アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

こんばんは、「尊厳死」についてレポートを書いているため、判例や法案などを調査した上で、皆さんの意見をお聞きしたいと思い質問させて頂きました。

「尊厳死の法制化について賛成か・反対か、また法制化した場合に良い点、逆に危険性とはなにか」について回等をお願い致します。
ここでは「安楽死」を、死期を意図的に早めるために薬剤を用いる事、「尊厳死」を延命治療を差し控え・中止して間接的に死期を早めること、としまして、今回は「尊厳死」のみを扱いたいと思います。

また、現在把握している問題点は、「尊厳死の法制化は国が尊厳死を勧めていることになる」「人の死に国家が介入することになる」「終末期の定義が難しい」「過去に書いたリビングウィルが、現在の意思と言えるか」といったものです。この問題点に対して反論がありましたらそちらもお願い致します。

私個人としては、安楽死・尊厳死が認められているアメリカやオランダに比べ、日本ではまだ自分の意思を書面に残すというのもそこまで一般的ではないように感じているのですが…尊厳死はあくまで本人の意思を尊重した上での治療中止ですからリビングウィルが普及・周知されていないようでは法制化は性急かなと感じました。

長くなってしまいましたが、ご協力お願い致します。

A 回答 (3件)

その場合、


・終末期をどう定義するか、
 今の議員立法みたいに医師二人の判定とするのか、主治医の判断でいいのか、
 複数の医師とした場合、その医師の選択法はどうするのか?
 家族で推薦する医師が違う場合、優先順位をつけるのか?
・延命処置とは、
 人工呼吸器だけを指すのか、
 併発した感染症に抗菌薬は投与していいのか、
 併発した感染症管理に人工呼吸器や昇圧剤は使っていいのか、
  それとも原疾患による体力の消耗として使わないのか
 誤嚥した場合は偶発的と思って処置をするのか、原疾患による体力の消耗によるものとして処置しないのか
 栄養管理はどこまで許されるのか、
 もし、生前のLiving willに積極的な安楽死を望む事項があったら拒否していいのか
  この場合、積極的な安楽死の定義をどうするか、未必の故意のようなのも積極的な安楽死とするのか
 
..ざっと考えただけで、こういう問題があります。私は日医がいうように、法制化せず現場の判断にまかせてほしいと思います。ただし、現場では、家族の意見の優先順位が日本では決まっていないので、どの家族の意見を採用していいのかが分からないという問題がよくあります。早く家族の意見を一本化してくれというのですが、結論を待ってくれと言われる場面が多々、あります。
尊厳死の法制化より、米国みたいに家族の意志の優先順位を早く決めてほしいと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

やはり法制化にはまだ問題点が多いのだなと再認識しました。家族の意思の優先順位を決めるというのは、医師会の「終末期医療のガイドライン2009」で『患者本人・家族等の意思は、(1)患者の意思、(2)家族等が推定する患者の意思、(3)家族等の意思、の順に優位とする。』とありますが、こういうことでしょうか?それとももっと細かく家族内での優先順位も決まっているのでしょうか…。アメリカの例も調べてみたいと思います。
回答ありがとうございました!!

お礼日時:2012/12/14 21:46

> 「尊厳死」を延命治療を差し控え・中止して間接的に死期を早めること



それでは、死ぬ人全員に、人工心臓や人工肺をつけて延命を図らなければ、尊厳死になってしまうのですか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

すいません、そうですね。「患者の意思で」延命治療を差し控え・中止して間接的に死期を早めること、という事にすれば「尊厳死」といえるでしょうか。

お礼日時:2012/12/13 22:48

「尊厳死の法制化は国が尊厳死を勧めていることになる」


「人の死に国家が介入することになる」
    ↑
それはその通りですね。
尊厳死を国家が認めるかどうか、ということが
法制化ということですから。
私は、この点は問題ないと考えています。
国家は、人間を死刑にできるし、戦争に駆り立てることも
できます。
尊厳死だけ特別扱いする理由は乏しいと思われます。

「終末期の定義が難しい」
     ↑
理念ではなく、現実にはこれが最大の問題になると思います。
簡単に言えば、金儲け第一主義の現代の医師たちを
それほど信頼していいのかよ、という疑問が湧きます。

「過去に書いたリビングウィルが、現在の意思と言えるか」
      ↑
これもその通りだと思いますが、それ以上に、自分の生命は
自分だけのもの、という意識が強調されるようで、疑問が
あります。
自分は、親がいなければ産まれなかったわけです。
その親だって同じです。
産まれた後も、他人や社会と接しながら自分という人格が
形成されていくわけです。
自分というのは、決して自分だけで創られたものではないのです。
認めるにしても、自分の意思ということは、認めるか否かの
判断材料のひとつに過ぎないと考えるべきで、決定的なものではないと
思います。

「尊厳死の法制化について賛成か・反対か、また法制化した場合に良い点、逆に危険性とはなにか」
   ↑
反対です。自然に委ねるべきです。
尊厳死などは人間のエゴです。
その根底には総てのことは人間の理性で処理できるし、
そうすべきだ、という思い上がりがあるように
感じてなりません。
更に言えば、人間は他のモノとは異なる特別な存在である
というキリスト教的価値観が潜んでいるようにも思えます。
人間はそれほど賢くないし、偉くもないと考えています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご丁寧に回答ありがとうございます!とても参考になりました。
私はリビングウィルとして自分の意思を残しておくの事には単純に良い事だと思っていましたが、自分の命だからといって自分の好きにしていいという事ではないというご意見には、なるほどなと思いました。
また、尊厳死の法制化の賛否についての部分で、自然に委ねるべきとおっしゃっていますが、無理な延命治療の方が自然な人の死とはいえないのではないでしょうか?それを拒否するのもエゴでしょうか…。でも回答者様の言う通り人の生死はコントロールできるものではありませんし、尊厳死は「好きなように死ねる」制度ではないよう法制化には厳格な要件を設定すべきだと思いました。

お礼日時:2012/12/13 22:45

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!