
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
土佐藩士、間崎哲馬の連れとして竜馬が同席したと言われます。
間崎は塾も開いていたし、一応名が知られていたので、春嶽も面会を許しました。
「・・・・・、公(春嶽のこと)、体面せられしに、大坂近海の海防策を申し立てたりき。」
と「続再夢紀事}にあるそうで、公はそのような話に関心があり、攘夷派の竜馬が
反対論とも言うべき開港派の勝海舟等に会って、議論したいと言うので紹介状を
書きました。
既に御存じの話であれば失礼。
ご回答ありがとうございます。
「土佐藩士、間崎哲馬の連れとして竜馬が同席した」とのことですが、
やはり、藩士の間崎が主役と考えた方がよさそうですね。
ということは、間崎が主に「大坂近海の海防策」について話したと想像します。
江戸ではなく、京に近い大坂の海防について話したというわけですね。
龍馬は脱藩者だから、メシのタネにあり付けることが先決で、これを機に幕府側の勝に会うことにしたと、
勝手に想像しています。
「続再夢紀事」の記述が基になっていることは、知りませんでした。
近藤長次郎の素性もnetで調べてみました。
お陰さまでよく解りました。
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