プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

自分にはたぶん愛情というものがありません。
愛情が無いのは、親や他人から愛情を貰えなかったからではなく
自分自信が感謝という気持ちが無く、周りからの
愛情を弾いてきたからだと思います。

感謝の気持がないから愛情をもらってる自覚がありません。
愛情をもらってる自覚がないから、愛情を与えるという概念がありません。

愛情を与える概念というものがないので
人間に無関心、
気遣いがない、
人の幸せを喜べない、
ふられてもあまり悲しくならない、
相手を喜ばせたいという思いがない、
空気が読めない(読もうとしない)、
親切が自分のための親切
(自分をよく見せたい、相手に好かれたい)

感謝をしなければと何かしてもらったら「ありがとう」と言ったり
神社を毎週参ったりしているのですが、全部カタチだけです。
自己満足の為の感謝です。

「感謝したい」のではなく、「感謝してるつもりになりたい」、の感謝です。

もしかしたら親が死ぬとか自分自信が衝撃をうけるぐらいのショックを受けるような
出来事がないと一生感謝という感情が分からないのかもしれません。

みなさんが感謝することができる(できるようになった)のはどういう時ですか

アドバイスよろしくお願いします。

A 回答 (10件)

感謝の気持ちが起きない理由の一つに、自己中心であることが挙げられます。


自分の軸しかない状態では、歯車が回りません。他者という軸とのかみ合いがなければ・・・
世の中に自分しか存在していないのなら自己中心であることもありえるでしょうが、他者との関わりなしに生きる空間は、宇宙中どこに行っても存在しません。
例は無限にあり過ぎて今更ここで書くほどのことでもありませんが、例えばマクロの世界では、地球でさえ、自転しつつ太陽の周りを公転しています。太陽も自転しつつ公転しています、太陽系自体も自転しつつ公転しています。銀河系も・・・
自転だけでは存在は成り立たない宇宙なのです。
もちろん公転だけでも成り立ちませんが・・・
つまり、自分と自分以外の他者(人のみならず外界の全ての存在)は関わり合うことが前提で存在しているわけです。
今の地球環境一つとってみても、惑星間の距離や地軸のわずかな違いで存在は保てないのです。空気もちょうどいい状態にある理由はそこがしっかりしているからです。
空気一つなかったら数分後には存在していません。たとえ空気が十分にあってもそれを呼吸する肺がなかったら、存在していません。肺が正常でも酸素を送る機能がなかったらそれもまた存在を保てなくなるのです。
何一つ欠けても存在ができなくなるという相関関係で成り立つのが人間界はもとより、全宇宙までがそうなっています。
感謝は、自分の存在を存在たらしめてくれた全ての他者に対して発生する「お陰様で」という思いが根本です。
特に人間界では、自分と他者を切り離して考えないことが重要です。
「自分は自分、人は人」という考えは、一面真理ではありますが、それだけでは半分なのです。
「自他分離」思考は、孤立を深めます。
人間の真骨頂は「自他分離」ではなく、「自他同一性」にあります。
自分を知ろうとしていくら自分・自分・自分と自分だけをみつめても、それだけでは生涯自分を知ることはできないのです。
それは、他者との関わり合いの中で初めて存在できるようになっているからに違いありません。
自分を知るための道は実は他人の中にあるという結論になるのです。
自分を知るには、他人を先に知る必要があるのです。
ところが、それが真理ならその逆も真理となります。
他人を知る道は自分の中にあるということです。
つまり、自分を大切に取り扱うことが、自分を知り、他者を知る原点になるのです。
自分を大切に扱う=自分をいい加減に扱わない・・・そのことができたら感謝の気持ちなんか、自然現象のように湧き起ってくるものです。
軸と歯車がかみ合う正位置に立てば、誰でもするなといっても感謝してしまうのです。それが自然だから。
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感謝を教える事は出来ません。

心の奥から湧き出るものですから。でも空気が読めないとか相手を喜ばせたいとかって感謝とは全く関係ないです。もっと簡単な朝日を浴びたときとかその程度のものです。そんな時ふとわきあがる感情ですから恵まれている間はなくても仕方ないです。

私が鬱になりかけたとき、感動というものが消えました。
そんな時私は強引に笑いました。今でも決して面白いと思わない関西芸人のギャグでも無理やり大声で笑ったり、食事も味はほとんど判りませんでしたが、大げさにおいしいといってみたり。その後もあれは面白かったとか美味しいってあぁいうものを言うんだと繰り返しました。それで徐々に感動を戻すことが出来ました。

そしてその後心臓発作で死に掛けたとき、私はホッとしましたが生き残りました。
生きることの喜びはありませんけども、その後で朝陽の暖かさに生きていることを実感し、有難うと声に出しました。
声を出し続けることで、ありがとうの対象が徐々に増えました。

私にとっての感謝の再発見はそんなものです。
大事なのは形だけでも良いから続けること、そして形でもやったらその後分析しないことだと思います。
分析しているのは自己否定、感動しない感謝しない自分に酔いしれていたいだけなんです。

コレで貴方が感謝できるようになるか同意かは全く判りません。私は自分の体験を述べたに過ぎないですから。でもほかに見つからなければ半年くらい続けても良いのではないでしょうかね。
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目の前の人がどんなに心を込めて渡してくれていても、自分自身が曇った侭のときは湧きあがることはありません。


私はどのような物こと 染み入るように感じるときは、頭や感情に振りまわされないで自分に何があるとか出来るとか雑多なことを取りはらった状態の時に『ありがとう』と感謝が溢れてきます。

自分自身の理屈や感情に揺れて、自分を迷子にさせないことで感じることができるかも知れません。
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 感謝は義務感でするものではなありません。


 他者に頭を下げてお礼の言葉を述べる表面的な感謝ではなく、内面の感謝について考えてみましょう。自分はついてるなぁ、という実感としての「恵まれてる感」「ラッキー感」、そしてそれが他者(他人・親・神・運命など)によってもたらされたという認識、これが“感謝”の基本構造だと思います。実感と認識です。
 実感は努力して得られるものではありません。努力して得られないものを義務感でどうこうしようとするのも変な話です。返って、頭を下げさせようとされていると、負担に感じ、その嫌な感じを感じないように、感覚を鈍感にする防衛機制が働くでしょう。
 ただ、考え方によって、感謝しやすい人とそうでない人があると思います。それは“期待”をするかしないかということです。何かを当然のことのように期待すれば、その通りで当たり前、そうでなければ期待を裏切られたとなります。決して「ラッキー!」とはなりません。努力するとすれば、期待しないような考え方になれるように考えることです。親に期待しない、他人に期待しない、将来に期待しない、普通レベルの生活・昇進ができると期待しない、そういうニヒルさも案外たいせつです。

 誰もあなたに『感謝しろ!』とは言ってません。そういう強迫感があるなら、それは誰によってもたらされたのか、よ~く考えてみることです。気持ちをニュートラルに戻し、自然体で構えればいいのです。真の意味の感謝は義務感でするものではありません。
 自然とか神とか運命とか、そういうのに対する感謝は自分の心の中でやってれば済むことなのでどうってことありません。ですが僕も50歳にもなると、なにげない他人からの気遣いを見落として、お礼の機会を逃がすのが怖いです。タイミングよくサラッと感謝の気持ちを伝えられる人間になりたいと思います。自分がお礼をしたいからお礼をする、自分の気持ちを満たすために。自分中心でいいのです。相手に負担を掛けずにお礼をしたい、それができるようになりたいと思っています。

参考URL:http://yukiduke.jp/hitorigoto/huko.htm
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人それぞれの思いや考えがあります。

よかったよかった。
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他人に労力や迷惑をかけることを知ってからですね。



ジブン一人で生きている様に粋がっていた若い頃に比べると“感謝”の念が深くなりました。

また“感謝”は何かあったらするものではない、と個人的に思っています。

何か“ジブンに対して有っても無くても”ありがたい・・・が本質だと知ったからでした♪

以下はアドバイスというより、個人的な意見をシェアさせていただく為ですのでご容赦ください。感謝をしなくても生きて行けますが、ワタシ達は感謝をすればするほど“目に見えない力まで”ご加護やサポートがあって運気を上げられることを教わっていないばかりか、余り知らさせておりません。

■目の前にある文房具、食卓に並ぶきゅうり
例えば携帯でもいいですが、これを開発したヒトや製造したヒト、箱詰めし梱包したヒト、データ処理(受け皿)のヒト、販売のヒトや電波(電気や電波を護る部類の会社・ヒト)にいたるまでワタシは殆ど関わっていません。

購入するだけで、使う権利や便利を得られますが普段から気付いてらっしゃいますでしょうか?

きゅうり一本ジブンでは作っていないのに、コンビニに行けば食材の一つとしても食べられます(文房具もそう)。

もっと言いましょう。空気や太陽光は神さまの仕業ですが、これ等の無償の愛が無ければワタシ達は生活さえ出来ません。

また先祖が命を削って祖国日本を護ってくれたから(沖縄の話を横に置きますが)アメリカや諸外国に占領されずに自治権を与えられています。おじいちゃんやおばあちゃんが生き残ったから、今のあなた様の存在が在るということも言えます。

どれだけの方の労力や迷惑をかけて暮しているか・・・いちいち引きずられはしないにしろ、ワタシ一人とっても“積み上げてきたもの(文化・文明)”や“サービスや税金”のお蔭で車を運転出来たり、自由意志を存分に働かせられるというワケです♪

アインシュタイン博士は言います。
「一日の中で思い起こせば、物理的・物質的な豊かさを享受できていることに感謝して生活している」と。ワタシはこの謙虚さがあったからノーベル物理学賞をもらう発明・発見を(インスピレーションとして)得たに違いないと思っているくらいです。

ジブンが創り出したモノに囲まれていない現実を知り、迷惑をかけずに暮すことが出来ないと知った以上、述べたような謙虚さにも至りました。
(1)働かせてもらえている
(2)親として子供の存在が“親たらしめてくれている”
(3)夫をやっているようで妻の行動があって夫で居られている
(4)父親や母親が社会で働き、コミュニケーションを図ってくれたお蔭で社会的な生活を帯びられている
(5)意識せずとも心臓が動き、太古からの記憶をもっている60億の細胞一つ一つのお蔭でワタシが形作られている
(6)あの産婆さんや医者のお蔭で命がある
(7)いろいろな命を絶ち、食物連鎖の上で迷惑を掛けて命を次世代(子供)に繋ごうとしている  etc.

■感謝できるようになった時
トラブルや障害、困難で前に進めないとおもった折に、直接のサポートでなくても
○祈ってくれたヒトが居た
○尽力したり口ぞえしたりしてくれたヒトが居た
そんな時です♪

感謝というのは(ワタシ個人的に思うに)理解したり分ったりするものでは元々ない。湧き出てくるものであって、自然発生的なものだという情報です。

しかも、遺伝子として“喜ばれると嬉しい”というものを元からもって人間をお互いにやっているワケですので何れ気付けます。今世そのタイミングが無くても平気で来世があるし来来世もありますから(笑)“喜ばれると嬉しい”というスイッチが入ってしまうとカラダがアタマより優先的に勝手に動きます☆

最後に。
感謝を知らなくても大丈夫、すべて分らなくても大丈夫、あなた様の本質(真我/内神、エクサピーコとも言う)は十分に認識できているということ。それを(肉体であるあなた様が)発露する/言葉で言えば言うほど“投げ掛けたら返されるという宇宙法則により”感謝をしたくなることや感謝を言いたくなる事を倍返しされる・・・運気を倍増させられる・・・たったそれだけ♪のことですからね。以上です。

~ あなた様に全ての理解を超える程の平穏が訪れ、あらゆる良き事がなだれの如く起きます  ~
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直接質問の答にはなっていないと思いますが、少し回り道をしないと理解していただけないと思いますので。



「自閉症スペクトラム」という言葉を知っていますか?。
これは最近出来た精神医学での概念で、知能指数と自閉度を指針として、対象者の状態を指し示す試みです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E9%96%89% …
これは簡単な図ですが、自閉度と知能指数は相関関係にあるのではなく、高知能な人でも「自閉症状」というものは見られ、それを「アスペルガー症候群」と呼んでいるわけです。

あなたにはおそらくはですが「自閉傾向」があり、その関係で対人関係に障害が発生しているのだと思います。
ここで断定は無理ですし、注意深く探る必要がありますから、もしテストを受けたことがなければ、精神科医でテストを受けられたほうがいいと思われます。

質問のことは、あなたにとっては重要なことですし、答えがわからないままに迷い続けているのも酷というものです。
また、日常的に気をつけるべきこと、実践するべきことや考え方など、そういったものも原因がわかってこそですから、出来る事であれば診察を受けたほうがいいと思うのです。

他人からいかに、感謝を出来る切欠を聞こうとも、その「理解」が難しい状態であるなら、それはあまり効果的手段とは思えません。
同じように行動すれば良い、というものではないからです。
あなたは、あなたのやり方で行動しなければいけないのですし、そうでないと自分でやろうとしていることの「意味」を知らないままで動いているということになります。
それは危険なことです。

今の自分の状態を把握していくことで、自分に何ができて、何が出来なくて、ということが「初めて」わかってきます。
そこからスタートしなければいけません。
どうか近道をせず、根本の原因を知り、そこから始めるようにしてくださいね。
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この質問も含め、プロフで公開されている前の質問(特に心理学について)も拝見したけど、ずいぶんと頭の回転の早い人だなぁと思ったのが第一印象。



恐らく、一般と比べて洞察力が鋭過ぎるのだと思う。
そして、自分自身に対してとても素直で誠実過ぎる人間なんだと思う。

その証拠に、このような感情は、確かに前々から感じていた事ではあるだろうが、「こんな風になってしまった」と言うよりは「このような考えに至った」と言った方が、君の考えに近いのではないだろうか。

ま、自分としては、君のこのような考えは、実際とても共感出来る部分ではあるんだよ。

でもね、長く生きていれば、人間、自他ともにそう簡単に割り切れるもんじゃないって事も分かってくる。

世の中の事には全て、表と裏、光と影、陰と陽が存在する。

君には、それが分かっているのだろう?

表は表として、光は光として、それだけを受け入れる事が出来るのであれば、それほど簡単で幸せな事は無いだろうが、でも実際はそれだけでは終わらない事ばかりだ。

いつの間にか裏を読む癖がついて、いつの間にか影を確かめる癖がつく。

だからつまらない、面白くない、単純になれない。

でもさ、本当は、現実はもっと複雑で、もっとしたたかだったりする。
今よりもずっと深く裏を読んだらどうだろうか?もっと影をよく見たらどうだろうか?
君の「それ」は、本当に真実なのかな?

人に関心が無いなら無いで、別に構わないさ。
これと言って他の誰が困る訳でもない。

そもそも、「ありがとう」と言う感謝の言葉が、「本心」なのか「形」なのかなんて事は、自分以外の誰にも分かる事ではないのだから。

本当は、全部初めから「自己満足」でしかないんだよ。

君は、きっと無意識ながら、自分自身に絶対的な「自信」がある人なんだな。

全てを悟ったつもりになるのはその為だろう?

初めから期待しなければ傷付く事も無いし、初めから求めなければ後悔する事もない。

それが分かっているからこそ、不可抗力で絶対逃げる事の出来ない「衝撃」を欲しがる。
「このままでは駄目になる」と言う事も、君には分かっているのだから。

>みなさんが感謝することができる(できるようになった)のはどういう時ですか

自分の場合は、自分自身が「ちっぽけな人間だ」と言う事を自覚出来た時かな。
無力な人間だ、弱い人間だ、卑怯で我儘で孤独な人間だ、と、そう分かった時かな。

今は、全ての出来事に感謝出来るようになったよ。
人との出会いにも、行動にも、時間はかかるけど嫌な事でさえね。

自分を強くしてくれる、力を与えてくれる、学ばせてくれる、前を向かせてくれる、その「きっかけ」を与えてくれる全ての事に、心から感謝する。
本当に、自己満足以外の何物でもないけど(笑
今は、それでいいと思ってるよ。

いずれ君にも分かるはずだ。
親が死ぬまで待たなくても、自分を追い込むような真似なんかしなくても。

分かっているだろう?
「表」に「裏」は付き物なんだ。
だから、君が今、人に絶対的に無関心でいる分、裏を返せばどうなるかって事ぐらい、想像はつくはずだろ。

ま、結局、感謝する事もしない事も、同じくらい理由なんていらない事なんだよ。
だからこそ、その分「自分自身の気持ちと行動に責任を持たなくてはいけない」事なんだよ。

長くなってしまったけど、自分自身の「納得の出来る答え」を探せるように願っています。
頑張ってね。
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こんにちは。



偽善かもしれませんが。

私は自分に自信がないので、「こんな私なんかと」一緒にいてくれてありがとう。
「こんな私なんかを」雇ってくれてありがとう。

という感じですかね。

私なんか生きていてもムダだ、と思っていた時期もあり、だからこそ親に対しても
「こんな私なんかを育ててくれて」ありがとう。

実際自分で仕事をしていて、疲れて帰ってきて旦那様の食事の支度やら洗濯やら
掃除やらで休む間もなかった頃、「あー、母はこんな大変なこと毎日やってくれて
たんだなぁー。」と考えて「ありがとう。」

薄っぺらいとおっしゃるかもしれませんが、結局「感謝」って自己満足ではないでしょうか。
相手は「感謝してほしくて」やってるわけではないと思いますし。

アドバイスではありませんが、私の場合の感謝についてでした。
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清々しいです。



よく、メンヘラ的な人が、毎日感謝の心を忘れずに…とか、感謝感謝…って垂れ流してる聞いてすごい違和感感じてました。
もはや感謝の奴隷だな。と…。偽善の域だなと。

赤の他人に感謝を連呼するような人間は信用ならないと思う。軽く感じてしまいます。

人間なんて、イイ人もいれば、悪い人間もいるんです。

いつか、沢山の人と知り合う中で悪い人にも会うでしょう。
いくらコチラが善意をしめしたとしても悪い人というのは居るんです。
思ったより世間には多く居る気がします。

そんな事を痛感し、苦汁飲んだりすると
長い親友、親が特別な存在に思えてきました。
世の中善人の方が少ないって事に気づきました。

→つまり、「すいもあまいも」みたいなの多少を知った時が、私が感謝を知った時かもしれません。

感謝かどうか解りませんが、いつ何時、何が起こるか解りません。両親とも一生一緒に居られる訳なんてないのです。
そう思うと、ペラいですが、好意の気持を態度を、後悔無く伝えるべきだなと十代の頃は思っており。そうしてました。

女の子は大抵嫁に行くから仕方ないですよね。
参考までに。
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