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 おはようございます。私は医学部2年に在籍するものです。今日は皆さんのご意見を賜りたくここに投稿させていただきます。
 つい先日解剖実習が終了し、四月から約半年間ご遺体を解剖させてもらって、人のからだの諸構造のみならず死というものがどんなものなのか、人が死ぬというのはどういうものなのかについて深く考える機会を得られたように思います。そして、御献体下さった方の医学に対する理解の深さ、ご自分のからだを提供されるという強い意思により私たちは解剖を進めることが出来たのだと思っております。
 有楽町駅から徒歩一分ほどの国際フォーラムで今人体の不思議展が開催されています。私も先日友人と二人で行ってきました。解剖実習を終えてもう一度人のからだというものを生で見たいと思ったからでした。展示場におかれている体は今となっては物でしか見えないものとなってしまいましたが、生前は人として生あるものとして生きてこられたということを考えると何だか深い畏敬の念に駆られてしまいました。
 生あるものはいつか必ず死にます。でも生あるものとしてこの世の中に生きる間は精一杯毎日を生きなければならないと思います。生きることは何気なく見えてとてもすばらしいことであるということ・・・それは解剖実習を始めてから感じさせられたように思います。
 昨日もテレビで保護者が幼児を山の中に遺棄したとの報道がありました。命というもの、人として生きているということがどんなに重いことなのかをあまりにも軽視した行動を取った犯人に強い怒りを覚えたと同時に失望感さえ湧きました。
 昨今、人の命を軽視した犯罪などが後を絶ちません。どうして皆、人の命を軽々しく捉えてしまうのでしょうか。教育が悪いからなのでしょうか。これに対する答えはいまだ返ってきません。皆様のご意見を賜りたく存じます。

A 回答 (5件)

医学生の解剖実習の為にご遺体を献体された方の尊い意思に代表されるように、多くの人の善意が有って初めて医師は一人前になっていきます。

そしてそれは経験として一人一人の医師に蓄積をされていきます。

>昨今、人の命を軽視した犯罪などが後を絶ちません。どうして皆、人の命を軽々しく捉えてしまうのでしょうか。教育が悪いからなのでしょうか。これに対する答えはいまだ返ってきません。

実社会に出ると色々な患者さんに接します。Paul03141983さんがおかしいと思われている命を軽視した人の治療にあたることもあるでしょう。又、医療職にある人間が善意と思って行った事でも非難を受ける場合もあります。何故その様になったしまうのかの問いに対して明確な回答は出来ません。

しかし医療職にある人間は、今回のPaul03141983さんが経験した解剖実習を経験出来た事で解る様に、命の尊さを更に実感する事が出来る機会が多くなる一方で、それに麻痺をしてしまう危険も存在します。

医師になって数年経つと何でも出来る様な錯覚に陥り、ともすれば多くの経験をさせていただいた事を忘れ、患者さんを見下したような態度になる人が一部に見受けられます。勿論、非常識な方に対しては堂々と主張をするべきと思いますが、多くの人の善意が有って医師になっていく事を忘れないでください。
まだまだ先は長いですよ。
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この回答へのお礼

 >多くの人の善意が有って初めて医師は一人前になっていきます
 多くの人に助けられ、医学は支えられているということを実感しました。
 >医療職にある人間が善意と思って行った事でも非難を受ける場合もあります
 治療者が適切であると思って行った治療が患者さんやその家族の方に受け入れてもらえないような場合もあることに怖さを感じました。そんな場合の医師の心境はどんなものか、まだ私には想像できないのが本音です… >医師になって数年経つと何でも出来る様な錯覚に陥り、ともすれば多くの経験をさせていただいた事を忘れ、患者さんを見下したような態度になる人が一部に… 私の周りでもこのような医師を見かけることが実際多いです。まだまだ先は長いので、私は、出来るだけ学生時代にいろんな経験をして痛みを理解できる人になりたいと思っております。
 貴重なご意見をどうもありがとうございました。

お礼日時:2003/09/21 16:06

こんにちは!オイラは北国で薬剤師をやっています。


…質問の内容を読ませていただき、非常に感銘を受けました。Paulさんのおっしゃるとおり、『命』は大変尊いものだと思います。オイラは病院勤務4年目の薬剤師ですが、医師や看護師の皆さんほど患者さんに接する機会はありません。ただ、使用を予定していた薬剤が戻ってくるなどの事から患者さんの死を知ることがあります。やはりいたたまれない気分になります。言葉が悪いかもしれませんが、そういった『命』を相手とし、かつ商売をしていかなくてはならない世界で、Paulさんのように『考えていく』ことはすごく重要なことだと思います。決して忘れないでくださいね!
…そんな中、最近は尊いはずの『命』をないがしろにした事件が多発していますよね。悲しい限りです。しかし、そういった事件の加害者も生命に対する感情を抱かない限り減ることは無いのかな…なんて思います。さらに、そのような事件・事故から発生する患者さんの対応をする医療職の気持ちを考えると…なんだか複雑な気分です。でも!僕らは『医療職』です!どんな患者さんだろうと立ち向かっていかなくては!…なんてカッコいい事言っちゃいましたけど、オイラはいつでも患者さんの『笑顔』が見たいからこの仕事をやっていきますよ♪
…なんだかまとまりの無い文章になってしまいすみませんm(_ _)mでも、頑張って勉強して、いいドクターになってくださいね!
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この回答へのお礼

 >いつでも患者さんの『笑顔』が見たいからこの仕事をやっていきますよ 
 この言葉にはっとさせられました。そうですよね、死に悩まされ、病院で手術やらなにやら苦しい思いを受けるのが医療ではありませんよね、苦しい合間でも精一杯の診療を続けていく中で生まれる患者さんの笑顔を見ながら医療者も同時に勇気付けられるのだと感じました。
 また、医療者はどんな患者さんとも向き合っていかなければならないので、医師の一方的な感情の持ち合わせは決してあってはならないと感じました。あの患者さんは性格が…だとか、過去の素性が…だから、などと偏見を持たず、誰でも病で苦しんでいる人を見たら平等に診療を行うことの重要性を改めて認識しました。
 医療者の視点から立った貴重なご意見本当にありがとうございました。これから何年か後に医療者として働けるよう頑張るとともに、多くの人に支えられているということを忘れないようにしたいと思います。

お礼日時:2003/09/21 16:27

医者としてすばらしい考えを持ってくれているなぁと感じます。

私は今看護婦をしていますが、人の死に慣れてしまっている医者を見ることがあります。私はやはり多くの患者さんを看ていますが、人の死は本当にショックです。何度経験しても自分を責めてしまうし、悲しくて涙も流します。プロでないのかもしれませんが私はその考え方は曲げたくないです。今世の中では殺人などが平気で起こっていますよね。本当に悲しいことだと思います。精一杯生きたいと頑張っている人がいるのにと悲しくなります。解剖ですか。私たち医療人は本当に多くの人から学ばせていただいて成長するんだと4年たった今でも思います。Paulさんもいつまでもこの気持ちを忘れずに医者として羽ばたいてください。そのような考えを持った人と私は一緒に働きたいと思います。頑張ってくださいね。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございました。
 
>私はやはり多くの患者さんを看ていますが、人の死は本当にショックです。何度経験しても自分を責めてしまうし、悲しくて涙も流します。プロでないのかもしれませんが私はその考え方は曲げたくないです。
 
 masusさんに看取られた患者さんは本当に幸せだったろうと思いました。医療におけるプロとは、私はすばらしい技術を持った看護婦でもなければ豊富な知識を持ち合わせる医師でもないと思います。本当に求められている医療人とは、せめても患者さんに生がある間は精一杯生きる力を与えてあげられる人だと思います。
 末期を迎えもう先が長くないと死を予感し生きる希望をなくされ、ただただ死を待つ患者さんに
 「私たちとがんばりましょう、私はあなたに生きてもらいたい。」と言える様な、そんな医師に私はなりたいと思います。
 >私たち医療人は本当に多くの人から学ばせていただいて成長するんだと4年たった今でも思います。 
 患者さんから医療人は学ばせていただくことの多いことに気付かされました。
 
 このたびは医療従事者の視点から貴重な意見をどうもありがとうございました。 
 いつかどこかでお会いできることを希望します。
 

お礼日時:2003/09/21 10:38

現在、医学部2年生ということですがとても素晴らしい医師になることを願っています。

解剖実習を始めてから生きていることの素晴らしさを感じたそうですが、私自身は自分が生死の境をさまよった経験がありその時に助かって生きていることの素晴らしさを身をもって体験しました。また今年の4月から7月まで病院にて祖母の付添いをしていました。ほぼ老人病院という感じだった為、痴呆の人や病気の末期患者ばかりが入院していました。その中で毎日少しずつ衰えていく祖母を見ているのはとても辛いものでした。助けてあげたい、もう一度自分の家に自分の足で帰してあげたいと思いながら付添っていましたがそれは無理でした。そして3ヶ月の間で何人もの人が死んで行きました。正直家族もどうすることも出来ないんです。医師だってもう手の施しようがないんですよね。それでも毎日いつ死んでもおかしくない患者と向き合っている医師はすごい!と思いました。そして病院の中で色々な事を教わったような気がします。どんなに辛くても命は大切にしなくてはいけないですね。長文でスイマセン。
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この回答へのお礼

>どんなに辛くても命は大切にしなくてはいけないですね。
 
 あなた様のご回答を読んで刻々と時間だけが過ぎ去っていく中で、病院で生活を送られる方たちほど、生きているんだという実感を強くもっている方はいないと思いました。
 老人病院やホスピスでは、もう助かる見込みが少ない患者さんが多く生活を送られているという話を聞いた事があります。それでも、多くの方たちがまだ生きたい、残りの生を充実したものとしていきたいと願っている方たちが多いそうです。それゆえ、昨今では病院に有志でどこかの合唱隊が来て歌を歌ったり、劇を披露して患者さんの心を癒すことなども実践しているようです。 
 
 病院で死んでいく方たちを見られどのようなことを感じられたでしょうか。いつか人間は死ぬといっても、それがいつ降りかかるということは誰にも予想できないのです。ですから、せめて私たちに生きる時間が与えられている間はその生ある時間を精一杯生きることが大事なのだと思います。そう考えると、ちっぽけな悩み事などで苦しんでいた自分は病気で苦しんでいていつ死ぬか恐怖の中にいる患者さんと比べなんと情けないのだろうといつも思います。

 死におびえている人を幸せにするのは周りにいつもいる家族だと思います。その意味ではあなた様が病院でおばあさまのそばにずっといてあげたことはどんなにかおばあさまに勇気を与えてあげたのでしょう。

 生きることは大変なことですが、それを可能にしているのは常に周りの人に支えられているから、それを一番感じることが出来るのは病院なのかもしれません。私も将来病院で働く医療人としてこのことは忘れてはならないことなのだと思いました。 
 
 貴重なご意見どうもありがとうございました。

お礼日時:2003/09/20 22:15

人や動物の命を軽視するのは、「死」を間近に見ないからだと思います。


大家族や複数世代で暮らしていると、子どもでも必ず「死」に接します。
身近な人の「死」は、子どもの心に命の大切さを刻み付けるのではないでしょうか。
しかし、現在は、都会で少数の家族で暮らす世帯が増え、人は「死」に接することが少なくなりました。

愛情をこめて育ててきた家畜を殺して食べることによって、動物の命と人間の命のつながりを感じるはずです。
しかし、現在、スーパー等で売られている食肉が、もともとは生きた動物なのであって、動物の「死」を食べているのだと考えている人はほとんどいないでしょう。

それらの事柄だけが人命軽視の原因とは思いませんが、人命軽視につながっているのは確かだ、と私は思っています。
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この回答へのお礼

 >人や動物の命を軽視するのは、「死」を間近に見ないからだと思います。
 
 私も子供のころはたくさんの動物を飼った記憶があります。金魚からそれは始まって、多摩川までフナを釣りに行ったこともあります。でも、いつか生あるものは死にます。私も小学生のころから多数の動物を飼ってきて、死というものがどういうものか、漠然と感じていたのだろうと思っています。 
 
 確かに今や大都市では核家族化、マンションの建設などにより、動物を飼うことも出来ません。加えて忙しい世の中、自然と触れ合うことさえも出来なくなってきました。こうした社会が人命軽視の人間を育ててしまったのでしょうね。
 私たちもこのような社会を少しでも変えていくことの出来るように努力する必要を感じました。まずは今の世代の子供たちにもっと自然と触れ合って、生き物の飼育、観察などをする時間をとって欲しいと思います。学ぶということは必ずしも教室で学ぶことがすべてではないはずです。生と死について学ぶことは実体験を通じて得られるということをあなた様の意見から考えました。貴重な意見をどうもありがとうございました。

お礼日時:2003/09/20 21:55

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