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部活を辞めることについて
高校2年生です。私は部活をしています
しかしもう辞めるつもりでいます
というか辞めたいと顧問の先生に
伝えました
辞めたい理由は顧問と合わない。ただそれだけです、それ以外は何も問題ないです
顧問に顧問が原因で辞めるということも伝えました。すると顧問は、お前が2年生と一緒に引退したいとか8年間続けてきたテニスとか捨てられるなら辞めてもいい。でも1%でも気持ちがあるなら考え直せと言われました
正直、自分でも分からなくなってきました
しかし顧問とあと1年やっていける自信に関しては0%です、皆無です
同じような経験された方いませんか。
読んでいただきありがとうございました

質問者からの補足コメント

  • 何ヶ月も悩みました。
    充分すぎるくらい考えました
    しかし考えがまとまりません
    突発的にこんなこと
    言っているわけではありません。

      補足日時:2016/05/13 16:40

A 回答 (6件)

顧問って先生なんでしょ。

狭き門の先生になった人ですから、その顧問と会わないなら、あなたが社会人になったら合わない人がもっと多いですから、
あなた仕事が続けることができませんね、
合うように努力するか、あと1年くらいがんばってください。大学も部活続けてると有利ですし、就職にも有利です。
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この回答へのお礼

そうですよね。しかし顧問が原因で辞めた人は何人もいます。大学にはいくつもりはありません。
回答ありがとうございました

お礼日時:2016/05/13 16:38

No.5のものです。



お礼有難うございました。

大人になって引きずる様なことはあっちゃいけませんよ。

ただ、私も色んな人の相談を聞いて思うことがあります。

キタイナイ情けないオッサンがいたと思ってください。

この人の相談に乗ったと思ってください。

どうも、この人学生時代には輝いていて周囲の尊敬を集めていたそうです。

嘘だろーと誰もが思います。


ですが本当に、学生時代に輝いていても、翳ってしまう場合があるのです。

輝いていた青春時代からどうして翳ったのか?

つまり、このケースが引きずったということですね。


引きずるというものが誤解されないように、

実際にどういうものなのか説明します。



その方は面白いくらい不幸が重なったり、失敗したり、引っ込み思案であって、

いろんな面で思いもしなかった事が起きるので、誰もが心配しました。

集団の中では、お味噌です。良い奴だが、何かを任せたら皆が失敗する。

そういう暗黙の了解ができていました。


良い奴なので、誰もが助言をします。

大体の第三者が、

その人が「どうでも良い部分で意固地である」ときがつきます。

「勿体無いよ。そんなにいろんなことが出来るのに、

 どうしてこれくらい我慢できないの?」

と心配します。

すると、とても頑なに成るんですね。

他人事ですから、そこで皆興味をなくします。

わたしは、相当頑張って聞き出しました。

やっと理解できたことがあります。


その人は過去の人生で他人を全否定してしまったんですね。

その人の場合は、父親だったようです。

中々話しませんでしたが。


しかし、恨むほどのものじゃないです。

標準で考えれば、もっと酷い人は沢山いる。

そして、その人が父親より酷いと(思える)人に接することになります。

世の中、色んな人がいますから、これは確率ですね。



その人の主観では、我慢できる最低のラインの人物より、

もっと酷い人物に出会ったとなってしまいます。

・そこで我慢するのか?

・もっと酷いのでやはり拒絶するのか?

考えざる終えないですよね。

この人を許すとしたら、父親を許さなかった自分は偏狭であるということになり、

間違っていたことになります。


ですので、前者を選べば自己矛盾を引き起こします。

我慢できないとして、ある程度の損を受けいれたのですから。

こうした理由から、本当は損をしたくないのに、後者を選び続けていたんですね。

いま、このとき、

目の前の人物に耐えられるならば?

過去の少年時代、過去の学生時代、社会に出てからの事件、

これらすべてに耐えられたと証明してしまいます。

自分に嘘をついて甘えたと自分が理解してしまいます。

そのせいで、仕方ないと受けいれてきた損の数々はどうすればいいのか?

ここで、自分が意固地で間抜けだったと笑い飛ばせればいいんですが、

人生と成ると、そうもいかない。

後者を選ぶのはブレていませんから、過去の自分も肯定できます。

そこで、

「まだ他にチャンスがある。

 適当なところで自分は賢く振舞える。そういうところは自信がある。」

こう考えて、今回もやってしまいます。


これを何度かやってしまうと、

自分から折れて、相手に譲歩することが難しくなります。

失念しているのは、

「その賢く相手に合わせるという自分に変わるのは何時なのか?

 それは今じゃないのか?

 今変わるとしたら、もっと以前はなんでやらなかったのか?

 そうして捨ててきたものに対して納得いくのか?」

と考える未来の自分です。

そしてこの人が、前者を選ぶときがこなければ、ずっと後者になるんです。

今それを受けいれると、意地を張ってきた部分の損失をまともに考えることになる。

自分が単なる間抜けに思えて心を支えられなくなる。

「だから、それだけは出来ないんだ。」

と言う事だそうです。


さて、ネットで掲示板を荒らしたり、社会を否定している人がいたとして、

そのかたも同じ気持ちじゃないでしょうか?

生まれたときからそうであったわけじゃないです。

また、ドラマティックな事件があったわけじゃないでしょう。

誰でもやりそうな、どうでも良いことが、呪いとして自分を縛ったんですね。

普通の人は、他人を全否定するときに警笛が成って、自分が動けなく成ります。

今の質問者さんのように、苦しくなって、自分を止めてくれと人に相談します。

ですので、それが出来る人は実は滅多にいないんです。

他の人が諌めているうちに、何となくうやむやになって乗り切ってしまいます。

ところが、勇気を得て一線を超えてしまう子供がいます。

滅多にいませんが、それなりのコースになってしまうというわけです。



そういう人は(何人か同じケースがありまして)、

「自分はダメなんだ。自分はそういう所が弱点なんだ。そういう性質なんだ。

 そういう部分が弱いので、皆に理解して欲しい。」

といい続けます。

しかし、これ自体がすでに損です。

それ自体が普通の人はもっていない悩みです。

もっと心が軽いはずです。

「私は間違っていなかった(はず)」

と言いつづけるのは、既に損です。

つまり、慢性の疾患を得たのと同じです。


失ったモノを仕方なかったように嘘をつき続けることになります。

ですが、他の人は充分に耐えられていることを否定できません。

最後は、意地を張るために、自分が劣っているという言い方をします。

それほど、「いまさら認めたくない。」と思えるようです。

これが”引きずる”の本当の呪いです。



このサイトでも、

自分を卑下して、ダメダメな状態だと悩んで相談する人が多数います。

では、生まれたときからそうだったんでしょうか?

皆が普通に同じだったはずです。

では、どういう経緯で、そのように変化するんでしょう?

間違いなく、過去を肯定するために意地を張って捨ててきたんです。

年を取って、もうチャンスが無いと知り、

「自分の代わりが幾らでもおり、

 誰にも尊重されないが、生きてはいたい。」

そうなって、過去に無駄をしたことが悔やまれる。

いま出来るのに、どうして過去の自分はそうしなかったんだ?




その顧問の方が平均より酷いならばいいんですが。

割といるタイプですと、何度も我慢するかどうか悩みますよね。

このとき、相手を受けいれると、過去の否定になります。



”引きずる”とは、今の判断が正しいと将来も意地を張る事をいいます。

将来何処かで、過去の自分をけなし、間違っていたと出来れば、

その時点で引きずらなかったとなります。

出来ない期間が、引きずっている期間です。

(最近わたしもやりました。過去の自分を全否定です。厳しいですよ。)



ですので、今逃げるとして、次はもっと辛いときに踏ん張りぬいてください。

そうしませんと、私の予告どおりになるでしょう。


さて、

これでは常に緊張していないといけなくなります。

こういう自己への呪いを作らないためにも、

人を否定せずに(嫌だと思ったことは事実として消さず)、

相手の事情などをしらべ、気持ちを抑えて、

事情や都合があわなかっただけであるとしないといけません。

こうして記憶しておけば、

「今回は事情を理解して都合をあわせられたので、我慢できました。」

とできます。将来都合が悪くなったとき、過去の自分を否定しないで済みます。



さて長くなりました。これが転落する理由です。

いまさら感がして、頭を下げれなくなります。

今下げるくらいならもっと昔に・・・・


人生をリセットしたいという方が何故いるのか?

ちゃんと理由があるんですよ。



将来において、自分の利益のためにプライドを捨てて自分が悪かったとするときが、

自分には絶対訪れない、とした確率にかけてしまうと、

力ばかりを求めて、世の中全てを拒絶しないといけなくなります。

どうしても生きていたいと思って、心を折って自尊心を捨てたのが晩年ですと、

本当に毎日悔しくて仕方なくなるでしょう。

私の家族ですが、毎日泣いている女性がいます。

理由それぞれは、大したことが無いように第三者は思います。

ですが、当人にとっては、

ここでこんな屈辱を我慢できるならば、もっと昔のちょっとしたことを我慢しておけば良かった。

そういう後悔のためですね。


人のせいにせず、事情のせいにしましょう。

努力の出来る余地があったと常にいい続けておくこと。

努力を嫌がる人は、普通の運命を得られます。

努力をすることで、過去の否定になるような場合は、普通じゃ済みません。

そういう状況を作らないことです。

同じ逃げるにしても、これは全く将来が違ってしまいます。

そこを問題だと思ったんです。


また、

「嫌な人は我慢しないで良い」

とスッキリするのは、自らの心の中では格好良いのですが、客観ではそう見えませんよ。


以上、ご参考に成れば。
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顧問の先生が言っていることは大人として正しいですね。



ここに事件性(犯罪性)が無ければ、質問者さんが納得できるかどうかでしょう。

もしかしたら、セクハラやパワハラがありましたか?

実際にあったならば、ご両親に相談して教頭先生に伝えましょう。

外部にも相談窓口がありますので利用しましょう。



それ以外で”あわない”と言う表現が使われるときは、

「自分に対する評価が不当である。」

と感じるときくらいですかね。これも一般的です。

次にあるのが、

「他人を脅して言う事を聞かせようとする性質が指導者にある。」

ですかね。パワハラに近いんですが、そこまでいかない感じです。

事情が分かりませんから、仮にこの二つで言及します。

二番目のほうかな?と思いますが。



まずは最初のはなし。

セクハラやパワハラ以外での悩みとなりますと、

特に、他の同僚(同級生)やそれまでの指導者の、自分に対する評価が高く、

新しい指導者の評価が低いときに生じます。

優秀な人ほど、これが一番辛いですね。


これもある種のペテンでして、

目下のものは目上の期待に応えようとして力を発揮します。

劣等生であると思い込まれると、(やりたくなくても)本当に劣等生を演じてしまうんです。

こんなはずじゃないと思いつつ、

相手の思い込みを助けるような証拠を作ってしまいます。

萎縮しているわけですね。

こういう場合に関しては、逃げ出して良いと思いますよ。

ただし、(言い方や指導法以外の)指摘事項が正しいかどうかで結果が変わります。


指導者の評価や指摘事項が正しかった場合は、場所や相手を変えても同じに成ります。

冷静に自分をチェックするべきでしょう。


また、不当と感じるようになった原因はなんでしょうか?

指導者が自分を誤解した理由は、過去の経緯を知らず、こちらの立場を知らないからです。


ここで辞めてしまったり、新しい場所を探しますと、

次に出会う方も、自分の過去を知らない人だけですので注意が必要です。


また、自分を支えてきた技能を捨ててしまえば、拠り所がないただの人になります。

今以上にヘコヘコして相手に合わせるのが普通となるでしょう。

そんなとき、

「ああ、いま相手にあわせてヘコヘコするくらいなら、どうしてあの時やらなかった。」

とわかります。



さて、考え方を二つ持ちましょう。

コーチと審判です。

相手の方がどちらにあるのか?

人は2タイプいます。

審判タイプの人には、抗議をすることがマイナスに成ります。

「自分は相手を判別して、どちらにも合わせられる。」

ここにプライドを持って、頭を切り替えらることが大事でしょう。



次に2番目の話ですね。

「自分に対する評価」以外で悩むケースとしてあるのは、

「相手の態度が失礼すぎる。」

でしょうか。

言動や振る舞いに、他人を尊重する姿勢が見られない場合ですね。

相手を恫喝したり、脅すことで言う事を聞かせようとする。


今回は、

「ここを去ると言う事は、テニスを辞めると言う事だよね?」

と脅していますよね。

こういう発想や発言を頻繁にできる人は、周囲にストレスを与えます。

原因は、対象となる上司や先生に対する評価が低いんですね。

悩んでしまっている。

その上司や先生が、最初に話したケースに該当し悩んでいます。

こういう場合は、上司や先生が目指している目標をしっかり受け止めます。

夢があって、まだ戦いたいと思っている場合があります。

こちらに協力を示すと、態度が変わるものです。



「どうして、俺の話がわからないんだ?

 やる気があるのか? 一緒に戦いたいだけなんだぞ。」

と言うモードに入っていますから、

逃げ出す人や消極的な人を犯罪者のように扱います。

こうしたときは、

「まずは、戦うことには賛同。

 しかし、気持ちが一つになるまでは、相手にあわせるべきではないか?

 特に、あれは失礼なものですよ。」

と指摘することが大事です。


人間性を否定されたと思って、相手の人間性を否定すると、

自分の方が相手の人間性を否定する人間になります。

やり返してはいけません。


自分の人生と他人の人生は違います。

相手に問題があったとしても、相手と同じ事をやり返せば、

同じコースにのってしまうんです。

非常に迷惑な話ですよね。


不当に感じても、雨が降ったら傘を差すしかないのと同じです。

「世の中に悪い人間はいない。

 都合が合わない人同士がいるだけである。」

と考えるように(頑張り)ます。

「顧問とあわない」

ではなく、

「顧問の都合と自分の都合があわない。」

こう解釈しなおして、相手の都合と自分の都合をあわせもって、

交渉をする必要があります。



全否定をする人は、どんなに悩んだとしても救われません。

一部を認め、一部を批判し、そのうえで都合が折り合わないと表現することです。

相手をやっつけようとしないことです。




辛い場合は撤退するのが大事ですが、

・そんな中でも凌ぎきった自分

・他の人も辞めているので、追従した自分

と言う二つの未来に分岐しており、

とても大事な成功体験を得るチャンスを捨てているのかもしれませんよ。

他の方が逃げ出したならば、生き残って自分を褒めるネタにできます。


私も、大学院の研究室の先生とあいませんでした。

毎日がウツ状態でしたし、生徒のすべてに嫌われていました。

とにかく戦いを求める先生でしたね。いまでは共感しますが。


こういう風に、何十年もたって良い思い出として話せます。

簡単にいえば自慢話ですね。


では、そこで辞めてしまったらどうなのか?

「・・・でさあ、頭にきて辞めてやったんだ。

 あんたが原因だからって念を押してさ。」

「え・・・辞めたんですか?」

「そうだよ、なんせその教師ときたら・・・・

 な、腹が立つだろう?」

「辞めるほどでしょうかね。

 xxさんって、我慢できない系の人なんですね。」


と言う思い出を作ってしまいます。

将来の自分を考えたら、ここで分岐していると思いませんか?

若いうちは、世の中が見えていませんから、自由な地平線のように感じます。

実際は高速道路みたいに、

一度間違えて乗ってしまったら、降りる場所がほぼありません。


辞めると言う事は、消えると言う事です。

顧問の先生に原因が合っても、顧問の先生が言う事は正しいでしょう。

顧問の先生には悩みがありそうですから、いずれ自滅するはずです。

しかし、これに腹を立てて、自分の人生のコースを変えてしまうのは損ですよ。


今後、同じような人に何度も出会うでしょう。

そちらの方々も、

やはり人生の選択で間違えてしまい、取り返しがつかないので悩んでいるんです。


影響されないようにすると言うのが正しいと思えます。


どこかで何かをやめたとします。

辞めると言う事は消えると言う事ですから、

そのあとは、消えるを選択した人が歩む人生を見続けることに成ります。


ここから回復したことがありますが、

あらゆる天運が自分に罰を与えているような感じがしました。


休息をとっているのだと、言い聞かせることで、回復しました。

もし、あいつのせいだと、いい続けていたら自滅していたでしょう。




まず、辞めるにしても、

顧問が原因ではないと完全に思えたとき、実施しましょう。

そこまで気持ちを整理することが大事。

これが出来ない子供が稀に大人に成るので、問題が生じます。

社会はそうした人を排除するために、不可思議なルールを沢山作ってまっています。

虫取り網みたいなもので、逃げられません。

天運に感じたのは、そういう理由からです。

罪にならない段階で、性質によって不遇を受けるようにできています。

どこかで、自分を変えて生き残らないといけません。


「誰かが悪いので辞めた。」

から、

「誰も悪くないが、自分の都合があるので、辞退させてもらった。」

に転換するまで、自分の気持ちを調整しましょう。

とても辛い作業ですが、乗り越えずに幸福になることはできません。




人が人生を捨てるときの決断に似ているので、心配しました。



以上、ご参考に成れば。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
辞めたからといって大人になってまでその話を引きずるつもりはありません。あの時の私は子供だったんだ。と言える自信があります、顧問の先生には不満もたくさんありますが感謝している部分もあります。しかしどうしても受け入れられない部分もあります。正直ストレスでご飯もろくに食べられません。そんな状態でも仲間とテニスすることは捨てたくない自分がいます。
それを天秤にかけて迷っています
誰のせいで辞めるという自分の都合
というのが私の辞める理由です

お礼日時:2016/05/15 14:01

質問の意図がいま一つ判然としません。



もし、背中を推してもらいたいのならば、辞めていいんじゃないかと突き放すことが出来ますが、質問されているということは、考える余地が残っているのでは無いかということで、他の回答者さんは回答してくださっているのだと思いますよ。

具体的に顧問の何が気に入らず、辞めるのかわからないので、「そうだね。辞めて正解だね。」とは、誰も答えてはくれないと思います。

人間関係とういのは、これからの人生色々とあると思います。顧問『だけ』が原因ならば、私も辞めるのは思い止まった方がいいと思います。ただ、顧問が作る環境とかそういったものが原因であれば、部活でのテニスは辞めてしまい、学校外のチームなどで続ける道もあるかと思います。

突発的に言っているわけでは無いと補足されていますが、質問者さんがどういった経緯でどういった考えをされたのかが全くわかりませんので、ご自身が期待されていた回答とは違うのでは無いでしょうか。

もし、まだ未練があるのならば、考え直すべきだろうと思います。顧問も含めて部活に未練が無いということであれば、すっぱり辞めてしまっていいと思います。

最後に、この問題には『他の顧問が原因で辞めた人』は、関係ありません。
あくまで、自分がどうしたいかということなんだと思います。他の人が辞めたから、私も辞めようというのは、ただのいいわけでしかありません。あくまで、自信の内面での話なので、落ち着いて頭の中を整理された方がいいと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2016/05/13 18:29

再回答です。



例えばすごく良い会社がありました。

働きやすく、給与も条件も良い。

しかし嫌いな上司が一人いたら辞めてしまうのでしょうか?

働いたら分かりますが、全て完璧な働き口なんてありません。

何かしらの不満が必ずあります。

それに耐えたりこなして見ることも必要です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2016/05/13 18:29

辞めるのが決定しているなら、こんなところに質問しないのでは?



どの様な事に不満があり、どの様な事をされたかわかりませんが、一人の人間関係だけで辞めるのを続けていると損をしますよ。

覚悟があるなら辞めましょう。
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この回答へのお礼

そうですね。ありがとうございました。

お礼日時:2016/05/13 16:47

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