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今夏の熱暑・酷暑、熱中症やらで、死者も続出のようですが、このことに関係して、ある集まりでの、ある人の発言、うーん、なるほど、そう言われれば…、何となくも、合点してしまいました。
まず、聞いてください。なるだけ忠実に再現してみます、この人の発言を、ちょっと酔っぱらっていましたが。

「ところで、高知県の四万十市で史上最高気温41℃とか何やら、各地で最高気温を競ってるらしいけど、地球温暖化か何か知らんが、ここ数年、やたら熱中症とやらで、命を落とす人の数が増大しとるようやけど、よう考えてみぃや、江戸時代や室町時代や鎌倉時代や、もうこれ以上は言わんけど、ほんなら、これらの時代には、この今の時代の何百倍・何千倍の熱中症死亡者がおった、ちゅうことか?そんなことないやろ。まずエアコンが無い、医学技術も遥かにショボイ、車も電車も飛行機も無い、そやから救急医療体制など無いに等しい…、そやけど、実態は、熱中症のような症状で死んだ人など、そんな記録あらへんで。ほんなら、こんなこと言う奴もおるわな、確かに。江戸時代より前は、今みたいに、アスファルトはない、エアコンの室外機はない、高層ビル群もない、火力発電所もない…、だから気温は今と比べれば、低かったから…云々。アホちゃうか、そんなもん解っとるわ、ほんなら、それが理由での温度差は何度やねん?せいぜい2~4℃のことやろ。その2~4℃と、例えば一例として、エアコン、これの有る無しだけで考えてみたら、一目瞭然やろ。現在の気温が、江戸時代の気温と比較して、2~4℃平均して上昇しとるとしても、江戸時代には10℃単位の温度を下げる方法は存在せんかったで、エアコンあらへんかったからのぉ。どう考えても、おかしいやろ、変やろ。要は、根性が足らんちゅうことや。性根が据わっとらんちゅうことや。今の時代の日本人は。江戸や室町や鎌倉や、まして戦国時代の日本人に比べたら。情けないで、ホンマ。」

いやぁ、酔っぱらいの戯言、と聞き流していいものか、どうか、ある意味、説得力ありの主張でした。
で、江戸時代や鎌倉時代や室町時代…に比べて、現代において、熱中症などでの死者数、多いというか、どうなんでしょうか、本当に増えているのでしょうか。
どうなんでしょうか、実際は、教えてください。

A 回答 (6件)

こんにちは。



地球温暖化とは別に地球は定期的に温度の上昇・下降を繰り返しています。

平安時代~鎌倉時代は温暖の時代、室町・戦国時代~昭和が寒冷の時代です。

室町・戦国時代~昭和が寒冷の時代です。この時代は穀物の生育不良・飢饉がおおいです、これが戦国時代を作る要因のひとつになり江戸時代の飢饉を生み出しています。夏の温度は現在よりも低かったことが予想されます。
ですので、もともと熱中症になりにくい環境だと思われます。

鎌倉時代~室町時代は現代並みの温度だと推定されています。欧州のグリーンランドはご存知でしょうか、現在は氷と雪の世界ですが、文字どうり 緑の島であったことがわかっています。
ではこの時代に熱中症患者がいたかといわれば現代のような医学統計が存在しない以上、推論を申し上げます。

いつの時代にも街道沿いに行き倒れでなくなっている人は多くいました、もちろん病気や山賊などの犯罪グループにやられて
死亡した人もいるでしょうが、夏場の死者数の内一定数は熱中症患者ではなかったかと思います。

現代、熱中症の死者の多くが60代以上の方です、昔にさかのぼれば織田信長の人間50年の唄ではありませんが寿命が違います。もちろん食糧事情・医学も違いますが、夏場の熱中症に耐えられる人間しかいきのこれなかったともいえます。
ある一定数は熱中症により淘汰されていた可能性はあると思います。

2003年欧州は熱波に襲われ5万人ともいわれる死者をだしています、多くが熱中症。
では欧州人が昔より根性がないせいで死んだのでしょうか。それ以後も発生しています。

たかが2~4度の上昇は関係ないと考えるのはいささか乱暴です。
30度の日が続く夏と34度の日が続く夏は同じでしょうか。
41度の記録を含め多くが平成の記録です、昭和30~50年前半の涼しい夏の時代を生きて来れれた方がちょうど、熱中症に
やられている世代です、クーラーの風は体に毒、扇風機に長時間あたると死んでしまう、水は飲まない、節電は美徳、何の根拠もない悪習慣が身についている人々が今後も多くなる以上、熱中症の死者数は増加すると思います。
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気温30度でしばらくすればアスファルトは軽く50度になりますからね。

2~4度なんて甘いですよ。
今の気温なら目玉焼きができまっせ。
それに江戸下町はともかく、ちょいと歩けば幽霊が出るような森や林ですから、そもそも直射日光が当たりません。
都心に住んでいる人には理解できないかもしれませんが、森の中というのはかなり涼しいのです。
しかも、江戸時代は日本橋あたりまで浜ですから、海風が結構きます。
また、平均寿命も40かそこらですからね。子供はともかく、老人は居ません(40で老人になる訳だけど)
江戸時代以前はほとんど人が住んでいません。昔の村レベル。(土地買っときゃ良かったなw)
もっとも、我が家は室温37度ですがエアコンは点けてませんぜ。
扇風機すら押入の中、うちわも使ってないし。昼の一番暑いところでシャワーを浴びてますが。
その御仁も当然そうですよね?
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平均寿命も乳幼児の死亡率も一切抜きで根性で語られたら話にならん


恐らく酔っぱらって無くとも、思い込みの激しい人間なんだろうなぁ
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江戸時代は、1400年ごろから1850年ごろまでの小氷河期と、富士山の宝永大噴火から1700年代に三原山、桜島、浅間山が立て続けに大規模噴火をした噴煙の影響で、現在との最高気温の温度差は2~4℃では済みません。


1850年代以降、年平均で1.5度上昇していますし、その温度差は下に引っ張られ、江戸で氷点下5度、積雪2mとかあったらしいので、30度を超える日は年に1回程度だったそうで、その時期が土用に当たりますから、土用を過ぎたらもう立秋なので、残暑しかない時代です。
気温の平均は累積温度(毎日の気温を足して365で割る)の平均なので、現代の真夏日酷暑日の日数から、体感温度的には7~10度低いはずです。今の季節で最高気温25度~27度、明け方はすでに20度程度まで下がります。

>熱中症などでの死者数、多いというか、どうなんでしょうか、本当に増えているのでしょうか。
第二次大戦に近代医学が普及するまで、平均寿命が現代より30歳短いですから。
新生児死亡率が高かったからなんですが、70代80代の老人が死ぬほど人数が居ない時代なのです。年齢分布と人口が全く違うから人数や比率で比較のしようがない。
熱中症で死亡する前に、日照りで飢饉がきますし、腐敗による食中毒や水を介した伝染病も流行ります。慢性栄養失調なので、長期の夏バテで秋口になくなる人も多かった。
熱中症自体21世紀に入ってから定義された、日射病、熱射病、脱水症状の複合症状を指しますから、飢饉も食中毒も伝染病も症状が被ってしまい、新生児死亡率が高いとは妊婦の死亡率も高いので、
統計学や医学もなく、統計をとれても死者数だけで、当時の死因が熱中症まで特定できないと思います。

ちなみに、昭和20年8月15日の終戦は、気象情報は軍事機密なので非公開だったのですが、東京の気温は31度だったそうです。昨日の最高気温は東京34.9度、京都は37.7度。
当時の最も暑かった日が生ぬるいでしょ?戦後でいえば、家のない人が多数いた混乱期を除けば、確実に熱中症が原因での死者数は増えています。暑さに耐え切れない高齢者が増えているから。
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江戸時代に、日本で熱中症で死亡した人は、最近より多いとは言えないでしょう。




1615 「元和の飢饉」奥羽で冷害
1641-42 「寛永の飢饉」全国的に旱魃・洪水
1674-75 「延宝の飢饉」諸国で風水害
1680-81 「天和の飢饉」諸国(特に西国)で風水害
1695 「元禄の飢饉」奥羽・北陸で冷害
1732 「享保の飢饉」西国で“虫害”
1749 「寛延の飢饉」北奥で冷害
1755 「宝暦の飢饉」東北地方で冷害
1783 「天明の飢饉」東北地方で冷害
*30万人以上餓死・疫病死:近世最悪
1833-38 「天保の飢饉」東北地方で冷害

昭和初期まで、地球は冷害が多かったです。特に江戸時代は小氷期と言われ
冷害が続出しました。

※昔は自営業である農民が大半だったので、暑いときは早起きして田んぼ仕事して
昼は昼寝、残りは夕方にという就労形態だったので、熱中症は
少なかっただろうし。
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いや、根性で死なずに済んだらこんなに楽な話は無いですね(笑)。


江戸時代以前は、熱中症も含めたいろいろな原因で人は容易く死んでいった時代ですから、ことさら熱中症だけを取り上げられる事は無かったでしょう。
ちなみに、「暑気あたり」「霍乱」というのは熱中症の事だそうですよ。
http://www.geocities.jp/chgham/html/heat.html
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