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流産経験がある主婦です。毎年、夫と水子供養をしていますが、ふと思ったのですが供養は一生続けたほうがいいのでしょうか?最初の年は命日に行っていたのですが、2年目からはお互いの都合で命日に行くのは難しかったのでお盆の時に供養する習慣がついてしまいました。この世に生まれることができなかった我が子ですが、成仏、というか上に無事に上がることを毎年祈っていますが、当たり前ですが目に見えて”成仏してくれた・・・”とは分からないので・・・。

それと、水子の霊は基本的にお母さんに憑いているものなのでしょうか?お父さんにはあまり執着心がないものなのですか?
よかったらご意見下さい。

A 回答 (5件)

不幸にも亡くなってしまったわが子を思う気持ちがあれば、それで十分だと私は思います。


『憑く』とか『祟る』なんてとんでもない!
私は、自分の気持ちの中で
今はお母さんはこの世で、あなたの兄弟を思い切り愛して育てているけれど、いつか私があの世に行く事になったら
その時は待たせた分、思いっきり愛してあげるから、
それまで、暫く待っててね。」と思っています。
もしかしたら、明日、私は不慮の事故で死ぬかもしれない
100歳まで生きるかもしれない。
いつになるかは分からないけれど、いつ自分が死んでも、それはあの世で、子供が待っているんだから喜んで天国に行くつもりでいます。
心の持ちようですよ!
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私も最初の何年かはお寺へ行ってました。


今は・・・心の中で思ってあげていたらいいのかな、と思うようになり、行ってません。
忘れずに、心の中で愛してあげてください。
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自然な流産でしたら、祟りません。


生まれてから病気で死んだ赤ん坊と同じです。
生まれる前に死んだのと、生まれた後で死んだのに、差はありません。

殺されたのでしたら、それは祟って当然です。
自然に亡くなった場合でも、死者として弔う事はやるべきですけど。

供養に終わりはありません。
ただ、金を払って儀式として行う物は、毎年行う必用はありません。
毎日、菩提を願う心があればそれで十分です。

水子は、母親に憑く場合が多いです。
父親に憑く場合もありますがこの世の子供と同様に、教えられない限りは父親は分かりませんので…

レイプなどの水子でしたら、父親に移す秘技もあるようですが、それはおすすめできません。
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元々「水子の霊」という発想は、昭和20年代頃から盛んになってきたもので、


「水子霊が憑いている」という考えは一般的ではありませんでした。

ですから、亡くなった子を想う気持ちを持っていれば良いのでは
ないでしょうか。

まずは、「憑いている」という考え方はなさらない方が良いかと思います。
でないと、何か良くないことがあった時になんでも
「水子の霊の仕業」に結び付けてしまうかもしれません。
「供養が足りなかったんだ」と。

そんな事にでもなったら、亡くなった子が可哀想ですから。
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私は「霊」の存在を全く信じません。


ですがお盆、お彼岸等だけでなく頻繁にお墓参りをします。
何故か?それは成仏して欲しいと云った感情ではなく「心」でその人たちに逢いたいからです。
お墓参りをしてその人たちを懐かしんで、現在の自分の事を報告したりすることが最大の供養だと思っているからです。
「霊」は信じませんがその時確かに私は亡くなった人たちと「会話」をしてます。
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この回答へのお礼

お返事とお礼が大変遅くなりまして申し訳ありません。ご意見を下さった心温かい5名の皆さん、心よりお礼申し上げます。皆様のご意見も参考にいたしまして、私なりの供養を続けていこうと思います。お金や行動ではなく、心の中で。どうもありがとうございました。心やさしい5人の皆様の幸運を祈ります。

お礼日時:2003/10/23 14:45

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