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今日、不思議な事がありました。
今日は、母の月命日なので、姉とお墓参りをしていた時の事。
般若心経を唱え、最後に「南無阿弥陀仏」と十念を唱えた直後
「パリン!」という音と共に、蝋燭立てのガラスが突然割れました。
こんな事は初めてですし、何かの知らせなのか、気になります。
ネットで「ガラスが割れた 予兆」とか調べてみても、地震の予兆
や予知夢の事ばかりが出てきてしまい、分からないので、どなたか
何か意味があるのか、分かる方、教えて頂けたらと思います。
どうぞ、宜しくお願い致します。

A 回答 (3件)

何の知らせでもありません。

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 寒いから 風邪をひかない様にと  。

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南無阿弥陀仏と唱えるところを見ると浄土宗、浄土真宗、或いは天台宗でしょうかね。

別の宗派でも唱えますけど。

阿弥陀仏は、みずからの名号を称える者を浄土に往生せしめると本願に誓い、衆生の積むべき往生行の功徳のすべてを代って完成しているとされ、コレを唱えれば即浄土に往生するといわれます。
つまりお母様も唱えていれば、即浄土に往生していますし、あなた方がお母様のことを思って唱えても同じなのです。

ガラスですから温度変化で割れたというのは簡単。だけどなぜ割れなければならなかったのか、なぜそのタイミングで割れるのかは科学での立証は不可能です。科学には偶然はありません、必ず道筋が存在しますから。だから「二つの現象が連動して起きたわけではない。関連してはいない」というだけのことです。「偶然」という言葉は全てをあいまいなうちに結びつける魔法の言葉であり、コレを使ったら科学的証明もわからない部分をそのまま「偶然」で処されてしまいます。

世の中、そして人生の大半は自分の意とは異なった“悪いこと”しかありません。そして一昔前までは死ですら「この世から解き放たれた」といって喜ばしいこと(会えなくなる悲しみと不幸の悲しみは別)と捉えていましたが、今でも死は悲しいことでしかありません。(実際に世界中で祭りのように笑顔で送る儀式があります)
浄土思想も、死は決して悪いことではないということを教えていますが、今では多くの人が死を不幸だとか不浄だとか言います。神道でも死を穢れだといいますが、実際には死は穢れでもなんでもないんです。構成の人間が勝手に解釈しているだけなんです。(大体身内が死んで「あなた穢れている」なんていわれたら怒るべきでしょう)
つまり凶事の前兆といえば大抵は当たる確立なのです。

ですから二つの現象は全く関連がないといえばそう思えます。
しかし、そうではない、何かしらそこから汲み取るべき事があるはずだと考えるなら・・・
南無阿弥陀仏は冒頭に書いたように浄土思想の教えです。
そして、パンという破裂音や高音は古来より「破魔」「浄化」の音とされています。だから神道では鈴を鳴らしたり拍手をするわけです。
つまり教を唱えて破裂音を出した=浄化し浄土に往生したという完成を意味するものと考えられます。
お母様は無事に浄土にお着きになっています。これからは自分達のために南無阿弥陀仏を唱えなさいという意味なのです。ですから今後はお母様に対しては感謝の意味で、あとは自分達のために六文字を唱えるようにすればいいのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ガラスが割れるというのは、確かに、蝋燭の火の温度によって
割れたとは思いますが、どうしても、タイミングと音が気になってました。
ですが、「浄化し浄土に往生した」という、知らせだと考えたら、私自身
納得でき、また、心が軽くなった気がします。
丁度、今週末、百箇日法要ですし、きっと、浄土へと往生したよっていう
声だったんだと思えます。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/19 12:41

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