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以下、長文失礼致します。

私(男・22)は、例えば
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B3%A5%DF%A5%E5 …
のような言わば“コミュ障の特徴”がよく当て嵌まる者です。


以下、自分の経緯と特徴の詳細です。
余計な情報が多く含まれていると思われるかもしれません。
ですが、自分でも自分をよく理解できていない為、情報を限定すると恣意が混じり、客観的に自分を把握してもらうことの障害になると思ったので、あえて情報の絞り込みはしていません。

以下の私の経緯・特徴を踏まえて、私のコミュ障・根暗を分析して頂きたいです。
これは、努力すれば治るのか、治らないのか。
治るのなら、どのような努力をすれば良いのか。
それが主な質問内容です。


【幼少時代】
人見知りの気はあったらしいです。

【小学生】
この頃は、まだコミュ障・根暗ではなかったように思います。
ただ、変わり者ではありました。
奇抜なことが好きでした。人と同じことが嫌で、人がやらないようなことをやるのが好きでした。
仲が悪い人はたくさんいたものの、それでも人気者(有名人?)だったと思います。
少なくとも、人と話す上で明瞭に苦痛を感じるようなことはありませんでした。
ただ、とりわけスポーツ分野ではお荷物君でした。皆に交わり遊びこそしますが、チーム戦などでは、ハンデか何かのような扱いです。


【中1クラス】
親に頼んで塾に通わせてもらっていたため、この頃から勉強が得意になっていました。
ただ、テストの度に結果を自慢げにしていました。その為、後にして思えば大変に悪目立ちしていました。
また、私は相変わらず変人でした。
鈍臭かったり、独り言を言ったり、貧乏ゆすりをしたり、周りを全く気にしなかったり、その手のタイプです。
そのようなことが受け入れられるのは、せいぜい小学生まででした。
周囲から見れば“調子に乗っている変人”にしか映らなかったと思います。

1年生も終わりの頃から、友達グループの中でギスギスしてきて、孤立して浮くようになりました。
仲間外れにされたり、嫌みを言われたりしました。
ですが私は、それが何故なのか分かっていませんでしたし、協調性のない人間なので、対抗的な態度で臨んでいました。

【部活】
スポーツの部活に所属していました。ですが、スポーツが極端に下手だったのと、変わり者(自覚なしの自己中、協調性皆無)だったのとで、虐められるようになりました。
色々な嫌がらせをされるようになりました。虐めている人は、それを楽しんでいました。また、先輩からも足を引っ張る邪魔者扱いでした。
1年後に退部して、別の部活に移りました。そちらでは自分以外が殆ど下級生だったのですが、自分が鈍臭いのと偉ぶっている(自覚なし)のとで、腫れもののような扱いでした。

【中2クラス】
今度はクラスで虐められるようになりました。1年の時の部活のメンバーがいて、その生徒の属している不良系グループに執拗な嫌がらせを受けるようになりました。
授業中などにも、教師には分からないようなやり方で、堂々とクラスの笑い物にされたりしました。とても苦痛でした。
自分は、虐めから脱出する方法を全力で考え、虐められていない人をよく観察し、その結論を出しました。

≪虐められない為の条件≫
・仲間を多く作って、虐める側に抑止力をかける。
・一人でいる時間などの付け入る隙をなくす。
・奇抜な行動はしない。常に自分の行動を反省して、普通ではない要素を潰していく。

≪虐められない為の具体的な行動≫
・クラス替えなどで人間環境が一新されたら、手当たり次第、広く薄く交流してみる。
・自分と気の合う人間を早めに見極めて、その生徒の所属するグループに入りこむ。そのようなグループを2つ以上作る。
・ひとつのグループ内にいると段々疎ましがられたり浮いたりするので、そうなればもう一つのグループに避難して緊張関係がなくなるのを待つ。これを繰り返す。

【中3クラス】
担任教師に頼み、クラス構成をいくらか配慮してもらいました。
そして、上のルールを忠実に守った結果、虐めはなくなりました。
高校以降も、そのルールを遵守し、虐められるようなことはありませんでした。
(それでなくとも虐めのあるような雰囲気の高校ではありませんでしたけど。)


【高校生】

【部活(スポーツ系)】
同学年の部員は10人程度で、殆どがリア充的なノリのメンバーでした。
中学の時に比べて自己中さや変人っぽさは大分抑えられるようになっており、また、ある程度真面目な子が来る高校ということもあり、虐められるようなことはありませんでした。
ただし、それでも、スポーツは一番下手だしで、はみ出し者な感じはありました。部室で皆で着替えている時など、皆会話をしていましたが、自分だけ殆ど加われませんでした。
一応つるめる友達(幾分おとなしめな性格)は一人できましたが、その友達は自分よりも仲のいい友達がすぐにできて、そちらが本命という感じでした。
その友達は、誕生日には部員皆からお祝いプレゼントを貰っていました。自分の誕生日は、誰からも訊かれませんでした。
そんなでも、部員全員でカラオケやボーリングに行く機会には、流石に誘われました。今思い返せば、それが唯一まともに青春っぽい思い出だった気がします。

【高2クラス】
10人弱のグループに属していました。終始、ぎこちなさを感じました。
休み時間も下校時も、自分の方から輪に加わりにいくばかりでした。
ある日の帰宅時、一人のメンバーが遅れていると、グループ全員がそのメンバーを待っていました。
別の日、試しに私が放課後の教室でじっとしていると、誰も声をかけずにグループは帰ってしまいました。
自分は、居れば居るでいいし、居ないなら居ないで構わない。そんな立ち位置でした。
この時に、どっとコミュニケーションに対する疲労感、徒労感を感じました。
また、自然体だと友人との会話が続かないので、必死にニュースなどを見て日常から話題を収集していました。
「今日は話題を2個ストックできているから、会話に困ることはないだろう。」そんなことを気にする毎日でした。

【高3クラス】
やはり、人間環境が一新されても、いつも自分から話しかけるばかりでした。
「話しかけてくるから一緒にいる。」そんな感じでした。

なお、上のいずれの友人も、高校を卒業してからは一切の交流はありません。メールの1通も送られて来ません。


【大学生】

【サークル】
高校生活で人間関係にうんざりしてしまった為、人間関係は最低限にしようと思っていました。
サークルは、2つだけ興味があったので、それに入ろうと思っていました。
ですが、それぞれの新歓コンパに出てみましたが、どれも周りに話を合わせての愛想笑いで精いっぱいでした。
あぶれないように必死でした。内心疲れるだけで、ちっとも楽しくありませんでした。
結局、入学早々サークルはどこにも行かなくなってしまいました。

【大学の講義】
語学のみクラス制でしたが、それさえ上手く馴染めず、結局一番大人しめの人とだけ仲良くなりました。
ただ、その人には申し訳ないのですが、話をしていても全く楽しめませんでした。固定メンバーのなかで孤立するのが怖かっただけでした。
選択制の講義では、他の人と合わせて選ぶということはせず、完全に一人で受けていました。

【ゼミ】
3年から始まったゼミでは、そもそも結構深い付き合いになるとは思っていなかったので、例のルールの遵守を怠ってしまい、気付けば思いっきり孤立していました。
後から合宿等を通して少しは打ち解けましたし、ある程度話せる人もできましたが、依然として疎外感は否めません。
そもそも、大学に入ってから殆ど人と会話をしなくなった為に、周囲の大人びた話題にまるでついていけなくなってしまっている気がします。

【バイト】
少人数かつ大分堅苦しいバイトをしているので、そもそも友達を作るという雰囲気ではありませんでした。


【その他】
≪これから≫
大学院に行きます。

≪趣味≫
野球などの共有しやすそうなメジャーな趣味には、全く興味が持てません。
(無理矢理首を突っ込んでも、ますます会話に苦痛を感じるだけだと思います。)
幼い頃は、カードや子供向けゲームなどが好きでした。
ですが、中高に入ってからは全く話題を共有できなくなりました(まだやっているのかと呆れられます)。
高校からは、オタク系の趣味もできましたが、オタクの人とは全く話が合いません。
それに、趣味を話せる友達がほしいわけではなく、日常接する人達と仲良くなりたいのです。

≪悩み≫
・会話が苦痛。自然体にしていると会話が続かない。
・何を話していいか分からない。
・自分と話していても、相手はつまらなさそうと感じる。
・何が楽しい話題なのか、何を話せばお互いに楽しいのか分からない。
・何で自分がコミュ障なのかが分からない。
・人に興味を持てと言われても、どうすれば持てるのか分からない。
・自分がしている会話が正しいのかが分からない。
・話せば話すだけ嫌われると思うから、ますます話すのが嫌いになってしまう。
なら、嫌われることを構わずに話しかければいいかというと、それも全く解決にならない。
会話をしたらしたで、だからこそ、一方的な人間関係を感じて、会話を嫌いになってしまった過去がある。

≪願望≫
人との交流を心の底から、力を抜いて楽しめるようになりたいです。

A 回答 (5件)

大学院(大学)の保健管理センターの心理部門とのコントクトをお勧め致します。


ここに記述なさっていることを印刷して、見せて相談なさると、きちんと伝わると思います。

軽度の発達障害の可能性についても、尋ねてみて下さい。
日常生活を送ることができているという点で障害という名称はつかない可能性が高いと思いますが、記述なさっている事柄の印象から、発達障害との共通特性を持っていらっしゃる可能性を感じました。
学内で心理検査を受けることが可能かもしれませんし、できない時には、受診可能な場所を紹介して下さると思います。

心理検査を受けることで、ご自身の特性を把握可能になりますので、
・何で自分がコミュ障なのかが分からない。
・人に興味を持てと言われても、どうすれば持てるのか分からない。
・自分がしている会話が正しいのかが分からない。
ということに関しての理由が明確になります。 そしてある程度は対処方法を得る手がかりが得られます。

もっとも、
>人との交流を心の底から、力を抜いて楽しめるようになりたいです。
というご希望については、少数の気の合う方と可能になるでしょう~という方向になってしまうかもしれません。

多くの方も、決して多くの場面では心の底から楽しんでいるわけではないのです。確かに大学のゼミなどでは、心を曝け出すことの可能な友人に出会うことのできるチャンスですので、周囲を見た時に「楽しそう」だったとは思います。 しかし、社会では必ずしも「楽しんで」いる方ばかりではありません。 就職すれば「稼ぐ」場ですから、気の合う方を選んで接するわけには行かないからです。 

根暗に見えるかどうか?は、変えることが可能だと思います。 そのあたりも、大学で心理スタッフに相談してみて下さい。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
仰る通りにしてみようと思います。

お礼日時:2012/08/12 08:25

こんにちわ。

はじめまして。私は40歳台の女性ですが、内容を読ませて頂いて、ふと私も思い当たる点が有りましたので、書き込みをさせて頂きます。
(長文でごめんなさい)
私も同じような人生を歩んで来ました。
ちょっとだけ違うところが有るのは、私はその事に気がついていなかった事です。
昔は今ほど精神的な病気について語られてはいなくて、ただ、変わっいる子としか言われていませんでした。
もし、知っていたらすぐに病院に行っていたと思います。

私もなかなか友達が作れず。
また、人を怒らせることもたくさんありました。(今もですが)
私の場合、なんで怒っているのか、の感覚が分からないのでトラブルも多かったです。
また、なんで楽しいのか、の感覚もわかりませんでした。

だから、今は自分の興味の有る事を一人で探して楽しんでいます。
他の人はなかなか手を出さない楽器を習ったり、自分の波長にあった、ミュージシャンの追っかけをしてみたり。
何かとエンジョイして生きて来ました。
今の時代はネットという便利な物が有るので、興味の有るものを探すのも容易になったと思います。

こうやって、書き込みをしてしまいましたが、もしかして、また、読まれている方の気分を損ねてしまっているかもしれないですね。
そうだったらごめんなさい。

質問の方の答えにはなっていないかもしれませんが、最近は楽しむ感覚が分かって来ました。多分学習ではないかなと思います。
楽しそうにしている人を観察して、なぜ楽しそうなのか考えます。
それを繰り返すと、解るようになりました。
また、最近は会社で飲み会に誘われなくても、平気になりました。
多分同じような感覚の人が会社にいるから私は助かったのかもしれませんが。
私みたいに楽観的に考えは受け入れられない場合も有りますので、問題が有れば解答を消してください。
良い解答ではないかもしれませんが私の経験を記載させて頂きました。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
自分に合った生き方を模索するというのは、確かに、最も効果的な解決策の一つであると思います。
個人的な体験に基く貴重なお話で、大変参考になりました。

お礼日時:2012/08/24 21:07

3番です。


お礼、拝見させていただきました。
アスペルガー症候群など、発達障害を持つ人の8割に二次障害があると以前どこかの記事で読んだことがあります。
質問者様も、その傾向があるなと感じています。少しうつ気味になってはいないでしょうか?

http://ameblo.jp/kanrinin-hp/entry-11243016031.h …

発達障害傾向のあるうつ病の私から、アドバイスです。

・他人と比べないこと。他人と比べた先に幸せはありません。
・幸か不幸かは自分の考え方次第。
・どんなに不幸と思われる出来事も、良い面も持ち合わせている。

説教くさいですね。ごめんなさい。

ちょっと考えてみてください。本当に飲み会や祭や海に、大勢で行きたいですか?
それが、質問者様にとって居心地が良い場所でしょうか。
他人に気を使ってぐったり疲れてしまうのではないかと思います。
逆に、そういう機会が無かったのは、疲れないで済んで良かった面もあるわけですよね。
その時間に、自分の好きなことができるわけですから、ある意味ラッキーなのではないでしょうか。

私は、飲み会は好きではありません。社会人なので、お付き合いもたまにはありますが、
誘ってもらわなくても全然平気ですよ。
自然体=自分の生き方のスタイルを、自信を持って貫かれたら良いと思います。

短所を克服する努力より、長所を伸ばす努力です。お互いぼちぼち頑張りましょう。
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この回答へのお礼

再度のご回答に感謝致します。

私も、本来であれば、自分の生き方を見つけてそれを追求して生きていたのだろうと思います。

ですが、私の場合、中学生の時、特定の異性に強い憧れを抱いてから、それができなくなってしまいました。
その異性は、私には、あまりにも眩し過ぎました。
自分の人生が無価値だとしか思えなくなりました。



…大変申し訳ありません、続けて、それはつまりどういうことなのかを書こうと思ったのですが、
気持ちも記憶も膨大すぎて纏められず、どこから手をつけて良いのか分からず、手がぴたりと止まったままニ時間三時間と経ってしまいましたので、勝手ながら中断させて頂きます。

回答有難うございました。

お礼日時:2012/08/24 21:57

こんにちは。


質問を拝読して感じたのは、2番の方と同じ「発達障害の可能性」です。
症状がはっきり出ていたならば、義務教育時代に学校で気が付き受診をすすめられる場合もあるのですが、
比較的経度(グレーゾーン)であるなどで見落とされた可能性もあるのではないかと思います。
「アスペルガー症候群」で検索されると、思い当たる項目が散見されるはずです。

克服の仕方は、質問者様が書かれているように「人間関係を作るうえでのルール」を学ぶこと。
空気を読むことが苦手ですので、「この場合はこのように対応する」ということを、こと細かく経験して覚えていくほかありません。

人との衝突やトラブルを防ぐため、他者との距離を若干広く取っている今のスタンスは、学習の賜物ともいえると思います。

「人との交流を心の底から、力を抜いて楽しめるようになりたい」というのはかなり高いハードルです。
普通の人と同じように人と交流することを望むのは一次保留にして、「話ができる友達をまず1人作る」ことを目標にすると良いでしょう。

研究者や大学の先生には、結構アスペルガー症候群の方が多いです。
コミュニケーションが苦手な分、別のところで才能が開花するのでしょうね。
質問者様も、一番苦手なコミュニケーション力を克服しようと思うより、得意な部分で勝負すると考えてはどうでしょう?
得意分野で仕事ができるようになり、認められるようになれば、不得意分野をフォローしてくれる人が出てきます。
並の努力ではないと思いますが、風変わりな人生を生きる権利が与えられたと、前向きに捉えてみてはどうでしょうか。
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この回答へのお礼

アスペルガー症候群は知っております。
その特徴の多くが当てはまることもありましたので、コミュ障とほぼ同義に捉えていました。
確かに、能力面においては極端な偏りがあります。

昨今、フェイスブックやミクシィなどのSNSでかつての友人・知人たちの近況を知ることができるようになったのですが、環境の圧倒的な差に絶望してしまいました。
皆、やれ大勢で海に行っただの祭りに行っただの飲みに行っただの、とても楽しそうなんです。
誕生日を祝ってもらったりなどの報告もあります。
全部笑顔。羨ましいです。自分が惨めになりました。
高校・大学生活中の写真なんて、1枚も残ってないです。
休日に誰かと遊ぶ予定をいれた日も1日もない。
生まれてこの方、家族以外に誕生日を祝って貰ったことはありません。

自分の長所を生かすことは、塾に通い始めた頃から自らの指針にしています。
ですが、最近は、それに虚しさだけ感じてしまうんですよね。

いずれにせよ、努力はします。
ご回答有難うございました。

お礼日時:2012/08/12 13:39

とりあえず、


人格障害か、パーソナリティ障害かで
検索して、該当する記述がないか
記事を読み込んでみませんか。
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この回答へのお礼

該当する記事を読んでみました。

パーソナリティ障害の特徴
クラスターA:風変わり、自閉的、妄想、奇異、閉じこもり
クラスターC:不安、恐怖症、周りの評価が気になる

正直、よく分からないです。
特徴の質的基準は明示されてますが、量的基準が明示されていないので。
特徴に大分当てはまるとは思う一方、しかし、当てはまるだけなら多くの人にも少なかれ当てはまるのであって、問題はその量が常軌を逸しているかなのですから、いまひとつ判断がつきません。
また、全ての特徴に当てはまれば例外なくパーソナリティ障害なのか、それとも当てはまる人の中でも更に一部なのかも不明確なので、判別が困難です。
今のところ、パーソナリティ障害の可能性もある、程度の判断しかできません。

いずれにせよ、これを考察しても、質問内容である「このコミュ障は治るのか・治らないのか」「治るならどうすればいいのか」が見えてきません。

ご回答有難うございました。

お礼日時:2012/08/12 06:50

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