アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

デパートの店員が客にお辞儀する際、頭を下げる角度には軽い15°から最も深い45°まで3つのパターンがあるといいます。

入店する際にお辞儀をされて迎えられるということは、客としては心地よいものです。

しかし、「お辞儀を強制することは人をロボットとしてみなしている」と異を唱える人もいます。皆様はどう思われますか。

「お辞儀を強制することは人をロボット扱いし」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • >会社の意向に従うのは当然でしょう。嫌なら別の仕事をすればいいのです。

    本当にそうですよね。私がこの質問をしたのは、あるブログに下記のような記事があったからです。

    >私はお辞儀そのものを否定するわけではありません。感謝を示す方法は人ぞれぞれでよいはずです。 深くお辞儀をしても、そうでない人でもその多様性は認められるべきだ。

    >しかしそこに強制性があって、画一性を求められるのだとすれば、それは人間をロボットとして扱っているのと同じこと。つまり企業側の従業員への態度には、人間性をもとにした扱いが なされていないということになる。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/10/12 13:07

A 回答 (8件)

ロボット、たしかにそうかも


http://kisekii.jimdo.com/

動物なら、お辞儀しないもんね。
ロボットみたい
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補足に書いてあるブログの人は、根本的に間違っていると思います。



まず「礼」を行うのは人との付き合いがあるからです。近所の人ならすれ違えば会釈程度はするでしょうが、大きな駅で一々通りすがりの人に会釈はしません。お辞儀をするのも同じで、必要があればお礼の手紙を書いたり、お返しの品などを持参してお礼に伺うこともあります。

ブログの人は「個人対個人」のことしか考えていないんですね。

人の付き合いには、個人対個人の他に、個人対会社(組織)・組織対組織などがあります。組織対組織の場合は、その組織の偉い人が挨拶をすればするほど「より丁寧なお礼」ということになります。日本だけでなく、世界中で同じです。

デパートの店員が客にお辞儀する際、というのはお店対個人という関係性になります。

店員は「お店の雰囲気やブランド作り出すキャスト」であるといえます。ディズニーランドで働いている人は「夢の国」を作り出すキャスト(演者)であり、ライドやパレードなどと共に園内の雰囲気を作る大切な役目を負っていると言えるわけです。
デパートの店員や高級ホテルのスタッフはそのような雰囲気作りに特に気を使っていますし、牛丼屋とかハンバーガーショップは別の雰囲気作りに気を使っています。

>感謝を示す方法は人ぞれぞれでよいはずです。
では、牛丼屋でデパート並みに「ありがとうございました」とゆっくりあいさつした後で深々と頭を下げていたらどうでしょう。周りのお客さんはあきれますし、他の店員は怒るでしょう。お店というのは、それぞれ期待された役割があって、デパートは高級感を、ファストフード店は早さを要求されているからです。

これを「人それぞれ」というのは、実にばかばかしいことです。上にも書いたように、それぞれのお店などは期待された役割で利益を稼ぎ、従業員はその中で役割を果たす必要があるからです。

したがって、そこに強制性があって画一性が求められていても、それは商品である、ということです。それがあって初めて商売として成り立つわけです。

嫌ならその仕事をしなければよいだけで、仕事をしている以上「強制」されるのは当たり前です。
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店員さんのお辞儀は店の方針で統一すべき。


お客様にお辞儀しているのは店であって、店員個人ではないからです。
店員は店の意思を体現しているだけです。
店員によって差があれば、店がお客様を差別したのと同じことだと思います。
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補足を読みました。


ブログ記事は屁理屈ですね。

感謝を示す態度に多様性が認められた場合、混乱するのは明白です。
自分勝手な感謝の意が、相手にちゃんと伝わると思いますか?

お辞儀は日本における人同士のインターフェース規格です。
法律で決められているわけではありませんが、
例えばお辞儀の角度で意味が変わるのは
まともな社会人教育を受けている人なら誰でも知っている話。

お互いに知っているからこそ、お辞儀によって思いが伝わる。

ブログの書き手は、単にお客に対する誠意とか感謝の気持ちとかないのでしょ。
だから「お辞儀なんか嫌、自分の思う通りにしたい」って言う。
そこには「自分勝手」の文字しか見えませんね。
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小笠原流に学びましょう。

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> 感謝を示す方法は人ぞれぞれでよいはずです。

深くお辞儀をしてもそうでない人でもその多様性は認められるべきだ。
深くお辞儀をするのは不手際があった場合です。
おそらくデパートなどで45°とされるのは、不手際があってお詫びをする場合の角度なのです。
あなたは「申し訳ありません」と謝られて会釈程度のお辞儀をされたら何と思いますか?
態度は心を表します。
深く頭を下げてお詫びをする、その目安として45°と位置づけているわけです。
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>感謝を示す方法は人ぞれぞれでよいはずです。


いや、違いますよ。
それだとわからないから、人間は長い生活の間に共通の言葉や動作を
決めてきたのです。お辞儀は誰が見ても感謝の表現なのです。

例えば、感謝の言葉は「ありがとう」だと思います。
でも、本来はこの言葉に感謝なんかないです。
「めったにないこと」が本来の意味です。
英語でいうと、Thank you,very much. のvery much の部分が
一人歩きしたものです。
でも、今では誰でもが感謝の意味で使っています。

>そうでない人でもその多様性は認められるべきだ
そこはそうですが、この場合は個人の関係ではないのです。
会社が顧客に対して感謝の意を表す場所なのです。
個人の場合ならばどんな表現でもいいです。
ウルドゥー語でもスカンジナビア語でもいいし、ガチョーンのポーズ
でも鼻をこすりつけてもおしりをかいてもかまいません。
でも、会社の公の場ではお辞儀をして「ありがとうございました」と
言わなければなりません。

>しかしそこに強制性があって、画一性を求められるのだとすれば
それは理想論としては正しいです。
しかし、現在、画一性を求めない企業はどこにあるでしょうか?
企業は個人の1日の時間のうちの何時間かを強制的に奪い、画一性を
求めています。それ故に対価を払っているのではないですか?
従業員もそれで納得してやっているのです。
お辞儀をしなくても法律には反しません。
しかし、それでお客が減って給与が下がることを従業員は望みません。
会社の強制ではありますが、そこまで考えて自分からやってるのです。
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>お辞儀を強制することは人をロボットとしてみなしている


意味がわかりません。
私も含めて、お客さんはお辞儀を強要したことなど一度もありません。
社員教育でかってにやってくれるものです。

少なかれ会社からお金をもらっているのですから、会社の意向に従う
のは当然でしょう。嫌なら別の仕事をすればいいのです。
でも、日本のサービス業には少なからずお辞儀は付いて回ります。

事務員の強制は人をコンピューターとみなしているのでしょうか?
労働作業員の仕事は人を建設機械とみなしているのでしょうか?
この回答への補足あり
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