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同じような例文でしつこく追求していますが、新展開がありましたのでさらなるご回答をお願いします。
「今度の仕事は私にとっていい勉強になった」という文について、「今度の仕事」を「いい勉強」と比喩表現することで、「今度の仕事」の性質の一部を「わかり易く説明している文章」と考えるべきだという説明をいただきました。その説明をいただいて、この文の「なった」は変成・変化の意味ではなく「プラスまたはマイナスの効果・機能がある」という意味だと解釈することにしています。
では「通じて」という語を加えた「今度の仕事を通じていい勉強になった」は、やはり比喩表現と考えることができるのでしょうか。その場合は何が何に比喩されているのであって、「通じて」はどんな役割を果たしているのでしょうか。

A 回答 (14件中1~10件)

既にお伝えした通り、文法的には主語に付く格助詞が「には」系統となった構文で、その主格は「私にとって」であり、その述語は「(~に)なった」です。


一種の強調表現であるこの「には」系統の構文なのですが、
「私にとって(主格)、今度の仕事が(対象格) いい勉強に(連用修飾格の副詞用法) なった(動詞述語)。」
これを通常文に戻すと、
「私は(主格)、今度の仕事で(依拠格述語) いい勉強を(対象格) した(動詞述語)。」
となります。 

ここで、「通じて」を加えた場合は、接続節と主文という複文の構文になるだけです。
「今度の仕事を(対象格)通じ(動詞述語)て(接続助詞)、(私にとっては)(主格) いい勉強に(連用修飾格の副詞用法) なった(動詞述語)。」
または普通文では、
「今度の仕事を(対象格)通じ(動詞述語)て(接続助詞)、私は(主格) いい勉強を(対象格) した(動詞述語)。」
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
正直なところ、これまで下記の前質問(実はさらにその前から続行していたものですが)で他の方との議論に気を取られてせっかくのご回答をあまり意識していませんでした。あらためて前質問でのご回答を読み直すと、争点になっている「なる」についてはkine-oreさんが最も的確に解釈されているように思います。他の方々のご回答においても、「なる」の部分についてはご回答のように置き換えるとすんなり納得できそうです。目からうろこのご説明、ありがとうございました。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8828648.html

お礼日時:2014/11/30 19:18

#13です。



>この「通じて」を「あるものを経由する。また,仲介の手段とする」という意味であると解釈するならば、この文は「今度の仕事を経由していい勉強になった」「今度の仕事をすることを経由していい勉強という効果があった」、つまりは実質的に「今度の仕事をすることによっていい勉強という成果が生じた」という意味になるのではないでしょうか。

「経由して(いい勉強という効果が)あった」という構文が成立するとは思われません。
「経由して(いい勉強が)できた」ならわかりますが。
「今度の仕事をすることによっていい勉強という成果が生じた」という意味になるためには、元の文は、「今度の仕事を通じていい勉強ができた」でしょう。

>「今度の仕事を通じていい稼ぎになった」についても、同様の理屈で「今度の仕事をすることによっていい稼ぎという成果物が生じた」となります。

これも上と同じですが、「今度の仕事をすることによっていい稼ぎという成果物が生じた」という意味にするためには、「今度の仕事を通じていい稼ぎができた」という文になると思います。

>*もっとも私自身、このような「通じて」の使い方に全く違和感を覚えていないわけではありません。

それを伺って安心しました。

>ただし間違いとか誤用であるという説も、素直には受け入れられません。

こちらも了解です。
この点は見解の相違ということになりそうですね。
「今度の仕事を通じていい稼ぎになった」は、全くの誤用であり、
「今度の仕事を通じていい勉強になった」は、
「今度の仕事を通じて設計のいい勉強になった」などのように、「いい勉強になった」の対象格が明示されていないかぎり、不自然な表現と言わざるを得ない。
というのが私の立場です。
お互いに十分、言い尽くした感もありますね。
そろそろ潮時でしょうか。
#1さんのご見解に納得しておられるようですから、それでよろしいのではないか、と思います。
  
    
  
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この回答へのお礼

言い訳がましいかもしれませんが、私も「あった」が適切な表現だとは思っていません。ここで私があえて「あった」を使ったのは#13で「あった」を使っていたので、それに合わせてみたのです。
> 「今度の仕事はいい勉強になった」は、
「今度の仕事はいい勉強という効果があった」という解釈になるので自然な構文だが、
「今度の仕事を通じていい勉強になった」は、
「今度の仕事を通じていい勉強という効果があった」という不自然な意味になってしまうから、成立しない。
確かに「できた」の方が自然な表現でしょうね。今回の質問に無関係な場面であれば、私も「できた」とか「生じた」を使うことでしょう。その点は補足させていただきます。
おっしゃるように、このあたりが潮時のようですね。これまでいろいろとありがとうございました。日本語を学習している人に対しては、相応の配慮をして対応させていただくことにいたします。また、私自身の見解がふらふらしていたために、必要以上のご迷惑をおかけしたかと思いますが、それについてはお詫び申し上げます。
また別の質問をすることもあろうかと思いますが、その節はよろしくお願いします。

お礼日時:2014/12/08 18:59

#12です。



1.
>「通じて」を使った場合、「した」を「なった」に言い換えられるかということですが、最初から言い換えてきたのではないでしょうか。私は少なくとも途中からは「なった」を「変成した」ではなくて「実現した」の意味だと思っているのです。
私は、少なくとも意味的には言い換えられると思って議論していたつもりですが、どこかに矛盾している点があったでしょうか。

「今度の仕事を通じていい勉強になった」を「今度の仕事を通じていい勉強が実現した」のように解釈するのは無理がある、というのが私の立場であり、その根拠について述べ合ってきたわけですから、その点に関しては、お互い、特に矛盾は無いと思います。
「今度の仕事を通じていい勉強が実現した」のように解釈すると、なんとなく大丈夫そうなニュアンスになってしまうので、誤用であることを明確にすべく、「今度の仕事を通じていい稼ぎが実現した」の場合はどうでしょうか、とお尋ねしました。
それも自然だとおっしゃったわけですが、「仕事を通じて稼ぎが実現する」という意味は成り立たないと思うのです。
「よし、今度の仕事で儲けるぞ」とは言うでしょうが、「よし、今度の仕事を通じて儲けるぞ」とは言いませんよね。

「なる」の解釈については、ご質問文の中でご指摘になっておられる、大辞林の【(4)ある機能をする】という項目の中の、【(2) プラスまたはマイナスの効果・機能がある。 「ために-・る本」 】という解釈が一番適切だろうと考えます。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?sea …
要するに、
「今度の仕事はいい勉強になった」は、
「今度の仕事はいい勉強という効果があった」という解釈になるので自然な構文だが、
「今度の仕事を通じていい勉強になった」は、
「今度の仕事を通じていい勉強という効果があった」という不自然な意味になってしまうから、成立しない。
というのが私の主張です。

「なる」を「(2)それまでとは違う物・違う状態に変わる」という用法に解釈することもできる、とわたしは考えており、その場合、「今度の仕事はいい勉強という価値を含んだものに変わった」という解釈は自然だが、「今度の仕事を通じて、いい勉強という価値を含んだものに変わった」という解釈は不自然である、ということが理解しやすくなる、と当初は考えたわけです。
そもそも「変わる」は、「なる」が持っている根本的な意味だと思います。
しかし、却って混乱を招くようですので、お示しになった「プラスまたはマイナスの効果・機能がある」という解釈のほうが適切である、と考え直した次第。
この場合でも、「プラスまたはマイナスの効果・機能があるものに変わった」というのが「なる」の本質的意味に近いはずですが、それは重要な論点ではありませんので、論議をすすめる上では特に拘らない、ということです。

2.
>「今度の仕事を通じて(私にとって)いい勉強が実現した」と解釈してはどうでしょうか。意味的には「いい勉強をした」です。

1でも述べましたが、「仕事を通じて稼ぎが実現する」は意味として成立しないと考えます。「仕事で稼ぎが実現する」ならわかりますが。
>変化したものがあるとすれば、自分自身です。

実現したのは「いい勉強」という前提なのですから、この解釈は飛躍しすぎでしょう。

3.
>前回のお礼の時点で『今度の仕事を通じて、(私にとって)いい稼ぎが実現した』のつもりでいたのです。

了解です。
その意図に気づけず、失礼いたしました。
>意味的には「いい稼ぎを得た」です。変化したものがあるとすれば、自分の財産です。

これも2と同じ理由で、無理があると思うのですけどねえ・・・。
やはり見解の相違という収束を向かえざるを得ないのでしょうか。
しつこくて申し訳ないのですが、では、
「今度の仕事はいい稼ぎになった」
「今度の仕事を通じていい稼ぎになった」
どちらが自然だと思われますか。
  
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この回答へのお礼

1.「今度の仕事を通じていい勉強になった」の解釈が、私とは異なっているようです。
この「通じて」を「あるものを経由する。また,仲介の手段とする」という意味であると解釈するならば、この文は「今度の仕事を経由していい勉強になった」「今度の仕事をすることを経由していい勉強という効果があった」、つまりは実質的に「今度の仕事をすることによっていい勉強という成果が生じた」という意味になるのではないでしょうか。
2.上記の理由により、変化したものがあるとすれば自分自身の知識・技術・経験などであるという趣旨のことを申し上げました。これまでになかった「いい勉強という効果」が新規に生じたことも変化だと言えますが、その内容は実質的に「自分自身の知識・技術・経験」などでしょうね。
3.「今度の仕事を通じていい稼ぎになった」についても、同様の理屈で「今度の仕事をすることによっていい稼ぎという成果物が生じた」となります。

*もっとも私自身、このような「通じて」の使い方に全く違和感を覚えていないわけではありません。ただし間違いとか誤用であるという説も、素直には受け入れられません。

お礼日時:2014/12/08 16:50

#10、#11です。



1.
>#1さんの「今度の仕事を(対象格)通じ(動詞述語)て(接続助詞)、(私にとっては)(主格) いい勉強に(連用修飾格の副詞用法) なった(動詞述語)」
というご説明が適切だと思えてきます。そしてこれこそがここまで議論してきたことの終着点のようにも思えてきました。

おそらくですが、「私にとっては」が主格であるという知識にて惑わされているのでしょう。
「私にとっては」が「私は」と同様、主格になるという見解を否定するものではありませんが、だからといって、常に述語が同じである必要はないですよね。
今は、「通じて」を使った場合、「した」を「なった」に言い換えられるか、というのが論点なのですから、「私にとっては」が主格であるか否かは、ほとんど関係のない話でしょう。
#1さんのご見解は、理屈で考えようとしすぎたあまり、その本質を逸れてしまい、結果として勘違いを誘発したものだとわたしは思います。
「私にとっては」が主格であることを否定しているわけではありませんよ。しかし、ご質問の解決策とはほとんど関係のない知識ではないのですか、と申し上げているのです。
#7でも、ご本人が、
『また「お言葉を拝借しつつ端的に述べるならば、「複文の構文」と「普通文」では構文が異なるわけですから、意味が「同格」であっても、違う言葉を使って表現しなければならない場合が殆どではないのですか?」といった主張が、そのまま質問者にもおありならば、そのように言ってください。』
とおっしゃっているわけですし、ご本人に直接お尋ねになってみればこの辺についても、もう少しはっきりするかもしれませんね。
いずれにせよ、何を信じるかは好き好きですので、これ以上は申しませんが、一応、不自然だと判断される方が圧倒的だということだけは、お心に留めて置かれるほうがよろしいでしょう。

2.
>(私にとっては)を主格とするというのは、そのような意味なのではないでしょうか。
「トンネルを通じて戦闘員が潜入している」は、意味が違いますよ。この場合の「通じて」は移動経路の表現であって、ここで議論している文とは異質のものです。

ここも、わたしとは少し違うようですね。
大辞林の【二-(5) あるものを経由する。また,仲介の手段とする。 「秘書を-・じて面会を乞う」】と同じ用法と考えるのが自然じゃないでしょうか。
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?sea …
「仕事」と「トンネル」ですから、抽象名詞と具体名詞の違いはありますが。

3.
>(『今度の仕事を通じていい稼ぎになった』という文が自然かどうか、については)YESだと判断します。これも(私にとっては)が主格になっているのではないでしょうか。 

わかりました。
お答えいただきありがとうございました。
『仮に、YESであるなら、「いい稼ぎになったもの」とは、具体的に何を指していますか?』という質問にもお答えいただけると、大変ありがたいのですが。
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この回答へのお礼

せっかく真摯にご回答いただいているのに、私自身の頭が悪いようで申し訳ありません。
かくも長い議論の中で、私の目から見た焦点がぼけているかもしれません。hakobuluさんが終始「変成・変化」を念頭に置いているため、それに引きずられてしまった面があることも否定できませんが。
その点をお詫びした上で、論点を再整理させていただきます。また振り出しに戻っているかもしれませんが。

1.「通じて」を使った場合、「した」を「なった」に言い換えられるかということですが、最初から言い換えてきたのではないでしょうか。私は少なくとも途中からは「なった」を「変成した」ではなくて「実現した」の意味だと思っているのです。
私は、少なくとも意味的には言い換えられると思って議論していたつもりですが、どこかに矛盾している点があったでしょうか。私の意志がまとまっていなかったため、いまから見直すとそのような発言をしていたかもしれませんが。
2.失礼しました。私がまだ紆余曲折・混乱しているようですね。
「今度の仕事を通じて(私にとって)いい勉強が実現した」と解釈してはどうでしょうか。意味的には「いい勉強をした」です。変化したものがあるとすれば、自分自身です。
3.前回のお礼の時点で『今度の仕事を通じて、(私にとって)いい稼ぎが実現した』のつもりでいたのです。意味的には「いい稼ぎを得た」です。変化したものがあるとすれば、自分の財産です。

これではまた元に戻ってしまったでしょうか。あまりにも回答とお礼(返事)の回数が多くなり、もはや過去の回答のどの部分でどんなことを言っていたのかを探し出すのも大変な状態なので、私の結論に疑問点がありましたら過去の回答内容と重複してもかまいせまんので、あらためて書いてくださるようお願いします。今度は私も必要以上に「変成・変化」に引きずられないように心がけつつ、真摯に対応させていただきます。

お礼日時:2014/12/07 15:59

#10ですが、追加投稿です。


以前、スルーされた例文なのですが、手前味噌ながら重要なものと思われますので、あえて再度取り上げてみます。

『今度の仕事を通じていい稼ぎになった』

という文も自然だと思われますか?
仮に、YESであるなら、「いい稼ぎになったもの」とは、具体的に何を指していますか?
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この回答へのお礼

YESだと判断します。これも(私にとっては)が主格になっているのではないでしょうか。
以前にスルーしていたとは、気づいていませんでした(自分自身が混乱して、十分には議論についていけなくなっていたせいでしょうけれども)。お詫び申し上げます。

お礼日時:2014/12/07 10:55

#9です。



1.
>「今度の仕事を通じて(今度の仕事をした経験自体が)いい勉強になった」と解釈してはどうでしょうか。
つまり「今度の仕事をした経験自体」を「仕事」という言葉で表現しているから、「主語であるべき『仕事』が『を通じて』で副詞的に使われている」という錯覚を生じているというのが私の説です。

いや、この解釈は無理があると思いますよ。
「今度の仕事をした経験」とは、すなわち「仕事」という言葉で表わされているもの【全体】を指しているはずです。つまり、「今度の仕事≒今度の仕事をした経験自体」でしょう。
「設計をするときの注意点」の場合、今度の仕事で得た中身、つまり、仕事の【ある一部分】を指していますよね。
ですから、「今度の仕事を通じて、設計をするときの注意点がいい勉強になった」という文においては、違和感が薄まることになるのです。
つまり、『仕事という全体を通じて、その一部分である「設計をするときの注意点」という中身が勉強になった』という構図。
『仕事という全体を通じて、その全体である「今度の仕事をした経験」が勉強になった』という構造の場合は、不自然だと思われませんか。
「通じて」という言葉の用法に絞って説明させていただくと、「トンネルを通じて戦闘員が潜入している」と言う場合、潜入しているのは戦闘員だけであって、トンネルまでいっしょに潜入しているわけではありません。
「主語であるべき『仕事』が『を通じて』で副詞的に使われている」というのは事実であり錯覚ではないでしょう。

2.
>確かに私があげた例文は、今回問題にしている文とは異質なものであると思います。
「複文における接続節(接続語)というのは、続く述部に係る、つまり述部に影響するわけですから、当然、それを受ける述部の品詞や活用などは、普通文とは異なるものが採用されるのがむしろ自然ではないでしょうか」
私はこの部分にクレームをつけたかっただけです。

このクレームは、論理的に整合性が取れていましたね。
この点に関しては、「論拠が曖昧であったことは認めた上で申し上げれば」という表現で、ご理解いただけたのではないか、と思います。
ただ、逆に、『「通じて」を加えて複文になった場合にも【常に】同じ述部が続く』ということも、また無いでしょう、と申し上げたわけです。
#1さんがおっしゃるところの、【ここで、「通じて」を加えた場合は、接続節と主文という複文の構文になるだけ】という根拠によって、「今度の仕事を通じていい勉強になった」という文を正当化しようとするのは論理的ではない、というのが反論の骨子です。
  
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この回答へのお礼

1.私の説は、確かに論理的に苦しい点がありそうですね。そのあたりのことを考えると、当初はあまり重視していませんでしたが#1さんの
「今度の仕事を(対象格)通じ(動詞述語)て(接続助詞)、(私にとっては)(主格) いい勉強に(連用修飾格の副詞用法) なった(動詞述語)」
というご説明が適切だと思えてきます。そしてこれこそがここまで議論してきたことの終着点のようにも思えてきました。(私にとっては)を主格とするというのは、そのような意味なのではないでしょうか。
「トンネルを通じて戦闘員が潜入している」は、意味が違いますよ。この場合の「通じて」は移動経路の表現であって、ここで議論している文とは異質のものです。
2.了解しました。お互いに一律・一概には論じられませんね。

お礼日時:2014/12/07 10:52

#8です。


そろそろ最終盤といったところでしょうか。

1.
>「今度の仕事を通じていい勉強になった」と言われた場合でも、「それは結構でした」などと答えても(相手が「あまり取り合ってくれないんだな」と思うかどうかは別の問題として)会話は成立すると思っています。
よって、これは見解の相違ということになるでしょうか。

そのようですね。
ただ、差し出がましいことは重々承知の上で、また、あくまで私の推測で申し上げますと、日本語を勉強されている方は、会話が成立するか否か、意味が通じるか否か、ということ以上に、自然な日本語表現か否かという点を重視するように思うわけです。
「今度の仕事は、いい勉強になった」
「今度の仕事を通じていい勉強をした」
が自然な表現であって、
「今度の仕事を通じていい勉強になった」は「なった(なる)」の誤用である、とわたしであれば説明します。
これが問題なく使えるのは、たとえば、
「今度の仕事を通じて設計のいい勉強になった」など、「何がいい勉強になったのか」という対象格を明示した場合に限る、と。
これが明示されない場合、
「今度の仕事を通じて(今度の仕事は)いい勉強になった」のように解釈せざるを得ず、「今度の仕事」が「通じて」の対象格、及び、「いい勉強になった」の主格という二重性を持つことになるため不自然な文にならざるを得ないのだ、と。
これも見解の相違と言ってしまえば、それまでなのですが、実際問題として、「今度の仕事を通じていい勉強になった」を不自然だと感じるネイティブが多いというのも、また事実でしょう。

2.
> 複文における接続節(接続語)というのは、続く述部に係る、つまり述部に影響するわけですから、当然、それを受ける述部の品詞や活用などは、普通文とは異なるものが採用されるのがむしろ自然ではないでしょうか
⇒必ずしもそうではないと思います。趣旨に沿った例文ではないかもしれませんが、こんな例もあります。
[単文]…主語・述語が1組だけの文。
  私の学校は ○○高校です。
[複文]…主語・述語が2組以上あり、そのうちの1組が他の文の成分に含まれる文。
  私が 通っている 学校は ○○高校です。
この例では述部である「学校は ○○高校です」の部分は変わっていません。
これも見解の相違ということになるのでしょうか。

「必ずしもそうではない」という点では、おっしゃるとおりですね。
挙げられた例文は、
『私にとって、今度の仕事がいい勉強になった』と
『私にとって、今度やった仕事がいい勉強になった』を比較しているようなものですが、わたしとしても、これを不自然だと言うつもりはありません。
論拠が曖昧であったことは認めた上で申し上げれば、今は、
『私にとって、今度の仕事がいい勉強になった』と、
『今度の仕事を通じて、(私にとっては)いい勉強になった』を比較しているわけですから、今回、お示しになった例文比較を以って、「通じて~なった」が正しいことの根拠とするのも、また無理があるように思います。

3.
ところで、「今度の仕事はいい勉強になった」について再考してみた場合、「いい勉強になったもの」の解釈として、「仕事」と、前回お示しになったように、「設計をするときの注意点」など、今度の仕事で得た中身を指す場合と二通りあるということではないでしょうか。
Mister0413さんは、「今度の仕事を通じて、設計をするときの注意点がいい勉強になった」と解釈すれば自然な文だ、とおっしゃっているように思います。
ところが、もうひとつの「いい勉強になったもの=仕事」という解釈の場合、1でも触れましたが、
「今度の仕事を通じて(今度の仕事は)いい勉強になった」のように解釈せざるを得ず、「今度の仕事」が「通じて」の対象格、及び、「いい勉強になった」の主格という二重性を持つことになるため不自然な文になってしまうと思うのですが、いかがですか。
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この回答へのお礼

1.対象格を明示していない場合、「今度の仕事を通じて(今度の仕事は)いい勉強になった」と理解するから、妙な違和感を生じてしまうのではないかと思います。私も最初のうちはそのように考えがちになって、違和感を全く感じなかったわけではありません。
「今度の仕事を通じて(今度の仕事をした経験自体が)いい勉強になった」と解釈してはどうでしょうか。
つまり「今度の仕事をした経験自体」を「仕事」という言葉で表現しているから、「主語であるべき『仕事』が『を通じて』で副詞的に使われている」という錯覚を生じているというのが私の説です。
日本語を学習している人には、説明しづらい部分かもしれませんね。
2.確かに私があげた例文は、今回問題にしている文とは異質なものであると思います。
> 複文における接続節(接続語)というのは、続く述部に係る、つまり述部に影響するわけですから、当然、それを受ける述部の品詞や活用などは、普通文とは異なるものが採用されるのがむしろ自然ではないでしょうか
私はこの部分にクレームをつけたかっただけです。今回の問題に即した適切な例文が思いつかなかったのです。
3.1とも重複しますが、「いい勉強になったもの」の内容は「今度の仕事をした経験自体」と「今度の仕事で得た中身」との2種類があると考えることはできないでしょうか。

お礼日時:2014/12/06 20:39

#6です。



1
>この文の「なる」が「~という機能がある」という意味であるというのは、あくまでも比喩であるとの説を前提にしてのことです。その後よく考えると、私も(少なくとも「通じて」がついている場合は)それには無理があるように思います。それについては#6さんも否定しているではありませんか。

比喩である点には同意していません。
ただ、前回スレ#7での、【つまり「今度の仕事を通じて、エクセルのいい勉強になりました」は「今度の仕事によって、エクセルのいい勉強をしたという効果がありました」と書き換えることができる、というのが私の解釈です。】という発言から、「~になる」が「~という機能がある」という意味である点では、すでに合意がなされている、と判断していたものです。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8828648.html?pg=1&is …
しかし、そうではない、とおっしゃるのですから、それは、それでわかりました。

2
>私は少なくとも「通じて」がある以上は【「「物・ことが結果として実現・成立する」という意味だ」】という説を支持します。

その根拠が大事なわけで、それについて互いに論じてきているわけですが、結論としてそうおっしゃるのであれば、見解の相違という決着をなさるのがよろしいかもしれませんね。
こうした質疑においては、よくあることですし、極めて自然な成り行きでしょう。
質問を提示なさった側の権利だと思います。

>知恵袋は4:1ではなくて2:2です。

違うと思います。
1番目の例文→「この仕事を通じて、いい勉強をしました」
2番目の例文→「この仕事を通じて、いい勉強になりました」
ですが、
まず、BA に選ばれた rindou240さん 「私は、2番目は不自然だと思います」と明言しています。
dendenko123さんも、「例文の二つ目はおかしいのです」と言っている。
kawashimasyashin17さんは、「この仕事を通じて社会の厳しさを学びました。と書いたら正解だったかも。」ですから、「この仕事を通じて、いい勉強になりました」は正解ではない、つまり、「通じて~なりました」という構文は間違いだと言っていることになりますよね。、
「この仕事を通じてという書き方にかると、その仕事をしている経緯で何を学んだのかという事を通じてでは意味していると思いますよ。」という部分は「通じて」の意味説明であり、2番目の例文(表現)を肯定しているわけではありません。
mumumukujujumumuさんの回答は、「後の文のヲ通ジテをデに変えれば違和感はなくなる」です。つまり、「この仕事を通じて」という表現は違和感を覚えるが、「この仕事で」とすれば違和感はなくなる、と言っているわけです。
2番目の例文に関する積極的な否定ではありませんが、少なくとも違和感を覚えていることは間違いないでしょう。
4:1と捉えるのが論理的な判断ではないでしょうか。
まあ、しかし、多数決の問題ではありませんから、これはどうでも良いといえば良い問題ではあるのですが。
ただ、「この仕事を通じて、いい勉強になりました、という文は不自然だ」と明言している回答を BA にしているにも拘わらず、それを否定する形となる#1さんの回答に対して「筋がとおっている」というのは、筋がとおらないように思っただけです。
いずれにせよ、これは本質的論点から外れる部分ですので、あえて、これ以上論ずる必要もないでしょう。

3
>私はこの文ならば「何がいい勉強になったのか?」「いい勉強になったものは何か?」を、ことさらには意識する必要がないケースだと思っています。「仕事をすることを通じて(仕事の過程で)レベルアップした」の文では、「どんな勉強なのか」は省略されているのです。前後関係や当事者間で伝わり得る部分なのだと理解しています。

それはわかりますが、省略されてはいても、文の要素として実際に含まれているわけですから、含まれているという事実を無視した構文にすると不自然になってしまう、という点が重要でしょう。
例として適切かどうかはわかりませんが、たとえば、「寒いですね」と言う場合、「(今日は)寒いですね」の略です。
この場合、「今日」という省略部分を認識できているからこそ、「寒かったですね」という誤った表現はしなくて済んでいるのでしょう。
省略されてはいても、「今日」という要素は認識(意識)していないと誤った構文ができる可能性があるわけです。

4
相手が「(今度の仕事を通じて)私にとっていい勉強になった」と言ったのを聞いて、私が「何がいい勉強になったの?」と聞き返した場合の返事が「今度の仕事が」だったら、私は「だから今度の仕事をする過程で、何がいい勉強になったの?」などと聞き直します。このような場合、例えば「設計をするときの注意点などがよくわかった」などが自然な返事なのではないでしょうか。

わかりやすいご説明だと思います。
「何がいい勉強になったのか?」「いい勉強になったものは何か?」に着目すると、要するに「なった」の対象格に着目するとそのようになる、というわけですね。
3のご発言と矛盾するようにも思えますが、それはさておきましょう。
いずれにせよ、
「今度の仕事を通じて、私にとって設計をするときの注意点がいい勉強になった」
すっきりさせると、
「今度の仕事を通じて、設計をするときの注意点がいい勉強になった」は正しい表現だ、ということだろうと思います。
このように表現すれば、たしかに違和感は多少薄まりますね。しかし、やはり、
「今度の仕事を通じて、設計をするときの注意点についてのいい勉強をした」
あるいは、
「今度の仕事は、設計をするときの注意点について(の)いい勉強になった」などとするほうが、はるかに自然な文でしょう。
また、大事なことは「通じて」の場合、こうした対象格を明示しないと不自然な文になってしまう、という点ではないかと思います。
今のところ、「今度の仕事は、(私にとって)いい勉強になった」という表現が正しいことに異論はないでしょう。
こう言われた場合、「それは結構でした」などと答えても会話は成立するはずだからです。
しかし、「今度の仕事を通じて、(私にとって)いい勉強になった」の場合、「何がいい勉強になったのか?」「いい勉強になったものは何か?」という対象格について言及されないままだと不自然になってしまう、ということ。
どうも、この辺が食い違いの焦点のようです。
これが不自然ではない、とおっしゃるなら、感覚の違い、見解の相違と言わざるを得ないでしょうね。
良い視点をお示しいただいたと思います。

5
>私は#1で「ここで、「通じて」を加えた場合は、接続節と主文という複文の構文になるだけです。」と言っています。「接続節」としての「複文」です。ごちゃ混ぜにしないようにしましょう。

というご説明でしたが、おっしゃりたい意図がどうも良くわかりませんね。
前回の「要するに、意味的に同格であることを以って、表現が同じであることの根拠とするのは、論理的ではない」という反論内容を、さらに詳しく述べると、次のようになります。
#1では、明らかに、
『私にとって、今度の仕事がいい勉強になった』と、
『今度の仕事を通じて、(私にとっては)いい勉強になった』を対比させていますよね。
その上で、後者については、『「ここで、「通じて」を加えた場合は、接続節と主文という複文の構文になるだけです。』とおっしゃっているわけです。
「複文の構文になるだけ」というのは、つまり、単に文の形態(構文)が違うだけであり、どちらも意味が同じ(同格)なのだから、全く問題のない正しい文だ、と言っていることになります。
「私にとって」と「私にとっては」は、どちらも主格であり、どちらも「なった」に係ることができる、ということでしょう。
しかし、複文における接続節(接続語)というのは、続く述部に係る、つまり述部に影響するわけですから、当然、それを受ける述部の品詞や活用などは、普通文とは異なるものが採用されるのがむしろ自然ではないでしょうか、というのが反論の骨子です。
「通じて」という表現が接続節の要素として現れた場合には、「~した」という述部が採用されるべきであり、それに伴い「私にとっては」ではなく「私は」とすべきではないか、ということでもあります。
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この回答へのお礼

長い議論になりましたが、最初に質問した時点では(当然のことかもしれませんが)私は漠然としたイメージしかおらず、お礼もそのときどきの状況に左右されて紆余曲折したものになっていたと思います。
1.前回スレ#7のお礼内容は、あまり追及しないでいただければありがたいです。確かまだkine-oreさんが参加していない段階であったと思いますしね。kine-oreさんが登場してから、ようやく徐々に私の意志が明確になってきました。
2.知恵袋のタイムリミットは一週間と短く、締切時点においては「この仕事を通じて、この仕事が勉強になった」には納得できないものの、明確には反論できる状態ではなかったのです(割り切れないものがあったのです。そこで「この仕事がいい勉強になった」を前提とする限りでは一番明快な回答である、という意味でBAにさせていただきました。「設計をするときの注意点がいい勉強になった」ではないかと言えるようになったのは、あくまでも#6のお礼投稿時に至ってのことです。
3.省略されているという事実が構文に影響を与えうることはあり得るでしょうが、今回の場合はどうでしょうか。見解の相違かもしれませんが、どちらかが考えすぎているような気がします。
4.
> 大事なことは「通じて」の場合、こうした対象格を明示しないと不自然な文になってしまう
「今度の仕事を通じていい勉強になった」と言われた場合でも、「それは結構でした」などと答えても(相手が「あまり取り合ってくれないんだな」と思うかどうかは別の問題として)会話は成立すると思っています。
よって、これは見解の相違ということになるでしょうか。
5.
> 複文における接続節(接続語)というのは、続く述部に係る、つまり述部に影響するわけですから、当然、それを受ける述部の品詞や活用などは、普通文とは異なるものが採用されるのがむしろ自然ではないでしょうか
必ずしもそうではないと思います。趣旨に沿った例文ではないかもしれませんが、こんな例もあります。
[単文]…主語・述語が1組だけの文。
  私の学校は ○○高校です。
[複文]…主語・述語が2組以上あり、そのうちの1組が他の文の成分に含まれる文。
  私が 通っている 学校は ○○高校です。
この例では述部である「学校は ○○高校です」の部分は変わっていません。
これも見解の相違ということになるのでしょうか。

お礼日時:2014/12/06 09:56

#2です。



>それに対するご意見などをお聞かせいただけませんでしょうか。
 :
基本的なスタンスで何か勘違いなさってらっしゃいませんか。
どうしても分からないことがあるから質問をしたはずだったのでしょう。
言い換えれば、そのような疑問を契機に、その分野の知見を深め、より確かな知識を習得したいという学習意欲が前提にあったのではないでしょうか。

本当に知りたいものであれば、切実な学習意欲をお持ちであるのなら、なによりご自分の言葉として、それぞれの回答者に向って質すものでしょう。その意味では回答はあくまでも質問者に対する回答なのであって、色々あるべき個別の意見や主張だけではありませんし、質問者がその間を取り持つ司会役やジャッジなのでもありません。
一つの回答がなされたらならば、それが質問者にとって疑問を解決するのに役立つものであるかどうか、質問者が選択すればそれで済みます。より知りたい意欲が前提にあったればこその、この「補足」なのであってほしいものです。回答はそのお役にたてるかどうかだけに掛かっているものです。

ともあれ、私の回答の補足を幾つか行っておきます。
#2で触れたのは「~をした」という他動詞表現の自動詞形が「~になった」に呼応するということを、古語での「為す」と「為る」という同型態に戻して説明をしたまでです。

そこでは「この他にも使役態・受身態・授受動詞態など様々な形式での表現が可能です。」と言い残しましたので、それを続けてみます。
1)他動詞態
 私は 今度の仕事で 良い勉強<を> した。
(主語)(原因格) (対象格)(他動詞述語)
2)可能態
 私は 今度の仕事で 良い勉強<が> できた。
(主語)(原因格) (対象格)(他動詞述語)
3)受動態
 私は 今度の仕事で 良い勉強<を> させられた。
(主語)(原因格) (対象格)(他動詞述語)
4)受動・授受動詞形
 私は 今度の仕事で 良い勉強<を> させてもらった。
(主語)(原因格) (対象格)(他動詞述語)
5)自動詞態
 私は 今度の仕事で 良い勉強<が> かなった。
(主語)(理由格) (対象格)(自動詞述語)
 私は 今度の仕事で 良い勉強<が> できた。
(主語)(理由格) (対象格)(自動詞述語)
6)自動詞受動態
 私<に(とって)は> 今度の仕事で 良い勉強<に> なった。
(主語)        (理由格) (対象格)   (自動詞述語)

また「お言葉を拝借しつつ端的に述べるならば、「複文の構文」と「普通文」では構文が異なるわけですから、意味が「同格」であっても、違う言葉を使って表現しなければならない場合が殆どではないのですか?」といった主張が、そのまま質問者にもおありならば、そのように言ってください。
この「普通文」とは「単文」であり、ここで「同格」ならばそれは「重文」です。
私は#1で「ここで、「通じて」を加えた場合は、接続節と主文という複文の構文になるだけです。」と言っています。「接続節」としての「複文」です。ごちゃ混ぜにしないようにしましょう。

この「接続節」は「従属節」とも呼ばれて、とくに学校文法では次の役割があります。
「d 前提を表わす接続部《「──て」「──から」》 父は、隣の町まで行って、新しい自動車を、買って来た。 日が暮れてから、急に、風が 出てきた。」(三省堂版「中学校国語」)

ですから、構文は次の通りです。
今度の仕事を通じて、   私は いい勉強に なった。
(前提を表わす従属節)、(主語)(対象格)(自動詞)
今度の仕事を通じたことが前提となって→主文「私(にとって)は、いい勉強になった。」となります。
これは既に引用を行った「には系統」という限定付きでの、いわば自動詞形「私には、勉強になる」で、一種の「私は勉強させられた」という受動表現であり、そこには「私は勉強させてもらった」といった授受・恩恵表現をも加味しながらも、それをソフトに忍ばせた日本語独特のニュアンスでの表現なのです。

このようなストレートな他動詞表現を避けてあえて自動詞での受身的な間接的表現にする婉曲話法は、特に敬体表現に多く見受けられます。

この回答への補足

> 「お言葉を拝借しつつ端的に述べるならば、「複文の構文」と「普通文」では構文が異なるわけですから、意味が「同格」であっても、違う言葉を使って表現しなければならない場合が殆どではないのですか?」といった主張が、そのまま質問者にもおありならば、そのように言ってください。
これについて、返事していないことに気がつきました。遅まきながら「それはケースバイケースで判断するべきことであって、そのような主張をするつもりはありません」と、お返事させていただきます。
今般は詳しいご回答、ありがとうございました。

補足日時:2014/12/08 19:05
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この回答へのお礼

> 本当に知りたいものであれば、切実な学習意欲をお持ちであるのなら、なによりご自分の言葉として、それぞれの回答者に向って質すものでしょう。
> 一つの回答がなされたならば、それが質問者にとって疑問を解決するのに役立つものであるかどうか、質問者が選択すればそれで済みます。
確かにおっしゃる通りです。私もこれまでそれを基本だと思って#6さんには自分の言葉で応じていましたが、ことここにいたってはどうにも収拾がつかなくなってしまいました。#6さんの熱心な回答ぶりには敬意を表しますし、真摯にこの問題に取り組んでいただいていることは素直に認めています。だからできるだけ#2さんの説に近い形で(もちろん納得できるからですが)議論を進めつつ互いに合意できる形に持ち込み、「この回答は納得できない」と一方的に締め切ることはしたくないのです。しかし今回はいまひとつ最終的な判断をしきれずにいるのですが、#6で「『筋がとおっている』とお考えになる根拠は、単に、Mister0413に都合の良い解釈だからではないでしょうかね」とまで言われたのでは……。
私にはどう考えてもこれ以上はうまく説明できないので、#2さんにさらなるご説明を求めた次第です。今回のご回答は、ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/04 16:40

#5です。



>さらに直前の質問では#1さんと同一の人が次のように述べていますので、私は筋が通っていると判断しました。私は何か混乱しているのでしょうか。
> おっしゃる通り「この場合の「勉強」とは「経験を積むこと」という意味であり」そして、ここので「~になる」の用法は、「何か別のものに変化した」といった動詞としての実質概念を考慮するものではなく、「「物・ことが結果として実現・成立する」という意味だ」と。

つまり、「ついい5連覇がなる」などと同じ用法だとおっしゃっているわけですよね。
果たして、そうでしょうか?
わたしとしては、「なる」の用法をこのように解釈してしまうために、「通じて」を受けることができる、という勘違いをするのではないか、と考えています。
「変化する」あるいは、「~という機能がある」でも構いませんが、そのような用法だと捉えるのが適切なはずです。
「筋がとおっている」とお考えになる根拠は、単に、Mister0413に都合の良い解釈だからではないでしょうかね。たぶんですが。
たしかに、「変化する」という用法も、それほど適切とは言えないかもしれませんので、それを否定なさるのは構いません。むしろ、混乱させてしまったかもしれない、ということで謝罪も申し上げたはずです。
しかし、「~という機能がある」という用法である点では、すでに一致を見ていますよね。
であれば、
【「何か別のものに変化した」といった動詞としての実質概念を考慮するものではなく、】という点では、個人の感覚の違いというものがありますから、殊更否定しても仕方ありませんので、あえて反論はしませんが、
【「「物・ことが結果として実現・成立する」という意味だ」】という結論部分に関して「筋が通っている」とおっしゃるのは矛盾でしょう。
また、知恵袋の5人のうちの4人の方々の回答に関しては、否定しておられるのですか?

>> ここで、「通じて」を加えた場合は、接続節と主文という複文の構文になるだけです。
「今度の仕事を(対象格)通じ(動詞述語)て(接続助詞)、(私にとっては)(主格) いい勉強に(連用修飾格の副詞用法) なった(動詞述語)。」
または普通文では、
「今度の仕事を(対象格)通じ(動詞述語)て(接続助詞)、私は(主格) いい勉強を(対象格) した(動詞述語)。」
⇒つまり、#1さんは「今度の仕事は私にとっていい勉強になった」を、最終的には「今度の仕事を 通じて、私は いい勉強を した」と同格であると結論付けています。そして#2では「なる」には、「生る(出来る・実る)」や「成る(出来あがる・成り立つ・許す)」などの意味と共に、「為(な)す」の自動詞形「為(な)る(よい結果へと状態が変わる・よき結果を招くのに役立つ)」という意味があると述べています。

#1さんのおっしゃる意味は十分理解しているつもりであり、その上で反論しています。
お言葉を拝借しつつ端的に述べるならば、「複文の構文」と「普通文」では構文が異なるわけですから、意味が「同格」であっても、違う言葉を使って表現しなければならない場合が殆どではないのですか?
ということ。
要するに、意味的に同格であることを以って、表現が同じであることの根拠とするのは、論理的ではない、ということです。
「なった」が自動詞述語であり、「した」が他動詞述語であることはわかりますが、そうした事実と、「今度の仕事を通じていい勉強になった」が正しい表現かどうか、という問題とは何ら関係のないことでしょう。
「今度の仕事は年間を通じていい勉強になった」
などは正しい表現ですが、こうしたものと混同されている可能性もあるのかもしれません。
  
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この回答へのお礼

コメント不足でしたが、この文の「なる」が「~という機能がある」という意味であるというのは、あくまでも比喩であるとの説を前提にしてのことです。その後よく考えると、私も(少なくとも「通じて」がついている場合は)それには無理があるように思います。それについては#6さんも否定しているではありませんか。
私は少なくとも「通じて」がある以上は【「「物・ことが結果として実現・成立する」という意味だ」】という説を支持します。
#2さんの補足にも書きましたが、知恵袋は4:1ではなくて2:2です。他にチャットで相談した人も一人いますが、最終的には「こんがらがってしまいました」で終わってしまいました。
私はこの文ならば「何がいい勉強になったのか?」「いい勉強になったものは何か?」を、ことさらには意識する必要がないケースだと思っています。「仕事をすることを通じて(仕事の過程で)レベルアップした」の文では、「どんな勉強なのか」は省略されているのです。前後関係や当事者間で伝わり得る部分なのだと理解しています。
相手が「(今度の仕事を通じて)私にとっていい勉強になった」と言ったのを聞いて、私が「何がいい勉強になったの?」と聞き返した場合の返事が「今度の仕事が」だったら、私は「だから今度の仕事をする過程で、何がいい勉強になったの?」などと聞き直します。このような場合、例えば「設計をするときの注意点などがよくわかった」などが自然な返事なのではないでしょうか。

お礼日時:2014/12/04 18:45

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