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日活/にっかつの「ロマンポルノ」はどういう経緯から生まれたのでしょうか?

また製作配給に当たっての基準のようなものなどは在ったのでしょうか?

詳しい人からいろいろ聞きたいです!

A 回答 (2件)

↓ まずは訂正から


菅原文太は、東映ですので日活映画には出演していません。
時代劇の覇者は、東映でした。勝雷蔵で一時、東映より上位になりましたが‥
大映映画には、「ザ妊娠」「ザ強姦」などというシリーズはありません。
第一、強姦などというタイトルが、映倫を通過するはずがありません。

1970年代半ば、観客が来なくなった、大映と日活は、共同配給で
「ダイニチ映配」という、配給会社をたちあげました。そして
両社より、各1本づつ出し合って、公開しましたが、うまくいかずに
大映は、倒産。残った日活が生き残りを賭けて、ピンク映画界に参入。
倒産か、ピンク映画専門かの選択を経営陣より、迫られて、従業員たちが
後者を選びました。基準は、確か、70~80分程度の長さ、10分に
一回程度の、絡みのシーンを入れる、以外は、監督が自由に撮れたよう
です。現在でも、CS衛星放送「衛星劇場」の深夜枠で放映中です。

当時ピンク映画の製作費は、300万円程度のところ、1本1千万円まで
予算が取れ、なおかつ、それまで一般映画を撮っていた監督、藤田敏八
などが、積極的に参加したため、クオリティの高い、演技力のある
俳優陣を使用することができたので、17年もの長くに渡り、続けられた
のでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど、そういった理由があったのですか----。

少し私も調べてみましたが、警視庁が乗り出してきて裁判になったこともあったようですね。
後これで有名になった監督としては神代辰己、俳優としては宮下順子をはじめ何人かが出て、いくつかのシリーズものもあったとか?

お礼日時:2011/03/29 19:39

戦後から昭和30年代にかけて日本映画は隆盛を極めておりました。


所謂、五社(東映、東宝、大映、日活、松竹)は夫々に特色があり、監督陣も俳優も会社に所属しており映画館もすべて直営館といった状況でした。
昭和40年代に入ってテレビや洋画との差別化を図って、各社色々なチャレンジを行なってきました(例えば、東宝・大映の怪獣映画や東映のアニメ映画等)が、結局、日本映画全体が斜陽産業となって行きました。

日活は、元々、吉永小百合/浜田光男の青春物や小林アキラ/宍戸錠のマドラス物、菅原文太他のヤクザ映画で稼いでいましたが、観客の減少に歯止めが掛からず、昭和46年(1971年)に「エロ物」へ路線変更をして、当時「成人映画」業界で名を馳せていた「白川和子」を起用して「団地妻シリーズ」を製作しました。

映画会社、どこも収益に苦しくなっての路線変更でしたが、日活に1年先んじて、時代劇の覇者であった大映は、「ザ・妊娠シリーズ」「ザ・強姦シリーズ」といった映画を製作しております。
こちらは、ニューフェースの新人をヒロインとして周囲のエキストラに脱がせるというものでしたが、日活は主演女優が脱ぐというのが売り物で、「田中真理」や「東てる美」「美保純」等の新人女優を輩出しました。

周防正行や崔洋一ら多くの名監督も日活ロマンポルノの出身ですが、山本晋也はそれ以前の「成人映画」業界のエロ監督です。
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この回答へのお礼

有難うございます。

要するに今までのアクション映画路線や青春映画路線が斜陽化の中で客が入らなくなったため、ストーリーがあるポルノ映画の「ロマンポルノ」に切り替わったと言う理解でいいですか?
もちろん製作配給は低予算ではあったでしょうが----。

あと17年間も続いたそうですが、その理由はなんだったんでしょうかね----?

お礼日時:2011/03/28 19:21

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