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私は仏教徒で、彼はイスラム教徒です。
なので彼と将来結婚するとなれば私は改宗する必要があります。
少しずつ彼にイスラム教について教えて貰っているのですが、どうにも慣れない気持ちが残ってしまっています。
受け入れるために、クルアーンを購入して勉強してみようと思うのですが…。
確かに考え方は素晴らしいと思います。彼から聞いていて素敵だと思いました。人としての決まりを守って1回1回につき100回分の想いを込めてお祈りをしているのだと聞いた時も、いいなぁと思うことのひとつです。
しかし、罰が厳しいのだということをきくと少しだけ悲しくなってしまいました…。
王様によって近年王様の言う事は絶対ではない!という宣言がなされたようですが、イスラム法を汚すようなことがあってはならないため罰は変わらないようです。
まあ悪いこととされるような大層な事をしなければ、なんともないのですが…うーん。
まだ知らないだけでしょうか…、イスラム教徒へ改宗された方からの解答をおまちしておりますm(*_ _)m
もしオススメな日本語とアラビア語で書いてあるクルアーンをお持ちでしたら、教えていただけると助かります!
よろしくお願いします✩

質問者からの補足コメント

  • 解答ありがとうございます。
    そうですね、私は今までクリスマスもすれば元旦に初詣、ハロウィンに夏祭り、葬式や戴冠式など様々な事をして参りました。
    ここを見ると、無宗教に近いと思います。
    解答の通りですね!
    しかし、私は彼を愛することで新しい宗教に出会いました。
    その宗教は日本では見られないような厳格たるもので、海外では当たり前のように見られる仏教ではない宗教の信仰度合いでした。
    一つの面からは私はあまり好きではないなとまだ感じているので、その違和感をぬぐい去りたいだけなのです。
    無宗教のままでいたいと半分位は思っています。
    倫理的な点から、pikopa様がその思いにもう1度考え直してみようと触れてくださったこと本当に嬉しく思います。ありがとうございます。
    私はイスラム教徒である彼を愛しています。
    だからこそ、意識が大きくズレていたことにも気付けました。(続く)

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/08/18 15:25
  • あなたからも、結婚の為だけに変えるのは…と意見を頂けて少しだけスッキリしました。
    そして、私は彼と向き合ってイスラム教徒へなりたいと考えました。
    イスラム教徒との結婚は、イスラム教徒になる儀式でもあります。
    必ずイスラム教徒と結婚する時は、相手もイスラム教徒である必要があるからです。
    結婚すれば、元旦やお葬式にも行けなくなるでしょう。先に神の元へ戻ったからと考えれば私は満足です。
    イスラム教を布教する気はさらさらありません。
    ただ、このように宗教を生活に反映させて生きる人々がいることを少しだけ知っていただけたら嬉しいです。
    重ね重ねごめんなさい、
    私は罪の意識にだけ不安なのです。
    きっと、これが伝わるのは世界中でもごく僅かだと思います。
    (続く)

      補足日時:2016/08/18 15:31
  • それでも、私はこの1つの問題だけを心配しているんです。
    長くなってしまいましたが、結論を申しますと
    私はイスラム教になりたいが故に不安が残っている。
    その不安を取り除くためにはどうしたらよいか、先人の知恵を知りたい。
    です。

    仏教を辞める事は、私は無宗教に近いために余り抵抗はありません。
    お盆や元旦がない日々を過ごす事は何ひとつ私を苦しめるものではありませんから。
    仏教は素敵だと思います。
    ただ私にとっては変えても良いかもしれないと感じる宗教が別にあると知っただけです。日本ではあまり受け入れられないのかもしれませんね✩°。
    pikopa様からいただいた言葉にも、もう1度考えるという工程を踏めてより一層力となりました。
    ありがとうございました!
    またの意見をおまちしております(*ˊ˘ˋ*)♪

      補足日時:2016/08/18 15:38
  • 訂正、イスラム教になりたい→イスラム教を信仰したい

      補足日時:2016/08/18 15:39

A 回答 (5件)

№3です。



>神に生贄を捧げるために愛する息子を殺すというお話が旧約聖書に出てきますが、似たようなお話は旧約聖書の至る所にあります。

と書きましたが、何故、旧約聖書の話をするかをご説明せずにお話したので、怪訝に思われたかも知れません。

系譜で書いたとおり、ユダヤ教→キリスト教→イスラム教の順に派生して行きますが、最初のユダヤ教の聖典が旧約聖書で、キリスト教もイスラム教も旧約聖書を引き継いでいる(少なくとも、拒絶はしていない筈だ)と思うからです。
この点は、イスラム教の彼氏にもお尋ねになって欲しいと思います。
私の思い違いがあるといけませんから。

それから、貴女は、
>私は罪の意識にだけ不安なのです。
と書いておられますが、一神教は「罪」というものに非常にこだわり、それに対して地獄や煉獄などの厳しい「罰」が神から与えられると考えます。
罪も罰も何だか客観的な存在物として存在するような言い方です。

ここから先は、私個人の感想ですが;
私も昔、若い頃、キリスト教に入り30年ほど信者でいて、その頃は罪や罰、地獄や煉獄などを、言葉通り、文字どおり、真剣に信じていました。
しかし、歳が経つにつれ、どうもシックリせず、最近は止めてしまって、仏教(一神教の言う造物主としての神は前提にしていません)を研究したり、世界の成り立ちに関する物理学(量子力学、宇宙物理学)を勉強したりしている内に、大宇宙にはその背後にやはり人智を超えた偉大な力が存在しているように思うが、どうもそれはキリスト教などが説く神とは違うぞと思えてきて、また、宇宙の成り立ちなどを勉強すればするほど、この世界は偉大で美しく大らかであり、キリスト教やユダヤ教、イスラム教などの一神教が言うような、そんな、せせこましい、ちっぽけな世界ではなく、罪とか罰とか地獄と言うものも、客観的な存在物としてあるのではなく、人間が人間の良心に反した時に感じる自責の念・良心の呵責なのではないか、また、大宇宙の大らかさを考えると、地獄なんかはなくて、もしあるとすれば、皆が天国に行くのではないかとさえ、思えて来るので、キリスト教などが力説する罪とか罰は、少し、幼稚な考えではないかと思っています。
でも、この考えが当たっているかどうかは分かりませんが、・・・。
余計な蛇足でしたね。
失礼致しました。
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この回答へのお礼

引き続きありがとうございます!
そのお話は聞いたことがあります。
とある家族は、悪いことに当たる駆け落ちをした娘夫婦を神に逆らったとして殺したそうです。
しかし、今はそこまでではなくなったと聞きました。
昔は何10人もの人が処刑台で殺されていたけれど、今では年に12人くらいへと変わったそうです。
日本では年に60人もの人々が処刑されているので、その点ではまだ治安は落ち着いているような気がいたします。それもそのはず、目の前での処刑が行われているから仕方がありませんね…。

罪に対してはどうしても不思議なくらい重いなぁと感じる事は多々です。やはりtoto77japa様の仰る通り日本の視点からすると厳しいと感じる事は事実です。徐々に慣れていけるように…とは思っていますが、悪いこととされることをしないことが1番の理解からの行動への1歩となるような気がいたします。心配してくださっていること、ありがとうございます。

キリスト教を信仰していた、という体験談は深く突き刺さります。
私は生物の進化について考えました。すると、輪廻転生の考え方に繋がってしまうのです。1人の人が世界を揺るがす大きなことをすれば、その方は輪廻転生から外れてまた長い時をかけて何度も繰り返し繰り返し生と死を行き来し、そのくり返しはどこで止まることもなくそこで生まれ大きな偉業を成し遂げては長い時をかけて変化してゆく…と。
わかりにくいかもしれません、人が神などに近づくという言い方若しくは人が1番にはやく進化をすることでその死はまた長い時をかけて次へと進化をし直す…という、文がまとまりません。ごめんなさい!
勉強をするのが好きなイスラム教だったりあなたのようにキリスト教から仏教へ改宗することだったり、何が自分に合った宗教か見つけられているようで素敵だなと感じます。
私は仏教で過ごした時間が長いからこそ、一神教を信仰したいと思います。
罪については、クルアーンを読むことで理解が深まるかも知れません。
仏教を信仰する事は、多神教であることで様々な見方が出来る素晴らしい世界の視野をもつことだと思います。
私は長い時を仏教徒として過ごしたので、その視野を利用してこれから一生に向けてイスラム教を信仰していくかもしれません。

その時はきっと、新しい人生の始まりでありそこに終わることを覚悟して進むのだと私は思います。

お礼日時:2016/08/18 20:05

イスラム教の戒律とか教えは資本主義の世の中には結構違和感がありますね。


機会があれば一度サウジアラビアへ旅をして、彼らの生活をご覧になったらいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

そうですね(*ˊ˘ˋ*)♪
必ず行っておこうと思います!

お礼日時:2016/08/18 19:32

№2です。


お礼のお言葉恐縮です。

一神教について、厳しいことを書きましたが、それでも柔らかめに書いたつもりでした。

実は、一神教は、「自分の宗教、自分の神だけが唯一絶対に正しくて、他の宗教は皆邪教だ」と考えています。

また、神が唯一絶対で、人間は皆、神に絶対服従しなければなりません。

夫婦の愛や親子の愛も、神の前には、何の値打ちもありません。
神の方が重要視されます。
神に生贄を捧げるために愛する息子を殺すというお話が旧約聖書に出てきますが、似たようなお話は旧約聖書の至る所にあります。

神の命令で、ある民族一族を皆殺しにする、というお話も出ています。
そして、その殺戮は、神の命令であるから、という理由で正当化されます。
神が絶対だからです。
現代にも、同じ様な論理で、他民族の圧迫や殺戮が正当化されているのも、一神教の論理の必然的帰結なのだと思います。

日本人が考えているような、人間のための神ではなく、神のための人間、というか、神は人間なんか居ても居なくても構わないのです。
そして、神に背くと地獄が待っている、という訳です。

新約聖書にこんなお話があります。
ある土器が、それを作った土器師に対し「何で自分をこんな風に創ったのか?もっと、ちがう風に作ってくれたら良かったのに!」と文句を言う場面があり、それに対して、土器師は「私が土器をどう作ろうと、私の勝手だ。お前に文句を言われる筋合いはない」と怒鳴りつけます。そして、続けて、神と人間の関係は土器を作る土器師と作られた土器の関係と同じだ、作られた者が作った者にたいして、文句を言うことはできない、と延べています。
一神教の神とは、そういうものです。

結婚のためにイスラム教に改宗することを考えている人に、あまり厳しいことを言うのは如何がとも思いますが、本当の所をキチンと知った上で、改宗を考えられる必要があろうかと思い、あえて、厳しい事を書きました。
イスラム教徒の彼に、私が書いたことが本当かどうか、お尋ねになると良いと思います。

勿論、聖書やコーランには、とても良い事も沢山書いてありますが、一神教の本質は上に述べたような所が基本になっている事は知っておく必要があると思います。

それらを良くわきまえた上で、ご決断されるのが良いと思います。

失礼致しました。
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イスラム教徒にとっては、結婚する相手はイスラム教徒でなくてはいけないと聞きますので、結婚するにはイスラム教に改宗する必要があると思います。



しかし、イスラム教はキリスト教やユダヤ教と同じ一神教で、一神教は、宗教的に極めて排他的で、他の宗教を許容していない筈です。(系譜的に言うと、ユダヤ教→キリスト教→イスラム教の順に派生しています。)

仏教は他の宗教も認めており、我々日本人はそれに慣れているために、あまりにも厳しい一神教にはついて行けない思いをする事があると思います。

ある意味、宗教は心の問題です。
貴女の心は完全にイスラム教になり切れますか?
後になって悩むことがないと良いですけど、・・・。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
そうですね、実際にそうすると思います。

確かに一神教は強い思いがあり、そこを上手く乗り越えていこうと今情報を集めています。
派生順ありがとうございます!順番を知らなかったので助かりました✩
ついていけない…と感じたとしてもきっと愛していれば乗り越えられます。私はそう強く感じます。
心の問題、そのとおりです。
今知ることでなりきるために頑張ろう!としている所ではありますが、ネックとなるのはそこですね。
彼からイスラム教になるなら本気で取り組んで欲しいという気持ちがあるんだと聞きました。
最初はこのような強い真っ直ぐな意思に驚きましたし反対意見も自分自身でありましたが、今では知りたいと思うようになりました。
愛は何より強いと思います。
そしてtot77japa様の言葉にも、もう1度考える機会を頂けましたこと感謝いたします!
ありがとうございました!

お礼日時:2016/08/18 16:25

すみませんが、記事が気になりコメントしました。


改宗って、あなたは仏教国の日本人であるだけで、信仰心ないんじゃないでしょうか?
結婚のために、イスラム教にならなきゃいけないというのが、ちょっと引っかかります。
無宗教でいいのではないかといういみです。
日本の家族は今と変わらず仏教のままです。
それでもいいのですか?葬儀などがあったら、どうするの?

ですから、なんか違うとおもうのです。
世の中には国際結婚をしている人がたくさんいます。
その人たちがどうしてるとおもいますか?
双方の国のやり方に、その都度合わせて対応するんです。
彼が、日本での家族の葬儀について、数珠をもち祈ることができますか?
それが、日本の仏教の礼儀です。

ですから、あなたはそのままで、結婚式がイスラム教スタイルということに
なるにとどめることでいいと思います。

イスラムに嫁に行き、もう帰ってこないというなら国民として
そうなるのかもしれない。でも違うとおもうんですけど。
この回答への補足あり
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