世界の人と会話できる訳で、英語圏の子供たちの外国語への興味は最低でしょう。

ヨーロッパは別です。隣国との共通語が英語になっちゃうんですから。どちらも下手な英語で会話します。

英語は就職に必要で、となると自動車免許並みになるかもしれません。会社が負担する事もあるし、自己負担も当然と。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

幾分見当違いな回答をされています。

>日本語に並んで英語科目は必修になります。
“本来語学・音楽・美術・体育は必要度Bクラスと扱われてると思います。”の部分と矛盾していませんか?

>認知症の老人だって末期ガンの患者だって、自宅で責任とって面倒見て下さいっていわれてますから。年金だってもらえないかもしれないのに。
オーストラリアはどうか知りませんが、服役囚は刑務所が面倒を見てくれます。

>ヨーロッパは別です。隣国との共通語が英語になっちゃうんですから。どちらも下手な英語で会話します。
これも一概に言えないでしょう。

お礼日時:2010/01/02 10:38

前の方も言っておられましたが、現在の教育への政治家の関心は最低だと思います。


制度自体も終戦後と余り変わっていないと思います。綿は間違いなく"文法”"読み”を主とした
英語教育を受けました。アメリカ兵やその他の連合軍兵士がオーバーに言えば、日本中にごろごろ
いた時期に英語を習い始めました。一年の時はかなり古典的な、イギリス式の教科書でした。2年生の
時は"Jack and Betty"でかなり違った様子のないようでした。今では一寸古臭い内容でしょうけど、当時としては、口頭でも言葉を含んだ今でも使える内容でしょう。今の教科書を好く知りませんが、取り扱い範囲はかなり縮小されているようですね。文法もそれなりに高校まで鍛えられました。聴解力は学校以外の場で身に付けました。今でも、そうなるであろうと思います。一週間に一度ですか、公立の中学で外国人の英語が聴けるのは? 

第二外国語ですか。確かに、高等学校で第二外国語を履修できるとことは10%もないでしょう。日本の政府、社会全体が米国一辺倒から189度転換しない限り、多くの学校で英語以外の外国語を学ぶことは出来ないでしょう。現在、検定済教科書は英語のみ存在しています。以前はドイツ語やフランス語も有ったようですが。ドイツ語は東京堂書店で学生時代に立ち読みしたことがあります。採用数が少なくて、採算が取れず、止めたのでは? それと、ドイツ語やフランス語の教員免許を取っても使い出がありませんね。私はと何時語教職単位は取りましたが、免許の申請はしませんでした。息子は使う場が無さそうだということで授業の登録をやめたそうです。

世界中英語で済まそうとしているアメリカと日本である限り、本当の国際教育などありえませんえ。綿h氏は偶々興味がドイツへ向いたのでドイツ文学を専攻しましたが、今は文学と言うよりドイツ語とその有る地方の言葉に興味を覚え、ポチポチ遣っています。英文学を専攻していたら(大学に入る前は英語教師を目指していました)、現在のようなことはやっていないでしょう。
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この回答へのお礼

>前の方も言っておられましたが、現在の教育への政治家の関心は最低だと思います。
前の方は政治家のせいにしていましたが、官僚の考え方のレベルが低いんでしょう。でも、そういう官僚に教育を委ねるという点では結局 政治家の教育への無関心が原因でしょうが。

>日本の政府、社会全体が米国一辺倒から189度転換しない限り、多くの学校で英語以外の外国語を学ぶことは出来ないでしょう。
鳩山首相が米国一辺倒からの転換を模索しているようですが、転換したところで これが直接外国語教育に反映されるとは思いません。

>世界中英語で済まそうとしているアメリカと日本である限り、本当の国際教育などありえませんえ。
本当の国際教育が実現しても、ドイツ語の人気は次第に落ちていくでしょうね。今時、グリムやゲーテを原文で読もうとするのはマニアックですからね。

お礼日時:2009/12/30 15:51

ドイツ在住です。



日本の場合には、外国語教育に力を入れていないのではなく、教育に力を入れていないのだと考えます。この情報化社会の中で情報は力です。あふれる情報を整理して分析し、新しい構想を作り上げていく。それが力となって行きます。しかし、衆愚政治を行いたい日本政府または政治家・財界と呼ばれる富裕層(民主とか共産とか言っていても資産を持っている人がほとんどですよね。現首相・自民系は言わずもがな。)にとっては、外からの生情報は歓迎できないものが多いです。そのため、少ししか存在しない外国語教育も、実際には使えない意味のない教育しかしません。教師自身がそういう教育しかできないように養成されてしまっています。多くの試験が選択問題になっているのもこうした衆愚政策の一環です。

しかし、日本における外国語教育と欧米における外国語教育の違いは、政治的な意味だけでもありません。
欧米諸国で中等教育で二つ三つの外国語を習うと例に出していますが、彼らは英語とヨーロッパ系の言葉を習うのが普通です。(旧東欧はロシア語が最初でしたが) 最近では減りましたが、ドイツのギムナジウムやフランスのリセーなどではラテン語が英語の他に必修でした。ラテン語は日本で言えば漢文・古文にあたります。彼らの14世紀15世紀までの古典はすべてラテン語で執筆されているからです。とすれば、彼らもやはり英語だけを外国語として学んでいることになります。最近ではラテン語の代わりに近代外国語を教える学校が増えてきていますが、単語や文法など近いんですよ。それから移民系の子どもなどがそれらの第二外国語を選ぶことが多いです。つまり家庭ではその言語で生活していたりする。また、おじさんやおばさんが関係してくるなど、子どもの頃から身近にその第二外国語に接していることが多いです。

日本語からの場合、状況が異なります。韓国語などは少し近い言語かも知れませんが、日本語から第一外国語までの英語の距離が欧米諸国とは比べモノになりません。それを習得するためには、一定期間集中する必要があるでしょう。最初から二ヶ国語を併行して勉強するのが良いとも思えません。また、日本語自身が漢字・ひらがな・カタカナと三つの文字システムを併用したややこしい言語となっています。これをしっかり勉強しなければ、外国語を勉強する土台がありません。小学校からの英語教育が議論されることも多いですが、日本語の基盤がない段階で英語教育を入れることが本当に良いとは思えません。考え方の土台、言語の土台が崩れていく気がします。海外在住日本人の子どもたちが日本語の習得に苦労するのは、そうした文化的背景がないところで家族と日本語学校という隔離された社会の中で生活していることが起因していると考えています。
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この回答へのお礼

些か破天荒な御回答なので、賛同しかねる部分もありますが、参考意見とさせていただきます。議論になるとことを危惧し、詳細なコメントは差し控えさせて頂きます。

お礼日時:2009/12/29 02:01

私が中学生の頃は、確か英語は5時限授業があったと記憶しています。

少なくとも3時限ではなかったですね。英語は中学、高校と得点源でした。実生活では仕事以外(毎日英語を読み、書くことが業務の大半でした)には使ったことはありませんでしたね。今は、使わざると得ない時には使う程度ですね。
日本は国内で暮らしている限りでは、本当の意味での外国語は殆ど不要ですね。私が高校に入る前は、公立高校でも第二外国語の授業を開いていたところが有りましたね。受験受験と騒ぎ出した頃から、少なくなったのでしょう。昔の、中学の指導要領の外国語には英語以外に、ドイツ語とフランス語が扱われていました。即ち、教科としては”外国語”であり”英語”ではなかったのですが、現在ではどうなっちるのですかね。しかも戦後の新学制度において、かなり長期間中学では”必須教科”ではなかったのです。そんなエイドなのにも関わらず、先見は英語英語と騒いでいますね。そして、大学入試でも英語は必須ですね。

ところで、話の方向が一寸違いますが、あなたは”日本語”の使い方を学校教育で受けたことがありますか? 徹底して言葉/表現の使い方や文章の書き方など、教わったことがありますか? 所謂国語の授業は
”文学鑑賞”になっておるのでは?また、漢字の書き取りも大変重要ですが、漢字個々の意味なども不充分のように思います。外国語教育も大切ですが”日本語教育”をもっと確実に行うべきでしょう。その上での外国語教育なら3時限でも効率よく実施できると思います。時間数よりも、明確な目的が無いといけないと思います。 


 
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この回答へのお礼

>ところで、話の方向が一寸違いますが、あなたは”日本語”の使い方を学校教育で受けたことがありますか? 徹底して言葉/表現の使い方や文章の書き方など、教わったことがありますか?
これは高校の選択科目である「国語表現」で習いましたが、そんなのは小学校のうちに習うべきでしょう。

>所謂国語の授業は
”文学鑑賞”になっておるのでは?
そうですね、国語の授業は文学偏重ですね。

>その上での外国語教育なら3時限でも効率よく実施できると思います。時間数よりも、明確な目的が無いといけないと思います。 
これは少年時代のwy1さんのように利発な生徒を選抜して、文法と訳読を中心メインにして自習課題を増やせば可能ですが、今は時代が違います。

お礼日時:2009/12/28 12:58

>日本の公立の中学校では英語の授業が週3コマしかありません。


えっ!そうなの???
それは知らなかった。
ヨーロッパ某国で、小学1年生の時間割を見たことがありますが、それでも3コマ以上あったような・・・・・

私は、必ずしも早くから英語を勉強はする必要は無い、と思っているのですが、中学で3コマはショックです。
自分のときがどうだったかは覚えていませんが、3コマじゃ、やってもやらなくても同じでは・・・・

>なぜ他の国に比べて外国語教育にあまり力を入れていないのだと思いますか?
私見ですが、外国と積極的にコミュニケーションをしようという気概が少ないからではないでしょうか。要するに、下でもどなたかが書かれているように、日本語でみんな用が足りるのに、なんでわざわざ外国語を勉強せなあかんの?というわけ。

ヨーロッパあたりにいくと、地続きということもあるのでしょうが、みんな近隣の国の言葉を少しぐらい知っているんですよね。
だから、私は良く聞かれます。「中国語や韓国語も少しはしってるんでしょう?」
お恥ずかしい話しながら全然なのです。まあ、悠好、再見くらいは、知っているけど・・・・(字、あってるかなぁ?)

私は外国で、韓国の方と日本語で話をしたことがあります。
その方の会社は日本と関係があって、日本語の勉強を奨励しているのだそうです。きれいな日本語を話すんですよね。私はちょっと恥ずかしくなりました。
早速、韓国語の教材を買い込んだのですが・・・・・まだ開けてない(だからあまり偉そうなことも言えないのです)。

>外国語よりも理数系の教科を重視しているんでしょうか?
いや、理数系は理数系でないがしろのされているのです。
最近はあまり聞かないけど「微積分なんて何の役にもたたない」と大真面目に公言する人が、一昔前はごろごろいたものです。
「ゆとり」の例をもちだすまでもなく、日本はそもそも学校教育を重視していないんですよ、たぶん。
・・・・・これからどうなってしまうのやら。
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この回答へのお礼

>いや、理数系は理数系でないがしろのされているのです。
ないがしろというより、生徒の理数離れが進んでいるのではないでしょうか?

お礼日時:2009/12/28 13:02

>日本はなぜ他の国に比べて外国語教育にあまり力を入れていないのだと思いますか?



2つ3つ言語を習得しなければならない国と比べて、
本気で全国民が外国語を必要としていないからでしょう。
一部の人だけで。
よく言われることなのでご存じだと思いますが、
複数言語を習得する国は、必要に迫られてやっていることが多いです。
国内に言語が多数存在するから共通言語が必要だとか、
英語でなければ高等教育を受けられないとか、英語が出来ないと出世出来ないとか。

必要あれば日本人もやります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E8%A9%9E

議論する気はありません(規約違反になりますし)
悪しからず。
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この回答へのお礼

回答お疲れ様です。特にコメントすべき点はありませんので、あしからず。

お礼日時:2009/12/28 00:54

「国際化」を唱えるなら、自分の国についてもっと学ばせるべきではないかと思います。

外国語はその後でいい。
世界史どころか、日本史さえも必修として教えない。自分の国の歴史をないがしろにするなんて、世界の中でも異常でしょう。「国際化」のレベルに達していない者に、外国語をおしえてもなぁ~という無力感があるのでは?

ただし、勉強したい者にはいい国です。いい辞書があるし、参考書もある。
ラジオ講座があるし、テレビでも何かやっている。
やりたい者には学べる環境がある。これはすばらしいことだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>「国際化」を唱えるなら、自分の国についてもっと学ばせるべきではないかと思います。外国語はその後でいい。
なるほど、そういう意味では外国語は高校、いや大学からでもいいことになりますよね。

>世界史どころか、日本史さえも必修として教えない。自分の国の歴史をないがしろにするなんて、世界の中でも異常でしょう。
日本史は一応は中学で習いますからね。ただ、外国と比較するのはナンセンスかもしれません。長くなるのでここでは省きますが、お望みなら議論にお付き合いしますよ。

お礼日時:2009/12/27 21:28

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