準・究極の選択

昔の人は、自国を中つ国と言いました。
※日本語的解釈です。
中国では中華と称します。

第二次世界大戦以前は、中国を「華」と読んでいました。
ですが、数年後の日中戦争では「中」です。

中国の歴史的見地からいっても「華」で良い様な気がします。
日本語的略称で言っても、大韓民国が韓国。
これは中国と同じように考えるからです。
嘗て中国に大元という珍しい国名の時期がありました。
この時も日本では「元」でした。
台湾が「中華民国」だからという指摘もありますが、既に中華台北もしくは台湾となっているので、華で良い様な気が済ますが、誰が使い出したかわかりますか?

もしかして、また朝日新聞ですか?

A 回答 (3件)

1905年に興中会、光復会、華興会などが合併して結成された中国革命同盟会が初出だと思います。



この手の話題で問題なのは、そもそも中国とはどういう必要性があって生まれた用語なのか理解することが重要だということです。華興会の革命目標の一つが「満族の駆逐」であったことで分かるように、歴史的な用語としての「中華」は満族に象徴される騎馬遊牧民族に対応する概念です。清朝末期の1900年前後における中華という用語は、満族の支配に甘んじている漢族の民族意識を鼓舞しようという意味を含んでいた筈です。

現代日本人は「中国」という概念は、満州・満族を含んでいるのか否かという問題意識を全く持っていないように見受けられますが、「中国」という概念が提唱された頃の中国にとっては、それは大きなテーマだったに違いありません。

中国には満族を含まないという立場によれば、革命は満族を満州に追い払えば完成する筈ですが、中国には満族も含むという立場によれば、革命は民主的な統治体制構築を意味することになるでしょう。孫文が三民主義を唱えた時点の民族主義は、韃虜の駆除・中華の回復の意味ですから、前者の立場であるが、いざ清朝が倒れると五族共和に変質して満族、蒙古族、チベット族、回族も含めた帝国主義的解釈に変わっていきます。排満論と五族不可分論の間で、中国の意味が揺れ動いている。

1924年にソ連の軍事力を背景にしてモンゴル人民共和国が独立したことで、五族不可分論は破綻してしまいましたが、そもそも私達は中国という用語をどういう意味で使っているのだろうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

漢族論でいうと、台湾は清に追われた明の漢族ですよね?
でもって、今の台湾も、中国に追われた中華民国の漢族ですよ。

今の漢族が明時代の領土回復を目指しているならともかく、清の全盛期なのが訳分かりません。

中国指導者自身が日中戦争を企てたのは我々だと、公言しているのにかかわえあず、日本の侵略戦争だと主張する「歴史修正国家」だということは分かっています。

まさか孫文だったとは・・・

お礼日時:2013/06/11 17:13

補足です。


韓国も中国を中国と呼ぶようです。
この前知って、ちょっとびっくりしました。
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。

へ~、なんでだろ?
日本統治の影響?

お礼日時:2013/06/11 15:41

日本に留学していた梁啓超が言い出したのが現代中国を中国と略称する端緒でしょう。



この件については日本経済新聞、2009年10月26日版「最初の歴史教科書問題」に詳しく掲載されています。

参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

中国人なんですね。

お礼日時:2013/06/11 15:39

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