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ゼウスは人間界に使いを送り、パンドラの箱を開いて災厄をバラまいたとか。

ゼウスって確か神の中の神ですよね。
稲妻の化身~なんていうて結構好きだったのですが、その行いに愛はあったのでしょうか。

A 回答 (2件)

神話のなりたちを考えると、


・現実の人間界には災厄がある。
という事実があり、一方、考えとしては
・どこか、神の世界には災厄がないところがあってほしい。
という素朴な思いがあるでしょう。

そうすると、「災厄」の元はというと、
これは人間界がもたらしたと思うよりは
・神がそうしたのだから、人間は運命としてあきらめよう。
という思いになり、それを神話に繁栄させたものと思います。

もし災厄があるなら、それは下っ端の神のせいでそうなったと
いうより、「神の中の神」のほうがあきらめがつきますよね。
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この回答へのお礼

あぁなるほど。
人間次第ってわけですか・・。
神の中の神ならって発想は斬新で面白いですね。

説得力のあるご意見ありがとうございます。

お礼日時:2011/01/15 00:07

>その行いに愛はあったのでしょうか。



パンドラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3% …

多分ありません。
だいたいパンドラの箱とは、ゼウスが人間に嫌がらせをする為に作った「女」という生き物に持たせたものです。
あそこの神は、ゼウスに限らず人間とかはどうでもよいと思っています。
実際、ギリシャの人たちは酷い目にあっていますから。

逆に、神だから人間を愛している という考えはどのような根拠に拠るものでしょうか。
そもそも、人を無条件で愛している「神」など、どこの宗教にもいません。
キリスト教は時代に迎合して教義を変えることで信者を獲得してきたので、対象外です。
その元のユダヤ教の神は、もともとはユダヤ民族のみの神ですが、自身を「妬む者」と言い、ユダヤ人でも他の神を信じる者は救わないと言っています。

仏については、民族の歴史から発生した「神」とは違って、救いを求める人間の願望が創造したもので問題外です。
釈迦は努力して個人が悟りを開き解脱する方法を発見したのであって、超越的存在である「仏」が存在するなどとは言っていません。

宗教はだいたい↓のような事を言います。
1:神は人を愛し導こうとしている。
2:神の言葉は真実である。

神が本当に存在し、人を超越した存在であるとしても、以下の疑問があります。
A:その神は本当に人間を愛しているか?真実を言っているか?
B:現実にはAを言っているのは神ではなく教祖ですが、それは真実か?
  (少なくとも、教祖自身は信じているか。→他の目的はないか)
C:神は本当に神自身や教祖が言う程の力を持っているのか?

↑の事が、神以下の存在である人間にわかるのでしょうか。
信仰とは、これらの事を疑わず、無条件に受け入れるという事です。
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この回答へのお礼

信仰とは盲目的なものなのですね。
確かにギリシア人の生活は酷いものでしたね・・。

神がわからなくなりました。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/01/14 21:13

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