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哲学者が王様になるべきとプラトンは自著の中でソクラテスのセリフとして描いていますが、哲人王が失敗した例はあるのでしょうか? 

A 回答 (3件)

政治の形態には大きく分けて、次の二つがあると考えられます。



(日)成り行きに任せた自己組織化によって、収まるとことに自然に収まって行くように政治を司る

(月)先ず理念が在り、その理念に近づけるべく、為政者たちが人々を教え導きながら政治を司どる

勿論、どんな政治形態もこの(日)と(月)の混合体ですが、その中でどちらの色合いが強いかで、(日)型、(月)型、それの中間型等の分類が可能になります。そして、哲人政治、あるいは、哲人王は、この分類によると(月)に近い政治形態にあたると思われます。

人類の歴史を振り返ってみると、(月)型に近い政治家は一杯いたと思いますが、殆どの場合そのやり方は旨く行っていないようです。例えば、近年の例では、共産党によるソビエト連邦の成立と瓦解、古い例では、後醍醐天皇による建武の新政の稚拙な失敗等々、数え上げたら切りがないぐらいその例が見付かるでしょう。

最近の卑近な例では、小泉某と竹中某による民営化や派遣拡大政策などの規制緩和の理念という哲学に基づいた為政は、建武の新政にも似た稚拙さを露呈しておりますね。

他の例では、例えば、善政の例とされているリンカーンの奴隷解放政策なども、その理念は一見良さそうに見えるのですが、それによって国内を二分した南北戦争という内乱を引き起こし、数十万の若者達の命を奪いました。それのみか、それから150年も経った今日でも、アメリカの南部と北部の軋轢は未だにアメリカの政治の癌の一部になっております。その点、ヨーロッパでは、当時の奴隷を一先ず政府が買い上げて、奴隷所有者達を満足させ、その買い上げられた奴隷を自由にするという経済的政策、即ち、どちらかと言うと理念よりも成り行きに重点をおいた政策を取りましたので、アメリカとは違ってずっと早い段階で、しかも、しこりを残さない形で奴隷の解放が成されましたね。考えようによっては、理念に基づいたリンカーンの政治は人々にとんでもない混乱と不幸を招いたと言えないこともないです。

確かに、ローマ皇帝のマルクス・アウレリウスのように、哲人政治が旨く行ったとされる例もないではないようですが、そのように旨く行った例はほとんど存在しないと思います。もし、質問者さんが旨く行った例を幾つかご存知なら、私の参考になりますから、是非教えて下さい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
理想型と調整型で言えば理想型政治はほぼ失敗ですね。

共産主義は崩壊したが、ニューディール政策は評価された、いったようなものでしょうか。
オバマ大統領の鉄道計画が批判の中どうなるのか見守っていきたいと思います。

>マルクス・アウレリウス
知りませんでした。調べてみます。

>もし、質問者さんが旨く行った例を幾つかご存知なら、私の参考になりますから、是非教えて下さい。
歴史にはとんと無知でして・・・。
お力になれず、すみません・・・。

お礼日時:2009/11/16 22:22

 参考意見なので、"哲人"も"王"も広義に取ります。

あくまで参考です。
 最初の哲人王の失敗は、プラトンが教えたシラクサのディオニュシオスです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E4%BA%BA% …
の「試み」を参考にしてください。

 次に有名なのは既出ですが、マルクス・アウレリウス帝です。ただ、評価は高いので、失敗例ではないですね。

 現代ではチェコスロヴァキアで、哲学者が大統領になった例が在ります。トマーシュ・マサリクという人ですが、この人も評判がいいです。

 レーニンと毛沢東はいずれも"哲学的"な著作を著しています(前者は『唯物論と経験批判論』、後者は『実践論』『矛盾論』)。レーニンは刊行はしていませんが、少なくともヘーゲルやフォイエルバッハ、アリストテレスの著作を読んで解釈をしています。彼らは"失敗”の部類に入るかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

ご紹介頂いた方々を時間があれば調べてみようと思います。

また、政治という形態そのものが、
「人類はこうあるべし」と理想を先に考えてしまう哲学と相性が悪いのかもしれません。
内政・外交としては調整型が一番強いのかもしれません。

お礼日時:2009/11/18 23:27

哲学者の定義にもよりますが、哲学者が王であった例がありません。



よって、失敗例もありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

プラトン「国家」の中で、件の哲人王の話題が出た時、ソクラテスの対話相手のグラウコンが「哲学者が王になるべき」と言っていたと思いますが、ソクラテスの直接の台詞では「哲学に明るい人間が王になるべき」としていたと思います。

つまり私なりに訳せば、何らかの真の知を持っている、あるいはそれに少しでも近づいている人間が王になるべき、というニュアンスになるでしょうか。

そして、そうした真の知を生かした政治をしようとして人民がそれについて来れずに失敗した例を知りたいのです。
ソ連がいい例ですかね。あるいは広い意味で大躍進政策がこれに含まれるかもしれません。

お礼日時:2009/11/16 22:29

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