一回も披露したことのない豆知識

こんにちは
ザビエルは日本ではいい人みたいに描かれているが、インドでユダヤ人をかき集めて
大量虐殺したという。
日本人は植民地支配の具体的な恐ろしさをもっともっと知ったほうがいいと思います。
植民地の女性というのは現地人と普通に結婚できたのですか?それともみんな白人にレイプされ種付けされたのでしょうか。
支配地の虐殺はよくあったことなのですか?
欧米人の拷問を日本人は全く知らないようですが、どうも拷問があったようです。どんなことをしていたのですか?

A 回答 (4件)

植民地時代は、現地人の女性は、現地人と普通に結婚できる場合が多かったです。


結婚を認めないと、人口が減少し、商品としての奴隷、労働力、しいては生産性の低下をもたらします。
宗教対立や、移民政策でその民族を根絶やしに使用とする場合には、不毛の土地への強制移住、言語や文化の根絶等を行います。
中国が、少数民族に対して一人っ子政策を元に不妊手術を行っている場合等がそうです。
あくまで、現地人の結婚は認めるが、子供ができないように、経済的に圧迫したりする手法をとる場合があります。
現在なら、トルキスタンやチベットがその例です。

拷問やレイプの問題は、現在も続く問題です。

古いところではスペイン人による インディオに対する虐殺でしょうか?
「インディアスの破壊についての簡潔な報告』(バルトロメ・デ・ラス・カサス著、染田秀藤訳、岩波文庫)は、500年前にドミニコ会の修道士(カトリックの宣教師)によって書かれたスペイン国王への報告書

以下引用彼ら(スペイン人)は村々へ押し入り、老いも若きも、身重の女も産後間もない女もことごとく捕え、腹を引き裂き、ずたずたにした」、「13人ずつその絞首台に吊し、その下に薪をおいて火をつけた。こうして、彼らはインディオたちを生きたまま火あぶりにした。また、インディオの体中に乾いた藁を縛り、それに火をつけて彼らを焼き殺したキリスト教徒たち(スペイン人)もいた」、「キリスト教徒たちは彼ら(インディオ)を狩り出すために猟犬を獰猛な犬に仕込んだ。犬はインディオをひとりでも見つけると、瞬く間に彼を八つ裂きにした」、「その殺し方や拷問の方法は種々様々であった。また、彼らは生け捕りにしたインディオたちをことごとく奴隷にした」、「戦争が終ると、男たちは全員殺されてしまっており、生き残ったのはいつも若者や女や子供たちだけであった。キリスト教徒たちはその生き残ったインディオたちを仲間うちで分配しあった」、「島には、300人のインディオを分配されて所有した官吏がいたが、わずか3カ月のうちに、そのうちの270人が鉱山労働で死んでしまい、生き残ったのは全体の10分の1に当る30人にすぎなかった」、「大きな重い荷物をかつがされたため、疲れてへとへとになったり、空腹とその苛酷な労働、それに、生来のひ弱さのために病気になったりするインディオが数人いた。その時、スペイン人たちはいちいち鎖を外すのが面倒なので、インディオたちの首枷の辺りを剣で斬りつけた。すると、首と胴体はそれぞれ別の方向へころげ落ちた」、「キリスト教徒たちはまるで畜生を扱うように身重の女や産後まもない女に重い荷物を背負わせたが、今もその事態に変りはない」、「その場に居合わせたインディオたちは全員集められ、中庭に閉じ込められた。監視役のスペイン人たちが武装して庭の戸口に立ち、一方、残りのスペイン人たちはみな各自手に剣を構えて子羊たち(インディオ)に襲いかかり、剣や槍で彼らを突き殺した」、「インディオたちを奴隷にして、葡萄酒、衣服そのほか様々な品物を積んで来た船に売りとばしたり、いつものように虐待して苦しめたりした」、「彼(スペイン人)は夫婦を無理矢理引き離し、夫から妻や娘を奪い、水夫や兵士たちにあてがった」、「どれほど多くの強姦、凌辱、暴行が犯される破目になったことか」、「平和に暮していた大勢のインディオを絞首刑にしたり、火あぶりにしたり、獰猛な犬をけしかけたり、手足、首、舌を斬り落したりして殺害した」、「彼(スペイン人)は、50人から100人の娘の中からこれはと思う娘をひとりそれぞれ選ばせて、1アローバの葡萄酒かオリーブ油か酢、もしくは、ベーコンと交換した」、「残酷で忌まわしい手口を用いて、子羊や羊ともいうべきインディオやその妻子を捕え、奴隷として売り捌くために(スペイン)国王の焼印を押したのである」、「スペイン人たちが手当り次第にただ気紛れからインディオたちの男や女の手と鼻と耳を削ぎ落しているのを目の前で見た

引用終わり

1800年代になってもオーストラリアでは、原住民のアボリジニをスポーツハンティングすることを許可する法律ができています。
ウサギや鹿の様に、獲物ととして撃ち殺して楽しむのです。
撃ち殺しても食べれませんから、陰嚢(キンタマ袋)でタバコ入れを作ったりしています。
オーストラリアでは放牧が盛んで、広大な農地を何日もかけて異動します。このとき馬に乗れるアボリジニの女性は昼間は男性同様の労働、夜は性欲処理に働かされました。生まれた子供は女性は売春婦にされるケースが多く、強制収容所が引き取る制度もありました。
当初50万~100万人いたと言われるアボリジニも1920年だには7万人まで激減しました。

近年でも、チェチェン紛争やルワンダ内戦ではレイプや虐殺が行われています。
以下引用ーーーー
中でも酷いのは犯罪者を戦闘員にしている傭兵と呼ばれる人間です。
彼らのチェチェンでの行動は目を覆うばかりの残虐性に満ちたものばかり・・
・チェチェン人の赤ん坊をボールのように蹴りまわして空中で撃ち殺した。
・旦那の目の前で嫁や妹を集団でレイプした。
・病人が車に乗っていて一刻を争う事態でも金を渡さなければ検問を通さない。
・火事場泥棒よろしく他人の家から物を持ち去り、そこかしこに糞尿垂れ流す。
・ウォッカを出さなければ撃ち殺す」

ルワンダの場合

これは加害者が白人ではありませんが、むちゃくちゃです。
妊婦の腹を引裂、胎児を取り出し、父親に食わせたり、
書いていて、気持ち悪くなってきたので、以下引用

ルワンダの国立人口局は、強制的な妊娠によって生まれた子供の数を、2000人から5000人と推定している。しかし被害者団体の情報によれば、その数は実際1万人からおよそ2万5000人に及ぶという。ルワンダはきわめて父権制的な社会であるため、子供は父親の一族と見なされる。つまり、内戦時の性的暴力によって生まれた子供は、その地域に暮らす大半の人々にとっては敵側の存在として受け止められるのである。彼らはしばしば「悪しき記憶の子供」とか「憎しみの子供」と呼ばれ、母親や地域の人々から「小さな殺人者」と言われることもある。それゆえ、母親が性的暴力の事実を明らかにした途端、家族から拒絶され、地域社会から何の支援も得られなくなってしまう。そこには、ジェノサイドが人々の心に残した深い傷がある。大多数の女性は当時まだ少女だったので、公的にも私的にも性的暴力の事実を認めてしまえば、結婚という将来の希望は打ち砕かれてしまう。(マリー・コンソレ・ムカゲンド)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。日本人はもっと残虐な事実を知らないといけないと思います。おめでたい人間が非常に増えていて危惧しています

お礼日時:2014/07/07 09:49

ザビエルの異端審問の話が事実かどうかよくわかりません。

事実でも何らおかしくはないとは思いますが。

ただ、イエズス会は、会全体としてみれば、当時のカトリック教会の中では、異教徒に対しておそらく最も寛容な態度で接していた派閥であったと思います。(プロテスタントへの敵対心は物凄いですが)
会則にも、「異教徒も人間であるから尊重せよ」という、当時のカトリック教会の常識から考えると非常に先進的(ある意味、異端)な項目があります。
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この様な質問は大変良いと思います。



日本側には日本人だけが何か残虐行為を犯してきているという報道よりないのですが残念ですね。
日本はいい顔をしたがるから自分たちが受けた恥などは表に出さないのでしょうね。
終戦後もアメリカ兵が入ってた頃は、レイプなども随分あったそうです。
日本のそのような被害も国民には公表しても良いと思います。
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日本人も勉強するべきですね
元寇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87

日本が受けた残忍な行為です

老人、子供、男はすべて切り殺し
赤ん坊は股裂きにし
妊婦はお腹を切り裂き、お腹の中の胎児を殺し
女は集めて乱暴、暴行
その後で、手に穴を開けて綱を通して数珠つなぎにし船の横に吊るした

船に吊るしたのは、日本軍が攻めてきたときの矢玉除けのため。
 
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