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イスラムの原義は、日本語では服従と訳されます。
絶対神を信じ、その教えに従って生きる。

仏教では仏の教えを信じ、すべてを仏の御手に預けて生きる。

これは、信じる対象は違うけれど、心の持ちよう、宗教的生き方としては同じではないか、と思ったのですが、どうでしょうか。

詳しい方、教えてください。

(私はどちらの信者でもありません。解釈として関心があるだけです)

A 回答 (1件)

宗教とは「何かを信じる」ことであり、その結果として救いを得るものです。


その意味で仏教もキリスト教も、イスラム教も、本質的な違いはありません。

あとは手段の違いです。

イスラムやキリスト教のような一神教は完全無欠の存在を設定し、
その教えに従うことで救いを得ようとします。

仏教の場合事情が複雑です。
分派がたくさんあるからです。(これは「縁起」という仏教の教義の根本原理そのものに原因がある)

大乗仏教についてはあなたの言うとおりです。

原始仏教や上座部仏教だと違います。
仏の教えとは「この世の真理」そのものです。
別に大いなる力があるわけでなく、この世の仕組みのことです。
たとえば「諸行無常」。
「この世にあるものはすべて移り変わっていく」
きわめて当たり前のことです。
「当たり前なのだから誰も逃れられない。
 生老病死から逃れようとするのは無意味なことである。
 愛別離苦、求不得苦、怨憎会苦、五陰盛苦、から逃れようとするのも無駄な行為である。
 だからそれらのものを受け入れる努力をせよ。
 それが涅槃寂静への道である。」
これが信ずべきことです。
そしてブッダは「自分の教えを刻め」とは言いませんでした。
ブッダの死期が近いことを知って嘆き悲しむ弟子に向かって言ったことは
「これからは自分(弟子自身のこと)を拠り所とせよ。そして法(この世の真理)を拠り所とせよ」
です。
ブッダ自身は、他の者より少し道の先を行く「導師」でしかなかったのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

子供の頃、近所のお寺で「自ら仏に帰依し奉る。正に願わくば衆生と共に・・」という言葉を何度も聞き、記憶に残りました。
大乗仏教だから「仏に帰依し、衆生と共に」なのですね。

原始仏教や上座部仏教のことはあまり知りませんが、
「ブッダ自身は、他の者より少し道の先を行く「導師」」、という考え方にはとても興味を感じます。

お礼が遅くなり、申し訳ございません。

お礼日時:2018/11/06 12:14

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