重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

電子書籍の厳選無料作品が豊富!

1 自分が神経症だと気付いたのは何歳ですか?
2 何歳ごろから発症していたと思いますか?
3 これが原因だなって思い当る事ってありますか?
4 家族にも神経症の方いますか?
5 今、良くなってますか?

よろしくおねがいします★

A 回答 (4件)

こんばんは No.2です



お答えしておきますね。
父親は、どれほどだったのかも分かりませんし、
その時代に「適応障害」と言う言葉(医療にも)があったかどうか?
分かりませんから。

私も、倒れたんですよ、郵便局で。
そこで初めて、抑うつ神経症「適応障害」の診断を受けましたから、
全く分かりませんでした。

環境は書かれているとおりです。
すいません言葉が足りませんでした。
自分の力を出せる環境にしっかりと身をゆだねられれば、
さほど難しくはないようです。

私の場合は、会社勤めには向いてないです。
上司や仲間、部下もあるのかもしれませんが持ったことありませんので
ここの関係が、うまく行かないと、まず無理です。
 #私は、上司に当たる人に運がないのかもしれません。

なので一人ですが、これはこれで辛いです。
何せ全責任は自分ですし、ほかに頼りようがありません。
あるときには、自分の感情を抑えるので必死だったりもします。

妃殿下におかれても、おそらく「力を出せない!」と思われて
いらっしゃるのではないでしょうか?
 #私と同じ「適応障害」だとすると、
 #こういうことはよくあります。

ちょっと蛇足でした。
    • good
    • 0

 強迫性障害に罹っている者です。



1 21歳の時にこのサイトで相談して知りました。
2 18歳の時には既に発症していたと思います。もしかしたら、というレベルの話なら15歳の時に思い当たる節があります。
3 私の場合他人の鼻を啜る音が耐えられないのですが、昔鼻の病気に罹っていた事が関係あるのではないかと思います。気付いたら鼻水の音に我慢できなくなっていたので、これが原因という物は無いと思います。
4 いません。
5 薬を服用して1年程経った時に少し良くなったのですが、また少し悪くなりました。それでも、薬を飲む前よりはよくなってると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

鼻をすする音に耐えられないっていうのもあるのですね。

なってしまうとなかなかすっきり治るって難しいのでしょうか…
これからの季節、ちょっと辛いでしょうが、これもある意味治療ですよね、がんばってください。

お礼日時:2010/03/05 11:40

解答しにくいけれど・・・。


まぁ、書かないとね。

抑うつ神経症からの適応障害です。
 #現在、大学の講師(非常勤)をしながら、細々です。
 #当然いい年して独身ですが。男の一人暮らしも辛いですよ^^;

1は、診断がでたときでしょうか。27歳かな?

2はねぇ~、これちょっと微妙なんですが、
大学が電気工学だったのですが、卒業研究をパクられましてね><
研究室ぐるみで、どうにもならなくて(今は電気工学から離れた
数学をやっています)、多分このときだと思うのですが・・。
感覚でしかないですから分かりません。

3は、2で書きましたね。あと、郵便局勤めもしたのですが、
局長さん(女性でした)と、どうしても溝があり、
吐血しましてね。これが27のときですね。

4は、家族にはいません。父親は同じ傾向のようです。
「適応障害」があったのではないか?と、父親も言っています。
 #会社から独立して自営業やっています。

5は、当然のように、治っていません。医者に言わせると
「環境が見つからない限り治らない」。
大学の学閥のようなのがあるのですが、入るのがいやです。
ずっとフリーです。あちこちながれていますね。

余談ですが、雅子妃殿下とほぼ同じ症例になるようです。
環境を変えないと治らない、のなら、妃殿下も大変です。
 #それはもちろん私にも言えます。
m(_ _)m
    • good
    • 0
この回答へのお礼

卒業研究はとても優れたものだったんでしょうね。ひどいですね。
電気工学から離れてしまってちょっともったいないですね。でも、体のが大事です。

郵便局勤めのストレスで病院に行って、それまでは自分が適応障害であるとは気づいてなかったんですよね?
お父様は傾向はありつつも、問題ないんですね。よかったですね。

環境が見つからないとは、自分に適する環境ということでしょうか?
しかし、フリーでどこにも属さないでいれるって、心が強いですね。
私は1人だと不安になってしまうので…

本当にありがとうございました。

よくは知らないのですが、雅子妃殿下は大変なところに嫁がれたな、と思います。どうにかならないんでしょうかね…

回答して頂いてありがとうございました。

お礼日時:2010/03/05 11:25

 神経症にもいろいろな原因と症状があるようですが、よく見かけるのが通勤恐怖症、電車やバスに乗ると気分が悪くなったりトイレに行きたくなったりする、あれも見ていて辛そうです。



 でも、私の場合はちょっと特殊なケースかも知れません。女子高の頃に男の子にレイプされかけて、とても恥ずかしく怖い思いをしたことから、男性ばかりでなく、同性にでも冗談なんかで強く抱きしめられたりすると、あの、なんだか胸が締め付けられ、宙に浮いてしまうような恐怖感に襲われるようになってしまいました。

 成人してから、恋人も出来ましたが、その彼に求められるままに・・・、でも駄目でした。愛していると強く熱く抱かれただけで冷や汗が出てしまう感じ、ましてや男性の裸体を見るともう全身に鳥肌、どうしても彼の愛に応えることが出来ませんでした。失望した男性はそのまま去って行き、その数も次第に何人にも及びました。

 皮肉なことに私の叔母は性心理学の本を出版しているほど、でも、とても身内には話せる話じゃない。とても人には言えない、なんとか自分の力で治そうとマインドコントロールを続けましたが、そんなことでは少しも改善は見られませんでした。

 だから結婚は諦めました。とても好きな方が出来たし、彼もいずれは私と結婚するつもりでいたらしく、家族にも紹介され、穏やかなご両親からもとても気に入られました。でも、結婚は出来ない、その理由もとても話せない、好きだからこそ話せない、それが内心どれだけ重荷になったことか。

 そんな時、ある知人がひとりの男性を紹介してくれました。というより、あれははっきりとお見合いだったと帰り道で気がつきました。好きなタイプではなかったけれど、でも背が高く、ガッシリとして頼りになりそうな人でした。

 どっち道、結婚なんて考える相手じゃないと最初から決めていましたから、軽いお付合いならOKと言いました。でも、一度だけのつもりが、ぐいぐい引っ張られるままに二度三度と。そしてある夜、今夜は・・・と求める彼に、自分の恐怖症のことをすっかり打ち明けてしまいました。できたら、私がどんなに抵抗しても無理やりにでも抱いて欲しいと言いました。一度経験できてしまえば、もうそれで恐怖症は治ってしまうかもしれないと考えたからです。

 ラヴホテルに行き、ふたり着ているものを脱いで枕を並べながら、彼はいろいろなことを静かに話して聞かせてくれました。それから、身を起こすと私をそっと、ほんとうにそっと抱きしめました。私は覚悟を決めました。でも、彼は無理はしませんでした。やさしく愛撫しながら抱きすくめた、そのままでひと時を過ごしただけでした。そうしたデートが何度か続いたある日、私はいつの間にか彼を自然に受け入れていました。

 それが嬉しくて、ベッドの中で大声で泣きました。そして決めました。一生この人について行こう、どんなことでもしてあげようと。彼、今は主人です。ちょっとエッチだけれど優しい良い旦那様です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。
予想外の回答でして、ちょっとびっくりしてしまいました(笑)

大変だったけど、今はお幸せになられたようでよかったですね。

お礼日時:2010/03/05 10:48

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!