dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

介護職の者です。私の勤める事業所で緊急時の連絡体制についてマニュアルとフローチャートを作成しています。今回私が疑問を感じたのは、このフローチャートの内容についてです。

 まず、利用・入所者(以下、利用者)に緊急事態が発生します。緊急事態とは、速やかに対処しなければ、後遺症や、生命の危険を生じかねない事態です。
 発生した事態に緊急性があろうとなかろうと、当該の介護職は事態発覚後、まず管理者に連絡することになっています。そこで緊急性があると判断されれば、救急搬送や主治医、看護事業所へ連絡などの対処をとることになります。ご家族等にはその後に連絡します。
 また、利用者の中には救急搬送を望まない方もあり、そういう場合は、主治医、看護、ご家族等に連絡して臨機に対処します。
 私が疑問を感じているのは次の2点です。

疑問①
 緊急事態が発生して、管理者に連絡を取り、管理者が緊急性の有無を判断、その後関係機関に連絡を取ります。これにかかる時間がおおよそ10分から15分だそうです。たとえば管理者と連絡が取れず他に連絡し直すとか、あるいは主治医に連絡したもののつながらないとか、連絡網がスムーズに機能しなかった場合は、さらに時間を要します。
 はたしてそれで緊急時の対応と言えるのでしょうか?
 心停止や、呼吸停止、大量出血のような一分一秒を争うような事態であった場合、この態勢では迅速に機能するように思えません。

疑問②
 主治医や看護事業所が緊急時に真っ先に対応した場合、緊急時対応加算という付加金が給付されます。確か5000円前後だったと思います(定かではありません)。
 そのため、我々介護事業所は医師や看護師から、緊急時には救急搬送する前に必ず先に連絡をするようにと指示されることがあります。うっかり直接救急に連絡などすると、ひどく叱責されることもあります。
 そうは言っても、医師・看護師と連絡が取れなかったり、遠方にいるなど、早急に対応できない場合もあります。それがもとで生命を危険にさらす、生命を失う、ということもあり得ます。

 また、救急搬送を望まない利用者に対しても問題があります。心停止、呼吸困難、大量出血、その他重篤な症状に利用者が置かれた状況で、生命維持のための手段を何も打たず(打てず)、手をこまぬいていたということになれば、万が一の時に責任問題になりはしないのでしょうか。

 このまま放置すれば死に至ることは明らかであるにもかかわらず、医師・看護師に止められていたから、あるいはご本人が望まないからという理由で(故意に)救急搬送をしなかった、そしてそのために利用者が生命を失ったという場合、当該の介護職員はいわゆる「未必の故意」に問われないのでしょうか? 事業所としても社会的批判にさらされるのではないでしょうか?

 現在、私の事業所では、マニュアルもフローチャートも「案」という形で残しつつ、議論は頓挫しています。利用者や関係機関とのバランスを図りながら「上手に」やろうとすればするほど、対処能力が落ちていく矛盾とジレンマに立たされています。

 こういうことに詳しい方、同業他業問いません。どのような対処方法が現実に即し、かつ迅速に対処できるのでしょうか。
 ヒントでも良いので教えてください。

【追記】
 現実的には、目の前に瀕死の人が倒れていたら、救急搬送してしまう(たとえ止められていても)ケースが多いように思うのです。周囲に別の人がいれば、その人が救急要請をするでしょう。
 しかし、当事業所には高校を出たばかりの無垢な新人職員がいます。彼ら彼女らは、「こうしなさい」と言われれば素直にその通りにします。マニュアルの文言に囚われ臨機応変が期待できないこともあります。そういうレベルの者にどのように指導をしていけばよいのか、非常に悩むところです。

宜しくお願いいたします。

A 回答 (2件)

本当に難しい話ですよね。


近くにも居ましたよ。救急車は呼ばないと約束した筈なのに!
そう言って怒っていた人が居ました。
ダケド 無理ですよ。苦しんでいる人を目の前にして 救助の手を差し出さずに
じっとしている事なんてできないよ。
もしかしたら命が危ないかもしれない。直感で分かるじゃない。
そんな時に 救急車呼んではダメって実際には有り得ないよね。
保護責任はどおなるのって話。
しかもさ、、、医者も言うじゃない。
最後はどおしますか?って延命しますか?って
家族は答えますよね。延命措置はしなくてもいいですって。
だけど 必ず念押しして念書書かされるじゃない。
医者 言ってました。その瞬間になるといきなり延命措置をしてくれと
言い出す人が多いって。でも無理です。スグに対応は出来ないので
よく考えて結論を出してくださいって。
そもそも
命に関わる事を医者でもないのに請合う事が間違っていると
私は常々思います。
何かあったらまずは救急車は呼びます。
どおして決めてしまわないのでしょうか。
全ては其処からのスタートでよいのでは?
後は ご家族と医者との話で決めるべきです。
中途半端に相手に尋ねるから呼ばなくていいですなんて言わせてしまうのです。
ここは病院ではありません。
緊急時は緊急時としてまず救急車の手配をいたします。
その後 しかるべき人へ連絡を入れて対応いたします。
そう決めてしまうのは そんなに難しい事なのでしょうか。
看護師より遥かに安いお給料で 人の命を預かる事なんてできますか?
呼ばなくていいといったから呼びません。それで亡くなっても知りません。
そんな風に頭では理解しても その場に直面してしまった介護士さんは
一生 十字架を背負う事になってしまうんです。
看護師のように命を預かるという事を宿命として職業を選んだ人間ではないのです。
生きる為にお手伝いをする事を前提として介護士は存在しているのではないのでしょうか。
生きる為に ともに歩いている人間が
生死をさまよう姿を直視しながら凝固してしまうような環境は
やはり あってはならないと思います。
色んなしがらみや行政の拘束で雁字搦めになっている部分を
山ほど抱えながらのお勤め 心から尊敬致します。
なんとか妥協案を見つけてお勤めできますように。
    • good
    • 0

業種を問わず、マニュアルとは言うまでもなく「組織など多数の構成員をなす中で、それぞれの状況に即しての対応を標準化、統一化するためのもの」ですが、言い換えれば「基本的には」といったものであって、そこに「…場合もある」を言い始めればキリがありません。



臨機応変とマニュアルはある意味では相反します。
が、臨機応変は基礎となる知識や経験がなければ、マニュアルが身についていた上でなければ成立しません。
マニュアルが先にあり、浸透したうえで、その延長線上に臨機応変があるものかと思いますが?

基本的手順、原則も頭にない臨機応変はただの「思いつき、でたらめ」です。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!