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無宗教、または信じるモノがなくても生きられる人いますか?いる方はどうやって精力的に人生を歩んでいるのですか?大変興味があります、よければお聞かせください。

20代です、私は自分に価値がなく、生きる意義を見いだせないので、自身が憧れる尊い理想を胸に抱き、従うことで、初めて自分に価値を見いだせると思っています。それは宗教の信者と同じことだと思います。

A 回答 (24件中1~10件)

教員です。



特にこれと言った信条はありません。

日々の仕事に取り組んでいれば、やりがいも湧きますし、自分の存在意義も実感できます。(特に、子どもに慕われれば)

同僚で「ある特定の宗教を信じる」人の方が、何かと「困った」状況になっています。

「信じる」が故に「相容れない状況に直面して、価値観を問われる」など。

そういう意味で、しいて信条を言えば「人は様々な価値観を持っている。だからこそ、人と話すのは楽しい」でしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

自分の職業に誇りを持っているのですね、確かに教員はやりがい、価値を実感しやすそうですね、私も人に正しいことを教えることは好きなので、その喜びはよくわかります。

>同僚で「ある特定の宗教を信じる」人の方が、何かと「困った」状況になっています。
「信じる」が故に「相容れない状況に直面して、価値観を問われる」など。

日本では宗教を信じている人の方がネガティブに見られるように思えます、カルト教のテロリズムのせいでしょうね、そのせいで宗教全体が悪く見られる傾向になる。風評被害には困ったものです‥。

う~ん、ちょっと困った状況というのは想像がつかないですね、私は理想が原因で困った状況になったことはありません、あ、いえ、きっと正しいことを指摘してトラブルになったことが他人にとっては「困った状況」なのでしょうね、日本では「事なかれ主義」が良いとされていますからね、私はさぞや「面倒くさい奴」と思われる厄介者でしょうね。

でも迷惑だからって「道理」「道徳」「合理性」「正義の味方」という自分の信じる理想に従ってはいけないと言われることは生きがいを奪われることに等しいです、解決の見通しがないので、この問題は一生付き合うことになるでしょう、悩み続けることになるでしょうね。

>そういう意味で、しいて信条を言えば「人は様々な価値観を持っている。だからこそ、人と話すのは楽しい」でしょうか。

良いですね、私も様々な価値観に触れることは楽しいです、そのおかげで心底惹かれる美しいモノに出会えるのですから。

お礼日時:2013/05/31 03:18

元クリスチャンです。


ある教義を信じることの良い点と悪い点があると思います。
私も元々自分に自信がない人間ですが、そんな私にキリスト教の原罪の教義は、何十年も私を苦しめたように思います。同時に、愛が執着とは違うこと、イエスのように世間的な名声を求めない生き方が大切だということも学びました。
しかし、世界で起きている宗教対立を見ると、ジョン・レノンがイマジンの中で、宗教のない世界が理想だと歌っているのも一理あると思います。ある特定の教えに束縛されず、他者の多様な意見を受け入れる心も大事です。
宗教を信じると、とかく自分は正しいのだから、他人も導かなくてはならないと考えてしまうことです。
人生に意味などないのだから、目の前にあることを一生懸命やることが大切だ、とか、どんな思想も教えも自分を苦しめるとしたら、それは悪い思想だという仏教の教えにも惹かれます。
宗教対立とは無縁と思った仏教ですが、ミャンマーでは、イスラム教を弾圧しています。
どんな教えにも限界があるのですから、自分で学び、何が正しいのか判断する力を養うことが大切ではないでしょうか?
特定の宗教を信じれば、ある人には楽かもしれません。しかし、時には思考停止状態に陥ります。
たくさん学び、前の方がおっしゃっているように、違う意見も聞くことのできる人になれた時、あなたは本当に強い人、何ものにも捉われない自由な人間になれるのではないかと思います。
独りよがりにならないためには、先人の様々な知恵を学んで下さい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

あなたの信じる宗教が自身を苦しめたのですか?それは思ってもみないことですね、信じるモノがあることで人生に尊い価値をつけて豊かにするものだと思っているので私には想像できませんね‥。

>同時に、愛が執着とは違うこと、イエスのように世間的な名声を求めない生き方が大切だということも学びました。

ふむ?それは私にしてみれば極当たり前のように思えます、愛とはただ与えるモノであるので欲のカタチである執着とは全く無縁です、世間的な名声については考えたことすらないのでなぜ求めたらいけないかはわかりませんね、私は関係ない他人からどう思われようと興味がありませんからね。

>しかし、世界で起きている宗教対立を見ると、ジョン・レノンがイマジンの中で、宗教のない世界が理想だと歌っているのも一理あると思います。ある特定の教えに束縛されず、他者の多様な意見を受け入れる心も大事です。


私も他者を排しないと成り立たない宗教は邪教だと思います、他の神も受け入れる八百万の神を謳う神道は無害で理想の宗教だと思います、世界が神道一色に染まれば皆日本のように礼儀正しく秩序ある先進国になれると思います。
私は理想に束縛されているつもりはありませんね、それに私の性格的に「良いモノであれば出自問わず取り入れる」なので合理的に道徳的に正しいと思えば他者の意見は聞き入れますが、迷惑という全否定だけは聞き入れるわけにはいきません。
私は「絶対に迷惑をかけないなんていう理想の体現」神のような超越した存在にはなれないのです。

>宗教を信じると、とかく自分は正しいのだから、他人も導かなくてはならないと考えてしまうことです。

他人に強制はいけませんね、私は強制する気は全くありません、様々な価値観があってこその現世と思います。


>人生に意味などないのだから、目の前にあることを一生懸命やることが大切だ、とか、どんな思想も教えも自分を苦しめるとしたら、それは悪い思想だという仏教の教えにも惹かれます。 どんな教えにも限界があるのですから、自分で学び、何が正しいのか判断する力を養うことが大切ではないでしょうか?

私も全くもってその通りだと思います。私はわかっていても一生懸命に生きられないから理想に縋るしかないのです‥。自分に価値がなくても尊い理想には価値がある、だからこそ憧れた、「正義の味方」は他者からの受け売りで、持ってまだ1年半と短いですが、何よりも強く憧れています、何をしたらそれになれるかもわかりませんが、胸に抱きつついつかはなれたらと思います。
他のは生来から根付いていたものです。それを貫き通すことで理想になりうると現時点で気づきました(笑)なのでそれも理想とし、これからも従います、そもそもそれが自身に根付いてる時点でそれしか選択肢がないのですから。


>特定の宗教を信じれば、ある人には楽かもしれません。しかし、時には思考停止状態に陥ります。
たくさん学び、前の方がおっしゃっているように、違う意見も聞くことのできる人になれた時、あなたは本当に強い人、何ものにも捉われない自由な人間になれるのではないかと思います。
独りよがりにならないためには、先人の様々な知恵を学んで下さい。


はい、私もそれが正しいと思います、きっと「悩む」ことが人間の在るべき姿なのでしょうね。ただ悩み過ぎて行動できなくなったら本末転倒ですが(笑)悩んだ末に白黒はっきりつけるのが私が正解と思うものです。
ただ何者にも自由な人間は無理です、私には従うべき理想があります、それは自己と言い換えてもいいものです。
自己からの逸脱は人間ではありません、それは仏かなにか、現実的には死です。
独りよがりですか、理想や誓いなんて所詮自己満足ですからね、難しいと思いますが、努力します。

お礼日時:2013/05/31 04:08

私も、無宗教、という日本人に対して苛立ちを覚えます。



日本という国は、習慣の中に、すでに仏教、神道が染み付いています。

一切お盆もお墓参りも正月にお寺、お宮参りもせず、「あけましておめでとう」、も「いただきます」「ごちそうさま」も言わず、結婚式もお葬式もしない、というかたがいらっしゃれば、
その人は無宗教、といってもよろしいかと思いますが、

未だかつて私はそんな日本人にあったことが無いので、ただ、自分がどれだけ習慣になっているのか分かって無いだけですね。

そうですね、質問者さんが言うように、それも宗教の信者といってもおかしくはないでしょう。


ただ、信じるものがなくてもただ生きる、ということはできますよ。
まあ大体そういう方は、決められた仕事を淡々とこなし、自分を社会のコマという位置づけに置くことで、人生というロールプレイングをやらなきゃいけないからやっている、という状態なのだろうと思いますよ。

宗教に属していても、信じるものが危うくなる時はあります。(世の中に絶望したり、、、)そんななか、回りに人がいる、って気付くだけでも一歩歩けるので、そういうものなのだと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

申し訳ない、なぜ苛立つのか私にはわかりかねます。
愚民、無知であることを憂い、苛立つというのならわかりますが、関与すべきことではないし、個人の行為としては完全に逸脱しているように思えますので。


社会のコマですか‥。私も考えたことがありますが、本人たちはそれで生きいて楽しいのでしょうか?機械のように振る舞うことは人間には苦痛でしかないと思います、私は人間は理性的に時には感情的に生きるべきだと思います、理性的にならないと秩序正しいことができないし、感情的にならないと他者とのコミュニケーションが難しく、何より楽しくないと思います。

>宗教に属していても、信じるものが危うくなる時はあります。(世の中に絶望したり、、、)そんななか、回りに人がいる、って気付くだけでも一歩歩けるので、そういうものなのだと思いますよ。


私は現実に絶望したからこそ、理想に憧れたのだと思います、奇麗なモノ楽しいモノはいっぱいありますが、それは決して生きる理由にはなり得ないのです。
自分の信ずる「尊い理想」に従うことで生きるのに不可欠な「夢」と「存在意義」を持つことで、辛い現実を耐えて生きられるのです。
それは死者には決して見ることのできない、生者だけに与えられる希望です。

お礼日時:2013/05/31 04:28

アート系の人は、けっこうそういう人多い感じですよ



もうアートそのものが自己表現ですから生きがいにもなってるし
信じるものみたいなものもそこに入ってる気がします

アートの世界にもかなりダークな世界もあるので、
それが悪魔教的な存在に見えます。

歌の歌詞も、人生教訓にあふれたものがありますね。

ただ、アート系は、なんだか迷走しているように見える人も多い気がします。



あと知ってるのは、自然派の人たちです。

外国で、エコビレッジに2カ所いってきました。
自然と調和したライフスタイルを目指す共同体です。
宗教をこえて人々がつながりあい、
子孫のため、地球生物のため、環境を守る、自然と調和して幸せに生きる、という、
夢や希望がある生き方だなあと思いました。
この人たちはすごく輝いていました。



自分の心の中に、自分の信条をもつことは大事だと思います。

たまたまそれが合致した宗教になら入ってもいいんじゃないかと思います。

この回答への補足

あなたの話を聞かせてほしかったです、あなたが精力的に生きていけるのはなぜですか?

補足日時:2013/05/31 16:56
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

アート系ですか、なるほど価値のあるモノを生み出すことは、それを生み出す人自体に高い価値が生まれるでしょうね、それはとても素敵で幸せなことでしょうね。

自然派ですか、ふむ、自然と調和することで周りのモノと一体感が感じられることで自然の意義や価値そのものになるのでしょうね、それもまた素敵で幸せなことでしょうね


肯定されて嬉しいのですが、宗教に入ろうとは思いません、私の理想は私だけで目指すモノですからね。

お礼日時:2013/05/31 16:54

 無宗教ですが、信仰が無いわけではありません。

地球の大自然や、宇宙の神秘を司るものには、大いに興味があります。

 しかし、そういう感情は、既存の宗教産業に関わる人々の、下世話な営みに、飽きれてしまって、不愉快になることさえあります。

 全ての宗教産業は、犯罪組織にしか見えません。しかし、そういった組織によって、喜びを見いだしているいる人々がいることも事実なのでしょう。自分には、無縁ですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ふむふむ、知的好奇心ですね、それこそ人生の目的ですかね。

その思想は既存の宗教とは関係ないので不愉快になるのも当然でしょうね、あなたの知的好奇心は他人を必要としませんから。

お礼日時:2013/05/31 16:58

じじいです。



若い頃、料理をするケロシンストーブと鍋を持参で外国を何年も旅していました。

今でも独りで生活していますが、心は旅の延長線上にあります。

何もなくても、鍋で料理が作れれば生きていける。

これが私の生きている自信であり、原点でもあります。

価値も、意義も今生きているそれだけで既に証明されていると思いませんか?

太陽と月と大地と共に生きる。

>無宗教、または信じるモノがなくても生きられる人いますか?

また新しい明日が来ることは、信じています。

人生難しく考えなくても、楽しめるものです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ご年配の方ですか、言葉に重みがありますね。

人、自然などの危険が常に隣り合わせの外国を旅することによって「生きる」ことの大切さ、命の尊さを感じたのでしょうね。

確かにあなたはそんな過酷な旅から無事に戻ってきた、そのことであなたの存在意義と価値も証明されています。

常に危険と隣り合わせでいると明日、未来があることの幸福、尊さを確かに感じるでしょう。
正直羨ましいです、私も危険と隣り合わせで戦うことで自身に誇りを持てるでしょうか。

お礼日時:2013/05/31 17:07

そもそも、宗教とは何かを知って居るのでしょうか?



何となく・・ではなく。

その当たりから。
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この回答へのお礼

「宗教とは、「崇拝」することを中心とし、集団で精神や体、環境などを向上しようとする活動のこと」

ふむ、私は個人ですが、理想を崇拝するということは、神仏を崇拝する宗教と同じだと考えました

お礼日時:2013/05/31 17:10

自分が信じる物は自然の摂理…つまり自然への畏怖ですね。


日々日常に感謝し自分を生み出し育んだ自然への感謝です。

これは特定の宗教ではなく、原始宗教である自然崇拝に近いものだと思います。
元々日本人って無宗教ではなくこのような物が意識することなく自然に身についてるんだと考えます。

自分に取って神とは自分を取り巻く自然そのものです。
逆に一神教や、神を擬人化したものは素直に信じる事はできません。
これが宗教なのかというと良くわからんですが、無宗教っていうのともちょっと違う気がしますねぇ。

自分が単に自然の一部であると意識する事かな?
生きているというより生かされているという感じですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

偉大な自然に感謝し、同時に自然を畏怖し、神とは自然そのものである、それは間違いなく八百万の神、神道ですね。
やはり日本人には無意識で神道精神が遺伝子に根付いてるのでしょうか、驚くべきことです。

つまりあなたは感謝し続けることで生きているのですね、確かにそれなら精力的に生きていけるでしょう。

お礼日時:2013/05/31 17:14

「神は我が心に有り」



 無宗教では無く、無宗派です

 「鰯の頭も信心から」

この回答への補足

回答ありがとうございます。
「自分の心には神が宿っている」ってことですかね?
どういう状態であり、なにを根拠にしているのかちょっと想像できませんね

補足日時:2013/05/31 17:16
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いわゆる宗教法人などの「宗教」と信じるもの「自己の哲学」とはちがいます。


わたしの母は神など全く信じていませんが「大宇宙の不思議だか偶然だか」というものをよく言います「自分が生まれたのは神秘だし偶然、花がきれいと思うのも不思議、これは自分が得たものではなく明らかに生まれる以前からある何か」だからそれを信じる。信じるといってもお経や賛美歌をいうのではなく
自然に「ありがとう」といい感謝し敬意を示す。それだけですが、よく理解できます。
宗教を信じるというのはオームや創価にみられるよう個人意思を洗脳し団体に「帰依」させるものが多い。良かろうが悪かろうが方法はどうであろうが、必然的にそうなるものです。
だから宗教を信じるというよりも何かの哲学を自分で持ち、自分自身を信じること。
わたしの場合は騎士道です。騎士道はいくつかの美徳があり、それは戦場よりも生活において実践することがその人の人となりを良くするものだ。と勝手に解釈しています。
わるくはない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

オームや創価はカルト宗教とされているので、宗教の代表にはふさわしくないでしょう。
宗教批判ならやはり信者の多いキリスト教などを代表にして批判するほうがいいと思います。

騎士道ですか、それは意外です。詳しくは知らないのですが、騎士道とは剣を持ち、従うべき主君を持つ者しか持ち得ないと思っていました、当然現代では円卓の騎士にしか現存しないものかと。

お礼日時:2013/05/31 17:21

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