こんにちは。「忠臣蔵」についていくつか質問をさせていただきます。全部にお答えいただかなくとも結構です。また、現在放映中のドラマには限りません。
1.
脇坂淡路守ですが、浅野が吉良を切りつけた後、自分の家紋をわざと汚し吉良を「無礼者」と罵ります。その際吉良は詫びていますが、吉良の方が地位は上ですよね?なぜ吉良は詫びているのでしょうか。パニックを利用しただけなのでしょうか。
2.
色々な資料を見ていると、忠臣蔵では悪役とされる吉良ですが、名君とも呼ばれているという表現を見ました。具体的にどのように名君だったのか知りたいのですが、エピソードやそれを紹介しているページなどはあるでしょうか。
3.
これは忠臣蔵に限りませんが、当時の1両(小判1枚)は現在の価値に直すとどれくらいの金額なのでしょうか。
4.
私個人の感想なのですが、今ドラマ放映中の「忠臣蔵」はあまりに演技臭く、感情移入できず正直面白いとは思いません(見るのを止めました)。
ですが、番組公式サイトのBBSには良い評価のコメントがずらり(事前に管理者が選別しているので当然ですが)、他のサイトでも大抵そのようです。
私の周りでは私と同意見の方が多いのですが、実際どう思われますか?これは個人的な感想ですので賛否両論、実際に他の忠臣蔵を見たり読んだりされた方の感想をお聞きしたいです。
長文失礼致しました。
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
脇坂淡路守のエピソードは古くから講談などで読まれてきた有名な話ですが、虚構です。
しかし江戸時代の武士ならばかくもあろうか、というリアリティを持っているよくできた逸話ではあります。まず吉良と脇坂、浅野の身分関係ですが、たしかに朝廷からもらう官位は脇坂・浅野よりずっと吉良が格上であるものの、石高(給料)については吉良は脇坂・浅野の十分の一以下、悪くすると大石内蔵助のような家老職に毛の生えた程度しかもらっていません。吉良は大名ではなく高家という特別な立場(旗本の一種)で、これはもともと名門マニアだった家康が「大名にしてたくさん石高を持たせるほどの人間ではないけれど、名門の家がなくなるのはさみしい」と考えて、足利幕府にゆかりのある連中を取立てたのが起源です、いわば生きて子供を作るのが職業みたいな連中ですが、それだけではもったいないということで、後になって「名門貴族だから礼儀作法には詳しかろう。朝廷との交渉や儀式係として働かせよう」ということになったのです。
大名・旗本の格、身分の上下というのはじつにむつかしくて、ふつう旗本や譜代大名、つまり徳川家の身内が石高が低いのに官位がわりと高いのに比べて、外様大名(脇坂・浅野もこれ)は逆になっていることが多いのです。吉良はそれが極端で、また脇坂・浅野は外様の割に石高が低いほうなのですが、やはりこうした一般的な特徴にあてはめることができます。これは家康の巧妙な大名政策によるもので、「官位」と「石高」を両方持っていると幕府内に勢力を扶植して反乱をおこすかもしれないから、どちらか一方しか与えずにおこう、という考えに基づいています。
そのため、石高の低い連中は「官位はおれのほうが上だし、将軍家の直参だ」という誇りがあり、官位の低い連中は「石高で比べたら旗本や譜代なんかずっと下じゃないか」という意識がある。そういうねじれた現象があるために、身分はどっちがしたともはっきりきめられず、大名が相互に憎しみあう制度になっているのです。そうやって、大名間を分断し、一致協力して徳川家を倒さないようにするのが真のねらいなのです。
脇坂・浅野と吉良の関係にしてもこれと同様。石高という基準で見るか、官位という基準で見るかでまったく逆になり、お互い自分に有利なほうを内心の基準にして相手を見下しています。ですから亢奮してくるとふだんは隠している「自分の(有利な)基準」が頭をもたげてくるわけです。
また、武士にとって紋を汚されるというのは大変な侮辱です。今なら国旗を足で踏まれたという感じでしょうか。江戸時代の人、特に武士は、先祖代々の家柄で生きています。彼らが今こうやって大名でいられるのは、大昔に戦場で戦ったご先祖さまがいるから。そしてその象徴が代々受継がれる家紋なのです。ですから家紋を汚されるというのは、自分だけではなく、自分の家系全体を侮蔑されることを意味し、武士にとってはこれ以上ない恥辱ということになります。
そして、こういう致命的な恥辱を受けて、それを我慢するということは武士として恥ずべきことだとされます。ここらへんはヤクザのメンツというやつとまったくかわらない。バカにされてだまっていては、男がすたる、人から軽んじられる、と考えるわけです。臆病で命がおしいから我慢しているととられる。
そこで、やられたほうとしてなんとしても自分の立場が立つようなオトシマイを相手につけさせなければならない。相手が頑強にあやまらないなら、切腹覚悟で刀を抜いてでも決着をつけるしかない。自分ひとりの恥辱なら我慢して我慢できないこともないのですが、これは自分の家系全体の問題であり、自分が一族と祖先を代表しているのだという意識がありますから引くに引けないのです。
そしてこういう場合、日ごろの身分などは忘れて自分の恥辱をはらすのが武士らしいやりかたとふつうは考えられます。たしかに身分差はたいせつなものですが、しかしそれでも許されない一線があって、そこを相手が越えてきたときは充分に反撃してもかまわない、と武士社会のなかで暗黙の了解がある。むろんその結果、反撃した人間に罰が下されるのは当然なのですが、しかしそれとは別の名誉とか倫理問題として、反撃した人間はふつう「家門の名誉をまもった」と賞賛されます。すくなくとも、江戸時代の武士というのはそういう建前になっている。
脇坂淡路守のエピソードは、要するにそういう建前を利用して、浅野に援護射撃をしてあげたということなのです。吉良としてはその場で殺されても文句をいえないような無礼をはたらいたのですから、叱りつけられただけで解放してもらえたのはむしろ幸運だったともいえましょう。
ちなみに『首提灯』という落語では、温厚な武士がよっぱらいにからまれ、紋付の紋に痰を吐かれて、激昂して相手を無礼打ちにしてしまいます。理屈は同じです。
金銭換算は、なにしろ江戸時代というのは長い時代で300年ちかくあったわけですから、そのなかでも相場がどんどん変ってきます。また、米の値段による換算については、農業の変化によって戦前と戦後ではまったく米価が変ってしまったこともあって、米価だけでの換算は危険であるというのが通説です。
だいたい江戸時代にかぎらずむかしは手工業品の値段が安く(人件費が安い)、食べものの値段が高い(食料が充分流通しない)というのが通り相場ですが、そこらあたりも含めて大雑把に言うと、元禄時代の一両は10~8万円程度が「実感」としての価値だったと言われています(時代が下るともっと安くなる)。
ちなみに元禄時代は空前の好況で、インフレが起こっていましたので、お金の価値が低く、物の値段が高くなっています。ですから10~8万円といっても、今の感覚ではなくてバブル当時の感覚でとらえたほうが正確かもしれません。
ちなみのちなみに、江戸時代の賄賂(交際費? つけとどけ?)の相場は、ふつう大名どうしで大判五~十枚だそうです。大判一枚が(時代にもよりますが)小判十枚から二十枚相当ぐらいだったので、40~200万円でしょうか。浅野さんもそれくらいケチらなければよかったのに……。
ご回答ありがとうございます。
多数ご回答いただきありがとうございます。おかげ様で時代背景までよく理解でき、ますます興味を持つようになりました。
No.7
- 回答日時:
数年前に、吉良上野介に興味があり、その時調べたことを書きます。
1.黄金堤
次男三郎(長男は上杉家に養子に出ている)が、わずか8歳で死亡。吉良上野介は三郎の供養と知行地の領民ために私財を投じて完成させたのが黄金堤です。当時、そこは常時、洪水を起こし水路もそのたびごとに変わるという泥沼地帯でした。吉良は住民たちを総動員して工事を完成させました。伝説では、一夜で完成したと言われています。
ただ、この工事で川の上流側にある西尾藩は、下流に堤防が築かれると溢れた水がはけ口をもとめて、西尾藩側にあふれ、水害が酷くなると言い、この工事に難色を示しました。吉良は交渉し、了解を取り付けて工事を始めるのですが、吉良を悪く言う人は、権威を笠にきて吉良がごり押しをしたとも言われています。
この築堤により、秋の収穫は安定し、二毛作が出来るようになり、稲穂の波が黄金色に輝くことから堤を黄金堤と呼ぶようになったと伝えられてます。
2.富好新田
吉良の妻である富子が、眼を病み始めて、その病気はかなり重く、名医にかかったのですが一向に良くなりませんでした。ある夜、吉良は夢を見ました。それは美しい童女が枕元に立ち、その啓示に従って身延山に参詣したところ眼病は治り、その感謝の気持ちから新田開発を思い立ったと言われています。このため、この新田は富好新田と呼ばれています。新田開発は一時放棄されたこともありましたが、足かけ10年かかって完了しました。90ヘクタールほどの新田開発の工事費や人員がどれほど要したかは記録がなく詳細は不明である。ただ、長男の養子先である上杉家が算出したとよく言われています。
3.饗庭塩
吉良のの塩は、もともと農民が片手間に製塩をしていたと言われている。元禄時代の経済発展の波にのり、地の利を生かした製塩によって吉良の経済を豊かにしようとし、最先端の製塩技術をもとめました。当時の新しい製塩技術である浜式塩田技法で、播州赤穂を中心とする瀬戸内海沿岸で発達しました。吉良はこの新しい技術を教えて欲しいと赤穂藩に言ったが、技術を秘密にして教えてくれなかった。そこで、製法を盗もうとしたが、発見されて密かに殺された。そのため、吉良上野介は浅野内匠頭を恨み、浅野内匠頭も吉良上野介を恨んでいたという伝説があります。この伝説は、嘘らしく浅野家は製塩技術を秘密にしていなく、求められれば積極的に教えていたそうです。しかし、近年の研究で、塩田があった領地は上総大多喜藩領であったようで、吉良氏の年貢記録にも塩田のあった形跡が見られないようで、塩の話しは伝説のようである。
以上、3つがよく言われている吉良の善政です。
他に色々あるようですが、長くなるので割愛します。
ちなみに、浅野内匠頭について、「土芥寇讎記」という本があります。この本は、大名の家族・系譜・略歴・行跡などが調査結果や批評が載っている本です。作者不明で、元禄4年に脱稿しているようです。一般的には奇書と呼ばれていますが。
この本で浅野内匠頭について、次のように書かれています。以下意訳
「浅野内匠頭、女色を好み、へつらい者が色よい婦人を捜し求め出し、出世している。浅野内匠頭は昼夜閨門に入り浸り、政治は家老に任せっきりである。文武の沙汰もなく、ただ女色にふけるっている。淫乱無道で、傾国家滅の瑞相ある。」と。
では、長々とすみませんでした。
No.5
- 回答日時:
小判の価値ですが下記記載のHP『日本銀行金融研究所貨幣博物館』「お金に関するQ&A」によると一両は米価の比較では江戸初期で10万円、中~後期で3~5万円、幕末頃には3~4千円ぐらいだそうです。
しかし賃金で比較すると江戸中期で30~40万円に相当するようです。参考URL:http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_faq.h …
No.4
- 回答日時:
ドラマは見ていませんし、この時代に特に詳しいわけでもないので、かなり自信なしですが。
1.史実として松の廊下でこのようなやり取りがあったかどうかは分かりません。ただドラマ
として見るなら、忠臣蔵は基本的に浅野寄りですので、吉良上野介のかっこ悪いシーンを
入れるのは視聴者の受けを狙える効果があるのでしょう。(ちょっと偏見あり)
2.これはNo.1さんが回答されている通りです。内政を充実させ、塩田開発や農産高の向上に
努めた殿様のようです。
3.江戸時代といっても260年も続いているし、後期はインフレも進んだので一概には言え
ないでしょうが、昔私が読んだ本には1両で米1石が買えると書いてありました(記憶力
には自信ありません)。1石=10斗=100升=1000合=約150kgとなりますが、5kg
2500円とするなら(これ、10年位前に下宿していた頃の話なので今の値段は知りませ
ん)、1両は7.5万円という計算になりますね。江戸の中流町民の年収は30両くらいと
前出本には書いていましたが、とすると彼らの年収は225万円?今の日本人の平均年収
から比べると少ない気もしますが、当時は町人には所得税も住民税も、もちろん消費税も
ありませんでしたし、娯楽もそうそうなかったでしょうし、最近の若者(私も一応そうですよ)
と違って外食も少なかったでしょうし、物価も十分安かったでしょうから、意外に暮らして
いけたのかもしれません。
4.誤解を恐れずに言えば、忠臣蔵は「落語」のようなものです。落語は話の筋もオチもよく
知られていますが、それでも聴いている人を十分楽しませてくれますよね。忠臣蔵も一緒
で、昨年見たものとは違うつくりになっているので、少々できが悪くても(失礼!)それなり
に楽しめるのでしょう。
もっとも、浅野贔屓の忠臣蔵は私にとっては面白くも何ともないので、この事件の顛末は
もっぱら本で楽しむことにしていますが。
ご回答ありがとうございます。
そうですね、江戸時代は長いですし一概に価値は言えませんね。ただどの時代劇を見ても小判がやたら高価に見えるもので疑問を持ちました。
No.3
- 回答日時:
数年前の大河ドラマ「元禄繚乱」では、吉良が浅野をいじめない史実に近いものでした。
いまさら、仮名手本忠臣蔵というフィクションベースの忠臣蔵ドラマをやってもという気がして、今回のは私も見ておりません。フィクションなのであまり気にしてもしょうがないと思います。でも世の中には吉良=悪人を史実と勘違いしている人も多いんですよね。
「忠臣蔵元禄十五年の反逆」井沢元彦
「四十七人の刺客」池宮 彰一郎
「元禄繚乱」中島 丈博
「元禄繚乱」NHK大河ドラマ・ストーリー
あたりが面白いと思います。
ご回答ありがとうございます。
いくつも作品を挙げていただきありがとうございます。ぜひ参考にさせていただこうと思います。私はフィクションもノンフィクションも興味をそそる内容であれば楽しもうと思います。ただ、やはりノンフィクションの内容をしっかりと知ってはおきたいと思います。
No.2
- 回答日時:
はじめまして。
現在も親しまれている「忠臣蔵」は1748年に初上演された浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」を原案としていると聞いたことがあります。つまり事件を題材にして46年後に書かれたフィクションということになります。タイタニック号の沈没事件を題材にしたフィクション映画と似たようなものです。そんなわけで「忠臣蔵」は、観客に受けのいいお約束シーンがたくさん作られています。私は今放映中のドラマを一話だけ見ましたが、そのお約束シーンが丁寧に描かれているように感じました。忠臣蔵が好きな人の期待を裏切らない脚本づくりをしているのかもしれません。
ご回答ありがとうございます。
「仮名手本忠臣蔵」についてもいくつか記述をみました。今まで放映されていた映画やドラマはそれなりに楽しめたのですが今放映中のドラマにはどうも感情移入できないのはなぜでしょう...中にはすごく上手な演技をされて光る方もいらっしゃるにはいらっしゃったのですが残念です。
No.1
- 回答日時:
忠臣蔵についてあまり知りませんが、最近読んだ本(清水義範著「もっとどうころんでも社会」)のなかに忠臣蔵の吉良上野介についての記述があったので少し説明します。
2について。
自分の領地(愛知県吉良町)の干拓事業(現在名は富好新田)、堤防を築く(黄金堤)などです。。
これが多いかどうかは分かりませんが、現地では「赤馬のお殿様」と今でも親しまれているようです。
赤馬とは駄馬のことで、あまり高級でない馬に乗って気軽にやってきては民の困っていると堤や新田の事を手配された、ということです。
他の項目についてはしりません。すみません。。
参考になればと思います。
ご回答ありがとうございます。
ほぼ同じ内容のテレビを見て吉良についても少し興味を持つようになりました。今の忠臣蔵がもちろん史実とかけ離れた娯楽であるのは知ってはいたのですが非常に以外でした。
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