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死後の世界の説明の中で、正しい教えはどれですか?

大学卒業間近の女学生です。

最近「霊的世界のほんとうの話」を読みました。人は本当は霊的存在であることや、死ぬとすぐに肉体を脱ぎ幽界や霊界や一部地獄界にとありました。

この点は、スピリチャルカウンセラーの、江原さんなどの説明と似ているので正しいと思いました。
しかし上記のタイトルの本には、精神世界をきちんと理解しないと地獄に行くなどや、この世に建設された建物が、壊されたりすると、あの世に現れる。

また、著者はイエス様と友人であるなどが書かれていて、少し信じられません。

私は自分が死んだとき、病死だったらきちんと自分の死を受け入れると思います。しかし事故死だった場合は、きっとパニックになってしまい、未浄化霊になってしまうと思います。

どんな死に方でもきちんと行くべき世界に行けるように、正しい精神世界を知りたいです。どの方のおっしゃる精神世界の説明が正しいですか?

わかる方教えて下さい

A 回答 (14件中1~10件)

私もあなたの様に興味を持って、本を10冊以上読みあさりました。


それで自分なりの答えを書かせて貰います。

私はこの世とあの世は似てるんだろうと思います。
「死んで地獄に行く人は、生きてる時も地獄に居ます。」この意味分かりますか?。生きてる時に人を騙したり、憎んだり、苦しめたり、すれば「類は友を呼ぶ」法則で自分の周りが同じ様な人間ばかり集ります。これは地獄にいる状態だと思います。死ねば引き続きこの状態が維持される訳です。ですから実際には地獄は存在しないのです。地獄とは生きてても死んでても同じ、自分で作り出した世界なのです。
天国も逆の事が言えます。
人の為に何かをする。人の幸せが自分の喜び。こういう人間には、同じ人間が集ってきます。これは天国だと思います。死ねば引き続きです。結局自分で作り出す世界なのです。

ここから学んで今をどうすべきか?という事になろうかと思います。
「今を精一杯生きること」だと思います。可能ならたとえ苦しくても「崇高な精神」で、です。
この世の苦しみは、これを試されてるとも言えます。

これが私なりに考えた答えですかね。私は何処の宗教にも属してません。必要性が分からないし、どうもうさんくさいから嫌ですね^^;。ご参考にどうぞ。
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この回答へのお礼

類は友を呼ぶって感じですかね…

最近はこの世も地獄の一部とさえ思ってきました。貴方のお言葉はとても心に浸みましたが、その感想を上手く言葉に出来なくごめんなさい。

ただだだ心が圧倒されました

お礼日時:2010/03/15 11:01

こういう話になると現実問題と精神世界の問題がごっちゃまぜになって何が何だか分からなくなる事が有りますがその辺を十分理解して戴いて話を進めます。



宗教家が言っている事はそういう心で生きれば充実しますよという話であってそれが現実の問題とは限らないという事です。
ですから深く考えれば矛盾のオンパレード、とてもじゃないがまともに扱えませんが心の問題と割り切ればすんなり納得いきますね。

要するに批判精神をかなぐり捨てて脳みそのスイッチを切れば何でも普通に受け入れられるわけで宗教とは正にこれですね。
ですから宗教的な意味を言っているのか現実世界の話を言っているのかで全く異なる話になる訳でそこの所をはっきりさせた方が良いと思いますよ。

ですから
死後の世界をどういう風に捉えれば人生を有意義に過ごせますかという質問と死後も意識は本当に存在するのかという純粋に科学的な問題を分けて考えなければ混乱するばかりです。

現実問題として死後の意識など有ろうはずが有りませんがそれを有ると詭弁を弄する事で人生を有意義に過ごせるならそれも又良いんじゃ有りませんか。嘘も方便という諺も有りますからね。
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天国が特殊な世界だったら、宗教を別にして、これほど多くの人が信じる事はないでしょうね。



普通に生きていれば普通に入れるから天国なんですよ。

不成仏霊は死に方で決まるのもではありません。
この世への思いの強さで決まるのです。
人が死んだ時、死を受け入れるような仕組みになっています(これをお迎えという人もいます)。しかしこの世への思いが強すぎると『受け入れ』に抵抗してしまうのです。これが不成仏です。
事故死であろうと、殺人であろうと受け入れた人はちゃんと成仏します。そしてそれは簡単に拒否できるものではありません。
また思いが残っている事が全て不成仏でもありません。

例えばよく江原さんの番組では亡くなった人の思いが紹介されますが、これは不成仏と言うのではありません。
魂は既に霊の世界にあっても、この世への思いは通じるのです。

といってもこれも仮説以外の何者でもありません。
大体「絶対」とか「真実」なんていってる人ほど嘘つきはいません。
なぜなら誰も証明できないからです。

多くの人の言う事が近いのは、過去に主張した人、たとえばエドガーケイシーなどの影響を受けているからに、ほかなりません。
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この回答へのお礼

私は4月から、就職し自分の使命感を果たします。だから使命感を果たさずに、不慮の死に方をしたら、未練を残してしまうように思います。だから、今は死ねないのです。

もしかしてこれこそ物欲主義であり、魂にとってはよくないかもしれませんね。

お礼日時:2010/03/15 10:55

それは釈尊でしょう。

死後の世界はすぐ次の生命となるので来世と言います。死転生死転生とこのように輪廻を繰り返すだけでどこか別の世界に死後の世界があるわけではありません。

天国も地獄もこの世にあります。戦争地帯に転生すれば地獄でしょう。

輪廻は学ぶと六道でなく十道十界が正しいとわかるでしょう。そしてそれは百界あり一念三千と解明され,事の一念三千<連興目事の一念三千まで理解できると一番深いものに到達でき、それが答えとわかるでしょう。

非常に難しいが、そこまで行くと成仏でき、来世も人間に生まれることができるでしょう。
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創価学会を辞め日蓮正宗法華講に入ったばかりのものです。

青年時代は真理を求めていろんな宗教を渡り歩いた者です。宗教評論家とも自負しています。
死後の世界は聖書やコーラン、仏典、様々な宗教などに共通して存在を解いてあります。このことから死後の世界は存在するものと思って間違いはないでしょう。
本は自分は500冊は読んでいると思います。1000冊に達するかもしれません。シルバーバーチとか高橋信次などにも凝りました。

>精神世界をきちんと理解しないと地獄に行くなどや、この世に建設された建物が、壊されたりすると、あの世に現れる。
そんなことはありません。要は正しく生きることです。人のために世のためにと正しく生きることです。自分の欲望の赴くままに他人を犠牲にして生きた人にはそれなりの罪を背負うことになります。人のために世のためにと正しく生きることです。自分の欲望の赴くままに他人を犠牲にして生きた人にはそれなりの罪を背負うことになります。

人のために世のためにと正しく生きることです。ーーーこれが全てです。今、48歳になっていますが、これが行き着いた結論です。
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創価学会の者です。



まず言いたいのは、人間の生命は永遠であるということです。「人間は死ねばその生命は終了し、続くことはない。したがって来世というものは存在しないのだ」という見解がありますが、これは「断見」思想といって、仏法では否定されます。

また、「人間は死んだ後に霊魂というものになって、永遠にこの世をフワフワさまよう」という見解もありますが、これも「常見」思想であり、仏法は否定します。

では、人間は死ねば、どうなるというのか。人間は死んだ後は、その生命は大宇宙の生命に溶け込むのです。死によって、姿は見えなくなる。しかし、生命自体は消滅することなく、厳然と存在し続けているのです。そして、何らかの縁に触れて、再びこの地上に目に見える形となって生じる。それを三世(過去世・現在世・未来世)にわたって繰り返す。これが真の正しい、仏法における生死観です。

前世に行った行為は良かれ悪しかれ、来世においてもいわゆる「業」として背負わねばなりません。病気とか事故とかで非業の死を遂げるのも、前世の業の現れです。あたかも、悪事を犯して、その後眠りについて翌日目を覚ましても、眠りによって悪事を犯したという行為が帳消しになるわけではない。その後断罪されることになるわけです。それと同じです。

そのような苦しみの生死の流転を、幸福の生死の流転に転換するにはどうしたらよいか。それは、この宇宙を貫く大法「南無妙法蓮華経」によって転換することができます。小宇宙たる我々の生命が、「南無妙法蓮華経」によって大宇宙の生命と融合したとき、前世に悪業を犯したとして、それが不幸の原因となって今世で苦しんだとしても、あたかも善行を行ったかのように、生命は浄化されます。不幸の原因がなくなっていくわけです。そして幸福になる。しかも、この大法によって一旦幸せになれば、それは三世永遠に続くのです。宇宙の大法には、それだけの力があるのです。

これにより、死は恐れたり苦しんだりするものではなく、「生も歓喜、死も歓喜」(池田名誉会長の言葉)となり、死を、次の生への荘厳な出発式とすることができるようになるのです。(生命の永遠については、『小説・人間革命第4巻』生命の庭の章を参照、『新・人間革命』ではない)

私の回答を単なるおとぎ話とするか否かの判断は、回答者様にお任せします。
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この回答へのお礼

おっしゃる通りでしょう。悪行を犯してしまったら、その罪は眠りでは軽くなりませんよね。

お礼日時:2010/03/15 10:58

死んだ経験が無い人が何を書いても仮説に過ぎません。


証明された訳ではないし状況証拠が有るわけでもなし。
みんな言いたい放題に言っているだけと何故分からないのだか実に不思議です。

死ねば肉体が無くなるのに来世だの意識が有るだのどうして考えられるのですか。
大学生なら十分な知性が備わっている筈なのに疑問にもつ事自体が理解できません。

それとも宗教的な価値観からのご質問なら正しいも間違っているも有りません。お好きな方を選んでください、と言うしかないですね。
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ある男のもとに天使がきた。

男はあの世を見せて欲しいと頼んだ。
天使は言った「では天国と地獄を見せよう」
ドアが開くときれいなおねいちゃんに囲まれた老人がいた。
ドアが閉じ。再び、
ドアが開くときれいなおねいちゃんに囲まれた老人がいた。
男は言った。「どこが天国でどこが地獄なんですか?同じに見えます」
天使は答えた「始めのは男の天国、あとのは娘の地獄なのだ」

>>スピリチャルカウンセラーの、江原さんなどの説明と似ているので正しいと思いました

次に、質問とは関係ないですが、この類のものをすぐに信じ込むようでは
将来悪徳宗教などにはいったり、あやしいスピリチュアルにはまって大金と友人を失う可能性が高いです。
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>わかる方教えて下さい


スイマセン、分かりません。

死後の世界がどうなるかは、死んでみないと分かりません。
大昔は地上が平らだと本気で信じていました。
しかしそれは正しくなく、地上は球体であるのは質問者さまもご存知の通りです。
死後の世界が分かるとしたら、死後の世界に行ったときです。
(もちろん帰れる保証はありませんが)

では実際にやってみてそうなら正しいのかと言えば、そうでもありません。
死後の世界を体験したという人の話を鵜呑みにはできないのです。
ちょうどアメリカ大陸をインドだと勘違いしたコロンブスと同じですね。

様々な死後を主張する人がいて、それを確かにする根拠のない以上、いつまで経っても仮説です。
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うまく説明できないのですが、



精神世界≠霊的世界

です。密接な繋がりはありますが、同じ意味ではありませんよね。
精神世界を言葉で説明できるような理解は必要ありません。
精神で、精神世界を理解できればいいのだと思います。
だから、

>この世に建設された建物が、壊されたりすると、あの世に現れる。

ありえると思います。

>イエス様と友人であるなどが書かれていて、少し信じられません。

私も信じられません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうごさいます

お礼日時:2010/03/15 11:02

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