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【小林一三】阪急電車、宝塚歌劇団、阪急百貨店、東宝の創業者である小林一三さんって小説家だったんですか?

慶應義塾時代から小説を書いていたのですか?銀行員時代から書いていたのですか?

いつから小説を書いていたのでしょう?

小説を書いていながらなぜ小説家にはならず銀行員の道に進んだのでしょうか?

小林一三さんは小説家にならなかった理由を教えてください。

A 回答 (2件)

彼が書いた小説で世にでたのは、1890年に故郷山梨の日日新聞に載った「錬絲痕」です。

慶応に入ったのが1888年ですから、小説という形になったのは慶応時代です。

小説家にならなかったのは、現実的な問題として小説家で食べていくのは厳しいからと判断したからです。でも物を書くのが好きだったので、大学卒業後の彼の志望は新聞記者になることでした。
ですが、その希望がかなわなかった(=入社試験に落ちた)ので、内定をもらった三井銀行に就職し、その後鉄道会社へと転職したという訳です。
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この回答へのお礼

みなさん回答ありがとうございます

お礼日時:2015/11/15 12:15

小説家を夢見てはいたらしいですが、実業家・政治家でしょうね。


銀行を辞めたのは1907年。
1914年に宝塚唱歌隊(後の宝塚歌劇団)を作り、初の担当作品が『紅葉狩』とのこと。
その後、多数の著作は残しているようですが、小説という分野ではなかったようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97 …

>小林一三さんは小説家にならなかった理由を教えてください。

政治家などもやってますし、実業家としても手広く活躍しています。
他の仕事のほうが面白かったからではないでしょうか。
あるいは自らの才能に見切りをつけていたのかも。
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