龍馬は、文久2年12月5日に間崎哲馬、近藤長次郎とともに、幕府の政事総裁職・松平春嶽に拝謁しています。
脱藩郷士にすぎない龍馬が松平春嶽に会うことができたのはなぜですか。
また、龍馬は、春嶽にどのような話をしたのでしょうか。
この対面後、竜馬は勝海舟と横井小楠の紹介状を得ています。
春嶽は、よほど竜馬の話に賛同したと思われ、その話の内容を知りたいです。
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

土佐藩士、間崎哲馬の連れとして竜馬が同席したと言われます。


間崎は塾も開いていたし、一応名が知られていたので、春嶽も面会を許しました。
「・・・・・、公(春嶽のこと)、体面せられしに、大坂近海の海防策を申し立てたりき。」
と「続再夢紀事}にあるそうで、公はそのような話に関心があり、攘夷派の竜馬が
反対論とも言うべき開港派の勝海舟等に会って、議論したいと言うので紹介状を
書きました。

既に御存じの話であれば失礼。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「土佐藩士、間崎哲馬の連れとして竜馬が同席した」とのことですが、
やはり、藩士の間崎が主役と考えた方がよさそうですね。
ということは、間崎が主に「大坂近海の海防策」について話したと想像します。
江戸ではなく、京に近い大坂の海防について話したというわけですね。
龍馬は脱藩者だから、メシのタネにあり付けることが先決で、これを機に幕府側の勝に会うことにしたと、
勝手に想像しています。
「続再夢紀事」の記述が基になっていることは、知りませんでした。
近藤長次郎の素性もnetで調べてみました。
お陰さまでよく解りました。

お礼日時:2010/07/24 20:43

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