プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

相手の立場に立った状態とはどういうものか私にも判るように説明していただけませんでしょうか?

私は医師よりアスペルガー症候群を診断されています。
結構重いほうらしく、医師曰く「相手の立場に立つ、気持ちを考える能力の根も種も無い」「アスペルガーのグループの中でもここまでひどい人は見たことが無い」と言われる程度には酷いらしいです。
実際、付き合いの深くない人(職場や地域の人)からは良い人と言われていますが、付き合いの震度が増すに従って「思いやりが無い」とか「融通が利かない」「気持ちが通じない人」といわれる度合いが増していくのは事実です。

私が思う相手の対場に立つとは、自分の知識や経験その他自身を構成する様々な要素を用いて「相手の現状はこうであろう」という推測をたて、それに対しての行動を取ること。
どこまで行っても「自分」という感覚器を通して受容した「他者」に対して「自身の知りうる範囲の選択肢」から最善を尽くすことが、相手の立場に立つということだと思うのです。
うまくいくときもあれば失敗するときもありますが、それは手段の問題で、原則としてはこうであろうと考えています。
気持ちが通じるとか、相手と同じ物を見るというのは錯覚で、たまたま自分の視点と相手の視点が同じ物を同じように捕らえたと、それぞれが自己判断した結果でしかないと考えています。

ただ、いろいろな話を聞くと定型の人は本当に「他人の思考」をトレースしているのではないか?
と疑問を抱くときがあります。

例えば電車で席を譲るときを想像してください。
私の考えでは、
1 目の前に自分よりも優先的に着席したほうがよさそうな人がいる
 
2 周囲の状況と、対象の状況を過去の事例やこの場合推奨される行動判例と照らし合わせると、自   分が席を譲ることが妥当であろうと判断される。
 
3 対象を観察し、自己の経験や過去の体験から、相手も席を譲ってもらえると助かるであろうと判   断できる

くらいの思考ステップは踏むと思うのです。もしかしたら過去事例の中に相反する事例があり、その見極めのためにもういくつかのステップを増やすこともあるかもしれません。

定型の方の話を伺っていると
1目の前の人が困っていると心で感じて相手のしてほしい行動をとる

以上、という感じの方が結構いるように思われます。
心で感じると「自分」という視点を超越していきなり「相手のしてほしいこと」が分かるらしいです。
なぜ分かるのか?と問うと「心があるから自然とできる」とか「人間なら当たり前」という答えが返ってきます。

そういう人に、私の思考法を説明すると「なぜそんなに自分を主張するのか」とか「そんな自己中心的な考えは最低だ」などといわれます。
医師とは突っ込んだ話はしていないのですが、私が酷く自己中心的な人間だとは言われています。

定型の人は、なぜ「心」で相手の欲求を理解できるのでしょうか?
本当に自分という感覚器から離れて相手の気持ちを「直」に感じ取れるのでしょうか?

私にはそんなことができるのは解脱者かテレパスにしか思えないのですが…
普通の人は当たり前にそれができるものなのでしょうか?

そこで少しでも多くの方に伺いたいのです。

あなたご自身が「今相手の立場に立った」という瞬間はどういう状況でしょうか?
また、そこにいたるまでのプロセスはどうだったのでしょうか?
できるだけ順序だてて教えていただけないでしょうか?


相手の立場に立とうと思っても、如何せんその状態がわからず、苦慮しております。
本質まで真似るのは障害特性上無理かもしれませんが、具体的に目的の状態や過程を知ることが出来れば、代替品の制度を挙げるヒントを得られるのではないかというのが、質問の動機です。

何分感覚的なところなので、言語化は難しいかもしれませんし、私自身分からなければ回答を頂いた方に「ここがわからない」と問い返すことも多くなろうかと思いますが、ご協力願えないでしょうか?
少しでも定型の人たちとの溝を埋めたいと思っておりますもので。

難しい質問かもしれませんが、ご協力をよろしくお願い申し上げます。

A 回答 (12件中1~10件)

>唯一の答えを求めて、ただ一つの真理が欲しい人間です。



これってある意味では固定化された世界を望んでいるという事なんですよね。
変化しない世界なら答えは一つで済むから。
毎年夏は来るけど毎年違う夏が来る
諸行無常もまた真理
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

沢山回答していただきありがとうございます。
私事が立て込んで身動きが取れない間に締め切りになってしまいました。申し訳ありません。

たぶんshift-2007様の近くには私のようなアスペルガー者はおられないのだろうなと感じております。
それはそれでとても貴重な意見をいただけてうれしいのですが、そういうものなんですよね。私って。

感じ方、考え方がやはり大きく異なるのだなと改めて感じております。

ありがとうございました。

お礼日時:2016/03/07 22:58

質問者さんには暗黙の了解という概念が理解しずらいでしょうね。


例えば車を所有しているという事は車の免許を持っているという暗黙の了解を意味します。
でも質問者さんからすればそれとこれは違うとなるでしょうね。
定型の人間は暗黙の了解を多用します。
その方がめんどくさくないからです。
シマウマの模様と同じように年寄りは弱者であるというのが定型人間の暗黙の了解なのです。
譲る方も譲られる方もそれは了解しているわけです。
だから失礼かどうかを気にかける必要がないわけです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>質問者さんには暗黙の了解という概念が理解しずらいでしょうね。

これが苦手なのはアスペルガーあるあるです。当然私も苦手と言うか、良くわかりません。
私などからすると、暗黙の了解などという曖昧模糊なものより明文化されたルールの方がよっぽど便利に思えます。
まぁ、アスペルガー者は、暗黙の了解とか言外の意味を察するというのが凄く苦手で、明示されたルールや要望のほうがよっぽど落ちつくものでして。
そういう立場からの質問であることをご理解頂ければ幸いです。

ありがとうございました。

お礼日時:2016/03/07 23:02

頭の中の社会構造が質問者さんと私では違うんですよ。


そこが違うから思考のプロセスや結論が違ってくるんでしょうね。
私からすると質問者さんはまるで三次元を二次元的に見ているような感じですね。
例えるなら魚を開きにしたような状態で見ている。
だから、どこが背で腹なのかがよくわからなくなっていると感じますね。
あるいは、時間の概念が少し違うのかもしれないですね。
時系列に考えるというのが苦手でしょうか?

1. a=b
2. b=c

3. 故にa=c

1と2から3を導くのが苦手じゃないですか?

私を含めて一般的な人間の頭の中は『階層』になっています。
だから真上から見ても全体は見えません。
恐らくここが大きな違いでしょうね。

>あなたは本当に相手の立場を考えておられますか?

前述したように階層構造になっているので相手の立場を考えるというルーチンはその下にあります。
マナーというルールの下です。
私の回答にはそのことは書いてはいませんので考えていないと感じるでしょうがそうではないのです。
私が強制ではないマナーというルールを守る理由についてはどう思いますか?
信号であればルールを守らないと法律違反で罰金となりますが、年寄りに席を譲らなくてもペナルティーはありません。
なのになぜ目の前の年寄りにルールを適用させるのかという事です。

>そしてもう一つ、その人に対しての回答のチャンスは一回きりですよ。

確かに出会いというチャンスは一度かもしれません。
でも、今その話をしていますか?
また論点が変わってます。
話題があちこちに飛びすぎているようです。
今話題にしているのは

『相手が困っているかどうかをどう判断するか』

ではなかったでしょうか?
そのためのアプローチはこのQ&Aのように何度でも許されています。
一発勝負ではありません。

>いくら経験知が直観に比べて反応が遅いとはいえ、その誤差は私でいうなら秒単位だと思います。

なるほど、でもどんなに処理能力が高くても相手が困っているかを正確にできるとは思えませんよ。
質問者さんの判断が間違っていたらどうするんでしょうか?
その年寄りはひざに痛みを抱えているかもしれません。
外見からそれを判断できますか?
ご自身の処理能力を過信してはいませんか?
なので私は『どうぞ』と声をかけたほうが確実だろうというわけです。

>年寄だから席を譲ろうというのは、相手を自分より弱者と一方的に決めつける悪手だと、私には思えます。

これは私からすれば「100じゃなければ0理論」ですね。
完璧を求めすぎていて現実的ではない思考方法です。
電車に設けられている優先席も年寄り、身障者、妊婦を弱者と決め打ちしていますよ。
これも悪手ですか?
ただ一つの真理がほしいという気持ちはわかりますが現実社会ではあまり役に立たないと思います。
電車の例でいえば私が感じるのは質問者さんは『考えても無駄』という思考が苦手のようだという事です。
相手が困っているかをどんなに考えても無駄ではないでしょうか。
ある答えが出たとしてその答えが正しいかの保証は誰がするのでしょうか?
いくら考えても分からないので私は『どうぞ』と言うわけです。

>唯一の答えを求めて、ただ一つの真理が欲しい人間です。

大いに結構です。
しかし、現実社会は玉石混合が基本です。
それがどのような仕組みで動いているかも生きる上では重要です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

階層の話、確かに私は苦手だと思います。というか、階層の立て方が違うだけかもしれませんが。
参考にさせていただきますね。

お礼日時:2016/03/07 23:04

ははは、質問者さんの思考方法が少しわかってきましたよ。



ルールは画一的だからいいんです。
なぜなら考えなくていいから。
人間にとって考えるという事は体を動かすのと同じくらい疲れることです。
だから、疲れなくて済むようにルールを作ったんじゃないですかね。
ルールに従った方が楽だし早いのは間違いないですよ。

>などあれこれと考えて「相手に席を譲る行為が失礼に値しないか」を考えてしまうのですが、

でも、それで正しい結論は出ますか?
失礼に値するかを質問者さんがどれだけ考えても答えは出ないんじゃないですかね。
だって、それを決めるのは相手なのだから。

質問者さんが考えている間は確実に相手は立ったままですよ。
困っているかもしれない年寄りを考えがまとまるまで待たせることになりますよ。
そもそも、失礼かどうかではなく、困っているかどうかが問題のはずですよ。
だったら『どうぞ』と声をかけたほうが早くないですか。
困っていれば座るし、そうでなければ座らないでしょう。
ここで論点のずれが出ているようです。

質問者さんの思考はまるでクイズ番組ですね。
クイズ番組ではたいてい答えられるのは一回だけです。
だからその一回にすべてを集中しますが、現実世界では何度回答してもいいんです。
なので一番正解確率の高そうな回答をまず言います。
電車の例でいえばそれが『どうぞ』です。
正解なら座るだろうし、不正解なら困っていないという正解を知ることができます。
何時間使っても考えているだけでは正解は出ませんよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

うーん・・・

再再度の回答ありがとうございます。

ただ、私はアスペルガー当事者です。その私が言うのも変なのですが、あなたは本当に相手の立場を考えておられますか?
不思議でたまりません。

>ルールは画一的だからいいんです。
なぜなら考えなくていいから。
人間にとって考えるという事は体を動かすのと同じくらい疲れることです。
だから、疲れなくて済むようにルールを作ったんじゃないですかね。
ルールに従った方が楽だし早いのは間違いないですよ。<

これって、本来私が言うべきセリフですよ。私は全てのことに唯一の答えを求めて、ただ一つの真理が欲しい人間です。ただ、個人の思いはルールに束縛されないことくらいはわかります。
もう少しいうなら、その人の気持ちを正しく推理するには膨大な量の情報がいることくらいは知っています。

そしてもう一つ、その人に対しての回答のチャンスは一回きりですよ。
電車の例で続けますと、通勤・通学の電車で無く、たまの用事で乗る電車であれば何度も同じ人に同じ条件で出会うことはないでしょう。一期一会です。
その中で最適解を選ぶのにマナーだから無条件にというのはあまりに乱暴ではないでしょうか?
何回も回答の機会が与えられる一期一会の場面って、どん状況なんでしょう?

それと、いくら経験知が直観に比べて反応が遅いとはいえ、その誤差は私でいうなら秒単位だと思います。ルーチンで情報を照会して判断基準を満たすか否かを峻別するだけですから。
私が今回質問しているのは、ルーチンと心で感じる事の違いでして、あなたの指摘していることは私が挙げるルーチンそのものですよ。

年寄だから席を譲ろうというのは、相手を自分より弱者と一方的に決めつける悪手だと、私には思えます。
相手の立場、相手の気持ちを慮れない私ですらそう思うのですが、いかが思われますでしょうか?

お礼日時:2016/02/27 01:33

>私はマナーとは、自他共に気持ちよく生きるための決まりごとだと思っていたのですが



その通りでしょう。
決まり事なのでそのことをいちいち考える人はあまりいません。

>相手が気分良くすごすためには相手のことを知る、マナーを運用するためには相手の立場を知らねばならないと思うのですが

その通りでしょう。
では電車の例でいえばどの程度の情報が必要でしょうか。

・年寄りはそうでない人と比べれば足腰が弱いという知識
・相手の年齢

この二つが分かれば譲るかどうかを決められるんじゃないでしょうか。
ほかに必要な情報はありますか?

>普通の人はそんな感覚も無いのでしょうか?

電車の例でいえば無いです。
年寄りらしき人が目の前に立ったら『どうぞ』と言って席を立つ。
何も考える必要はないです。
マナーという決まり事なのですから。

アフリカにいるシマウマが白と黒のストライプなら、上野の動物園にいるシマウマも同じ白と黒のストライプですよね。
当然、千葉にある動物園のシマウマの柄を確認する必要はありません。
つまり、目の前の年寄りらしき人が困っているかどうかではなく、年寄りはすべからく困っているという前提にして席を譲るんです。

だから何も考える必要はないんです。
マナーという決まり事なんですから。
赤は止まれ、青は進めと同じですよ
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

なんというか、私とは判断の基準がぜんぜん違うのですね。

>では電車の例でいえばどの程度の情報が必要でしょうか。

・年寄りはそうでない人と比べれば足腰が弱いという知識
・相手の年齢<

私はその他にも
相手の立ち姿(しっかりしていれば老人でも優先順位を落とします)
周囲の込み具合
持っている手荷物の量
何人連れであるか
年齢や性別以外にも困り度合いの判断基準は無いか(子連れ・妊婦・傷病者のように見える等)

などあれこれと考えて「相手に席を譲る行為が失礼に値しないか」を考えてしまうのですが、
年寄りなら無条件に「どうぞ」なんですか?

シマウマの喩えでも、私は必要があれば確認しに行きます。
だって千葉のシマウマは普通の馬を園の人が勘違いしたかもしれないし、柄が珍しいシマウマかもしれませんよ。
類推はできますが確定は自分の目で見ないと…という場面はありますから。
シマウマでそれをしないのは、そこまでの価値(興味)が無いから違っていても問題ないと判断するからで、
必要なら考えてしまいますね。

定型の人の多くがshift-2007さんのように考えているのであれば、私は自分の思考法をどう考えればいいのか余計に悩ましくなってきました。

後、揚げ足を取るようですが、
信号の「青」は「進んでも良い」ではありませんでしたか?
また赤でも、止まることのほうが危険が大きい場合は進む判断も必要と言われました。具体的に赤で突っ込まないと危険な状況には、まだ遭遇したことはありませんが…
あまりにも画一的な判断基準のように思えますが、やっぱり私が変でしょうか?

お礼日時:2016/02/26 22:52

質問者さんを混乱させるかもしれませんが、


相手の立場に立つという事と電車内で席を譲るとは少し違うと思いますよ。
つまり、相手の立場に立ったから席を譲るわけじゃないという事。
定型、つまり年寄りが目の前に立ったら席を譲る。
それがマナー
当人が困っているかは別。
困っていれば座るだろうし、困っていなければ断るでしょう。

「相手の立場に立つという事」の考察はあっていると思います。
ミラーニューロンの話の方が質問者さんには納得するかも。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

うーん・・・

ありがとうございます。

マナーですか。
私はマナーとは、自他共に気持ちよく生きるための決まりごとだと思っていたのですが、
だとすると、相手が気分良くすごすためには相手のことを知る、マナーを運用するためには相手の立場を知らねばならないと思うのですが、間違いなのでしょうか?
私は自動的に席を譲るのではなく、色々と考えてしまうのですが、普通の人はそんな感覚も無いのでしょうか?

確かに混乱してきました。もう少し自分でも考えてみます。
難しいですね。

お礼日時:2016/02/26 21:30

#2です。

お礼ありがとうございます。

>私は、定型の方が心と言うものは経験知に置き換えても問題ないものではないかと考えています。

う~ん。ある意味「正解」だとは思いますが、別の面では「不正解」と思えます。

「正解」の方は、幼い子が「善悪」を学んでいくのは「経験知」でしかないからで、「心が判断する」と世間的に言われる「善悪」はいわば、その人が過去に経験した事柄から導き出した「規範」でしか「判断できないから」です。
「不正解」の方は、経験の少ない「自閉症スペクトラムでない幼児」でも「感情の同調」はできると言うことです。親や周囲の人間が笑っていると、幼い子が「笑いだす」姿は「珍しくない光景」として見られます。幼い子は「周囲が笑ったから、笑った方がいい」なんて思考はしないでしょう。

>ご指摘の自閉症スペクトラムで行えないという辺りが該当するのでしょうか?

何故、「感情の同調」が自閉症スペクトラムの人が「行えない」のかは、まだ、はっきりとはしていません。ただ、仮説はあります。その一つが「ミラ―ニューロン」です。

この「脳細胞」は「まね」を司っていると考えられています。人を見て、その人の行動や動作を真似るのを「無意識」に行わせるのです。それが自閉症スペクトラムの人は「うまく機能していない」と考えられています。多くの自閉症スペクトラム児が、学校の活動で「体操が苦手」だったり、幼児期に「人まね」を行わなかったりすることも、根拠の一つとなっています。(ただし、音真似は「非常に得意」なので、「動作の真似」だけに限定した話ではあると思えます)

または「心の理論」と言われるものだったりします。

http://www.kokoro-cd.com/html/what.html

そして、ここからは私見ですが。

人は「相手の動作や表情」を「無意識に真似」することで「同じような感情を引き起こす」のではないか。「口の端を大きく上にあげて、母音の声を出す」と人は「楽しい」と感じます。確かに「見て」わかることでもあるのですが、「感情をトレースして知覚する」のと「経験を想起して推測する」のでは「速さ」が違います。

また、自閉症スペクトラムの人にありがちなのが「一つの物には一つの答え」しか「想定しない」ことです。昔の生徒に「笑う」=「馬鹿にしている」としか「受け取れない」子がいました。彼は「苦笑い」「愛想笑い」が理解できませんでした。自閉症スペクトラムでない子ならば「相手が自分を見て笑った」としても「馬鹿にしている?それとも、困っている?または、反対したいけど言えない?」など様々に考え、相手の口元の微妙な歪みを見つけます。または「決めうち」をして行動しても「相手の反応」次第ですぐに「方向修正」も行います。

これらの「能力」を活用することで「空気を読む」「相手の立場に立って考える」を行っているので、それを「経験知」で補うのは「並大抵な努力でない」と思います。無理ではないとは思いますが。

しかし、そこまで「無理をして、相手の立場に立つ」必要は「本当にある」のでしょうか?

他の方が書かれるように「言葉にして教えてください」でもOKではないかと思いますよ。

>サイコパス的な発想なのかな、こういう自分から離れられない思考法って。

いいえ。サイコパスは「他人はどうでもいい」ので「自己を見つめる」思考はしないと思います。
実際に「多くの自閉症スペクトラムの生徒」と関わる中で、彼らがサイコパスと感じることは皆無です。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

再度ありがとうございます。

ミラーニューロンですか。そういわれれば、私自身も「真似る」というのは苦手です。
今でも仕事などは「見て覚える」ではなく、見たものを構造分解して組み直すようにしながら覚えています。
なので時間が掛かりますね。その分説明や教えることには強くなるので、そのお陰で何とか存在価値を作り出してますが。
とくに単純で大勢で一緒にやるような動きは、習熟に時間が必要な気がします。
ミラーニューロン、覚えておきます。

>しかし、そこまで「無理をして、相手の立場に立つ」必要は「本当にある」のでしょうか?

私の場合、あるとしか言いようがありません。
職場などのある程度経験も反応も限定される場面では上手くいきます。積み重ねた経験知だけでも、繰り返し使っていますから「即意名答は無いが、しっかりとした受け答えができる」くらいの対応はできています。これ以上は辛いですが、職場でも町内会や各種の集まりなど、元から深い付き合いをしない人には評判は悪くないです。「良い人」と言われますし、頼られもします。

ただ、私の場合対妻の関係が非常に危うい物でして、知らず知らずのうちに妻を追い詰めているようなのです。
カサンドラ症候群というのでしょうか。欝っぽい感じになっていて、理由を探っていくと私の言動が「心がこもっていない」「私の思うような反応ではない」という部分が原因らしいのです。

仕事や付き合いであれば、こちらから離れることもできますが、妻や子どもから逃げるわけにもいかず、外向きの対処法も効果が無く、思いつくのは定型の方ののように「気持ちを察する」くらいしか、解決策を思いつかない現状です。
子育てにも積極的に参加してますし、家事炊事も半分以上は私が負担していると思うのですが、それでも「気持ちが無い」「やればいいと思っている」などと言われると、やはり「相手(妻)の対場に立ち察する能力」がどうしてもほしくなってしまいます。
妻から見ると、私は無理でも気合と努力で何とかしてしまうタイプなのだから、私のこともそれで何とかしなさいよ。
と言うことらしいです。
私がアスペルガーと知って、特性をしってもそれを期待してしまう。期待が裏切られるから辛くなる、と。

お礼が愚痴っぽくなってしまいましたが、回答参考にさせていただきます。
ご丁寧にありがとうございました。

お礼日時:2016/02/26 21:26

訂正します。


質問本文からだけだと自分の考え方に間違いが無ければ一切他の意見を受け入れない人なのかな…と感じたので
【説明するだけ無駄】
としました。
ですが、他の方への回答を読ませていただいたところ違うとわかりました。

私もよくデリカシーが無いとか人の気持ちがわからない奴だと言われていました。
その頃は【どんな考え方】だったかというと
一言で言えば
【非情で合理的】
でした。
だから部下と衝突しては上司に
【お前の言っていることは間違っては無いが、あまりにも相手の気持ちがわかっていない】という叱られ方をしてました。

でも、今は前より言われなくなったし部下とも衝突することは減りました。
では、どうしたかというと
面と向かって【今まで貴方の気持ちを理解できなかったし、しようとも思ってなかった。人として最低な人間だけど貴方と仲よく仕事をしたいと思っている。だから、今さらめんどくさいとは思いますけど貴方の気持ちを言ってほしい。すぐに言えなくても、あの時こうして欲しかったなど教えてほしい】と
そして、大事なのは
【同じようなことを繰り返さない】
ということです。

相手の気持ちなんてぶっちゃけ
【わかるはずありません】
要は今までの経験から推察し
【相手を不愉快にしない言動】
を構築選択しているだけです。

まあ、リセットのできないギャルゲーをしてるようなものです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

こちらこそ申し訳ありませんでした。このQ&Aでの私と不倶戴天の敵ともいうべき方のご意見とダブって感じてしまい、無礼な物言いをしてしまいました。
ごめんなさい

丁寧な説明を頂きありがたい限りです。私も以前職場で部下を持った際には相手に「自分は不器用で蜷さんの助けがないとやっていけない。至らないところはいつでも指摘してほしい」とか、同じ作業で汗を流しながらいろんなことを教えてもらっていました。
なので、仰ることは「わたしなりに」わかる気がしますし、そうだよね、と共感ももてます。
でも、
>相手の気持ちなんてぶっちゃけ
【わかるはずありません】
要は今までの経験から推察し
【相手を不愉快にしない言動】
を構築選択しているだけです。

に行き着いてしまうんですよね。不思議なことに。
多くの定型の人たちは、相手の気持ちが「わかる」し、心から対応するから「相手を不快にさせない」らしいといいます。
できればこのギャップが何でできるのかに迫れれば良いなと思うしだいです。

>まあ、リセットのできないギャルゲーをしてるようなものです。

面白い喩えですね。まさにその通りです。私も何度もゲームオーバーして、そのつどソフトや時にはハードも変えて、やり直してきましたから良くわかります。
こんな的確な喩えを思いつくなんて、ドドコスさんは凄い人ですね。
ありがとうございます。

それと、私のお礼、本当にご不快に思われたことと思います。
謝って済むことではないかもしれませんが、本当に申し訳ありませんでした。
回答、参考にさせていただきます。

お礼日時:2016/02/23 23:57

あなたが言っている「相手の立場に立つ」について、「だいたいそんな感じじゃないかな」って気がします。



1 目の前に自分よりも優先的に着席したほうがよさそうな人がいる

あなたの場合、これはどうやって判別しているのでしょうか?
過去の経験であったり、教育などで得た知識かもしれませんが、判別できればそれでいいんじゃないかなと。

また、相手を見るには私は自分を通さないことにはわかるわけがない、、と思っています。
相手の心とシンクロ出来るなんてありえません。
せいぜい、相手の言動や表情、周りの雰囲気で「そうじゃないかな」って思うだけです。
その「そうじゃないかな」っていうのも自分を基準としたものですよね。

そして、重要なのは結果ではないでしょうか。少なくとも相手にとっては。

電車の例でいえば、どんなプロセスを経るにしても、あなたは席を譲りました。
相手はそれで喜びました。結果あなたの推察及び行動はあなたも相手も「よかった」ということになります。

定型の人(?)は心が理解できたのに、席を譲りませんでした。これは相手からとったら不親切。

相手の立場からすると、どちらが良かったかというと席を譲ってもらった方ですよね。

「目の前の人が困っていると心で感じて相手のしてほしい行動をとる」って本当?
じゃあ、なぜあなたの隣の人は、あなたより先に席を譲らなかったのでしょうか?
私がひどいめまいに襲われているときに誰も席を譲ってくれないのはなぜでしょうか?

相手の立場が理解できるのに、行動に移さないのは、立場が理解できないで行動しないのよりも悪質な、それこそ自己中心的となると思います。

ただ、あなたが言う「もしかしたら過去事例の中に相反する事例があり、その見極めのためにもういくつかのステップを増やすこともあるかもしれません。」というように過去に何かしらの経験があり、譲らなかった、、という場合も往々にしてあると思うのです。

実際に相手の立場に立った上で行動に出たために、ひどい目にあったことが何度かあり、反射的に行動できない場合もあります。
特に事故や犯罪といった警察がらみは、関わると真っ先に犯人扱いでものすごい言われ方しますからね。

相手の気持ちが完全に理解できることはありません。
相手は自分じゃないので正確にはわかりませんが、せいぜい半分くらいでそれ以上は自分の「思い込み」です。
この質問コーナーの恋愛・人生相談を見てみるとそれが理解できるかなと思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。

>相手の気持ちが完全に理解できることはありません。
相手は自分じゃないので正確にはわかりませんが、せいぜい半分くらいでそれ以上は自分の「思い込み」です。

私も同感です。ただ、なぜか多くの人はそれがもっと高い割合で分かると思っているらしくて。

>そして、重要なのは結果ではないでしょうか。少なくとも相手にとっては

そうだと良いのですが、結果が正しくても私の思考プロセスを知る人の中にはそれを「過程が正しくないから、結果が正しくても無意味」と感じる方も結構います。
例えば№3の回答者さんみたいに。
私の嫁さんも同じような気持ちを持っているのかもしれません。

なぜこうなってしまうのでしょうか。一瞬で処理できる情報量が少ないと言うのはそんなに「悪いこと」なんでしょうか?

どう思われますか?

お礼日時:2016/02/23 07:31

簡潔にお答えします。



説明するだけ無駄です。

貴方に必要なのは
【自分の言動が相手を不愉快または傷つけている】
という
【事実を認めること】
です。

貴方がどんな思考論理を持っているかなんて
【どうでもいい】
のです。

貴方が
【周りの人と上手につき合っていきたい】
というなら
【謙虚に自分の言動の悪かったところを教えてもらい】
【謙虚にそういう時はどう振る舞うべきか教えを乞う】
ことですね。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

仰ることはすでに実践していますよ、現実では。
だから世間様ではいい人であり、いい旦那であり、いい父親と言われるわけでして。
親しくなると批判を受けるのは行動そのものよりもあなたが「どうでもいい」と切った思考論理が「私たちと違う」からなんですよね。
なので、定型の方々から意見を頂いて、修正をできる部分を探したいのです。それは質問文にも書きましたよ。

トドコスさん、例えば「あなたの回答は著しく私を不快にさせます。その事実を認めて直してください」
と言われたらどうしますか?
何故?何がいけないのか?自分と相手の相違点、不快に思う点はどこだと探しませんか?

今私が行っているのがそれです。
お叱りはごもっともですが、しらないと出来ないものはできませんので、あなたが無駄と切った説明をしていただけませんか?
よろしくお願いします。

お礼日時:2016/02/23 07:25

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!