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清の最盛期は長く、康熙・雍正・乾隆帝の全盛期は130年以上に及び、モンゴル帝国に次ぐ広大な領土を支配しました。
日本ではちょうど江戸時代にあたりますが、その当時の日本が清を恐れていたような記録はなく、清も日本を侵攻しようとは考えなかったようです。

意図していたわけではないと思いますが、相互不可侵の紳士協定が結ばれていたような感じです。
あれだけ領土拡大意欲の強かった清が、日本に対しては一切手を出さず、朝貢を求めるような素振りもなかったのはなぜでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 江戸時代の日本は貧しくはないです。
    その頃の日本がどれだけ金銀を産出していたのか知らないのですか?

    江戸や京の豊かさに驚いたという外国人の記録もあります。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/08 22:46
  • 食料が質素というだけでしょ。肉や乳を食べる習慣がないと背が伸びないけど、だからといって貧しいことにはならない。食習慣の問題なので。

    都市は瓦屋根の家が建ち並び、清潔で、これで貧しかったとは言えない。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/08 23:35
  • >江戸時代の日本人の身長を、同時代の欧米人と比較しているのでは、ないのです。
    → 貧しさの根拠に身長を挙げていますが、そもそも身長と裕福さには相関関係があるのでしょうか?
      過去と比べて身長が低いから江戸時代は貧しかったと言う珍説は、貴方しか言ってません。

    >日本を肯定する結論が先にあって、その結論に結びつけるために、あれこれ強引に理屈を並べているような印象を受けます。
    → 江戸時代の日本が世界の中でも貧しかったという、誰も同意していない結論を強引に並べているのは貴方ですし、貧しかったから中国が日本を攻めなかったという理屈も変です。ツッコミどころ満載なのです。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/09 07:48
  • フィリピンはスペインの植民地であったため、簡単に攻め込めなかったからです。
    豊臣秀吉が日本を統一した時には既にスペイン領であり、そうでなければ侵攻した可能性も高いです。

    まあ、フィリピンを攻めるなら、その前に琉球と台湾でしょうし、家康は実際に台湾を侵攻しています。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/11 20:38
  • >平均身長や、女性の平均的な初潮開始年齢、女性の平均的な胸の大きさなど、栄養事情と相関があります。
    → 近代以前は、栄養状態はその土地が生み出せる食料の量とその土地に住む人口の比率で決まりました。飢饉に関して見れば、中国も日本に劣らず発生しており、日本が貧しかったとは言えません。

    >日本は侵略する費用対効果の無い、貧しい国だったと言っているのです。
    → 清が征服したジュンガル、チベット、ウイグルは不毛の乾燥地帯で、肥沃な日本より豊かではありません。

    人口も多く、文化が花開いていた江戸時代の日本があなたの言われるように貧しい国のはずありません。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/11 20:51
  • >飢饉が発生したから貧しかったと言ってるんじゃないのよ。
    そんな single issue を言ってるわけじゃないんだけど、理解できてますか?
    → そんなに偉そうなことを言いながら、キミは理由を説明できていないんだよね。

    >モンゴルに端を発する元の文化や文明が、どれだけ高度であったか知ってますか?
    → 質問者に聞く前に、どれだけ高度だったかをまずキミが説明しないとね。

    >あなたの願望を押し付けているだけ。
    → 理由を説明しないのはキミだから、そちらの方が願望だね。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/11 23:27

A 回答 (10件)

小規模な貿易は行われていたようですが、秀吉や倭寇影響か、あまり良い国交関係とは言い難かったようですね。



前王朝の時、倭寇対策が大変だった。
江戸時代になって、おとなしくなったので、あえてちょっかいを出す必要はなかったのでは?

さらに言うと、そのためもあって、清王朝でも海上交通に制限をかけていた。
そして朝貢貿易以外、むしろ鎖国に近い政策だったことも要因の一つではないでしょうか。
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質問のタイトルをじっくり読むと、何か変だなと思えてきます。



「日本侵略を考えなかったのはなぜですか?」と書いていらっしゃいますが、清の皇帝が「侵略を考えなかった」というのは本当でしょうか? 何か信憑性のある資料に基づいた表現ですか? 清の皇帝が侵略を考えたか考えなかったかを断言できる根拠は何なのでしょうか?

私が思うに、清の皇帝は(その立場上)一応侵略も考えたが、利害得失や諸般の条件をあわせ考えた末に実行に移さなかったという可能性もあるのではと思っています。

わずかな言葉尻を巡って、質問者さんと回答者さんの間で何やら感情的にエスカレートしているように見受けられますが、どちらの味方でもなく第三者的な立場から言わせて頂くならば、回答者さんの論旨の方が首肯できる要素が多いかなと感じています。

私は違う立場から回答させて頂きます。

康熙帝と雍正帝に関しては、もしかすると日本への侵略を考えたかもしれませんが、乾隆帝に関しては、世間で言われる「三代目」のお坊ちゃんにありがちな、野心よりも祖父から受け継いだものを堅実に残すことに腐心する生き方のようなものを感じるのです。

では先二代の皇帝の時はどうだったんだと突っ込まれそうですが、多分忙しくてそれどころではなかったのでしょうね。そして、三代目は受け継いだものを守る事に汲々としていたのだと考えます。
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> 飢饉に関して見れば、中国も日本に劣らず発生しており、日本が貧しかったとは言えません。



飢饉が発生したから貧しかったと言ってるんじゃないのよ。
そんな single issue を言ってるわけじゃないんだけど、理解できてますか?


> 清が征服したジュンガル、チベット、ウイグルは不毛の乾燥地帯で、肥沃な日本より豊かではありません。

本気で言ってますか?
モンゴルに端を発する元の文化や文明が、どれだけ高度であったか知ってますか?
あなたが言う不毛の乾燥地帯で、どれだけ多くの家畜が養われ、また交易が行われたか知っていますか?


> 貧しい国のはずありません。

あなたの願望を押し付けているだけ。

上記のあなたのコメントを読んで、あぁ、この人は大して歴史を勉強していない人なんだなという事が、非常に良く分かりました。
あなたは、御自分が歴史を勉強不足である事を、もっと自覚された方が良いと思います。
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日本に生まれたから日本が素晴らしい国のように思い込んでいるのでしょうが、中国からみた日本というのは、日本からみたフィリピンのようなもの、と言えば分かるでしょうか。



日本の戦国時代あるいは江戸時代に、フィリピン侵攻を考えなかったのは何故ですか?という質問のようなものです。
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> 貧しさの根拠に身長を挙げていますが、そもそも身長と裕福さには相関関係があるのでしょうか?



あります。
平均身長や、女性の平均的な初潮開始年齢、女性の平均的な胸の大きさなど、栄養事情と相関があります。
https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2017/04/0401 …

またハワイなどの部族では、太っているイコールそれだけの食べ物を確保できる裕福さの証という文化があります。日本でも和歌山県では、太っている子供を見ると『よー肥えてらいしょー』と褒める習慣があり、十分な食料を子供に食べさせているのだねという親に対する褒め言葉です。


> 過去と比べて身長が低いから江戸時代は貧しかったと言う珍説は、貴方しか言ってません。

身長が低いから貧しいと言っているのではなく
 1. 平均身長の低さ
 2. 文献に記載されている食料事情の悪さ(個人の日記や、何度も続いた飢饉)
 3. 俵物三品くらいしか輸出できなかった事。明治になって殖産興業と励まなければならないほど、輸出品目が無かった事。
そういった観点で、日本は侵略する費用対効果の無い、貧しい国だったと言っているのです。



> 貧しかったから中国が日本を攻めなかったという理屈も変です。

どこが変なのか全く理解できません。侵略と言うのは昔から
  1. 相手国の資産を奪う
  2. 攻撃される前に、攻撃してしまう
どちらかの目的でしか、発生しません。攻撃される恐れもない弱小国家で、奪うほどの資産もない貧しい日本を、侵略する費用対効果など、ありません。
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そもそもですが、中国大陸の人間は


島国にすぎない日本にはあまり興味や
関心が無かったのです。

海を隔てた日本など侵略する余力があれば、隣接する
地続きの国を侵略する方が、効率が良いしメリットが
大きいわけです。

モンゴルが侵略したのは例外です。
時の朝鮮王「忠烈王」が、宋を攻撃したかった
モンゴルを、懸命に説得して、日本を侵略
させたのです。
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> 肉や乳を食べる習慣がないと背が伸びないけど、だからといって貧しいことにはならない。

食習慣の問題なので。

これは違います。

江戸時代の日本人の身長を、同時代の欧米人と比較しているのでは、ないのです。
そうではなくて、江戸時代の日本人の身長が、縄文や弥生を含めたどの時代の日本人の身長よりも低いのです。
肉や乳を食べる習慣が無かったのは、江戸時代の前からです。


> 都市は瓦屋根の家が建ち並び、清潔で、これで貧しかったとは言えない。

日本を肯定する結論が先にあって、その結論に結びつけるために、あれこれ強引に理屈を並べているような印象を受けます。

現代の日本において、北海道の夕張町というのは、冷暖房の整った家屋が並び、清潔で、立派な町並みが広がっていますが、しかし財政が破綻するような貧しい町です。東京の中央区と、北海道の夕張町を比べたら、夕張町は貧しいのです。

中国から見て、日本というのは、侵略する価値も無い貧しい国でした。元寇ですら、大陸を平定して、もてあました、ならず者たちを、送り込んだ程度のものでした。

ただし21世紀において、中国はシーレーンを確保する為に実効支配地域を拡張しようとしており、日本の沖縄は侵略する価値のある地域になりました。
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清国は領土的野心が無い、あるいは国内の統制だけで手一杯だからですね。


隣国でも朝貢さえして危害を加えてこなければそれで良し。
自国の文明の及ばない地はどうでも良いところだったのです。
オランダに台湾を占領されても気にしない、アヘン戦争で香港島を取られても、日清戦争で台湾を取られてもそれで王朝が安泰ならオーライだったほどです。
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> その頃の日本がどれだけ金銀を産出していたのか知らないのですか?



かつては世界の銀産出の 1/3 を誇った日本の銀ですが、1700 年を超える頃には産出量が激細りします。


> 江戸や京の豊かさに驚いたという外国人の記録もあります。

これは違います。
当時の江戸は、確かに人口100万人を誇る巨大都市でしたが、生活は貧しかった。

日本人の骨を研究すると、江戸時代が最も平均身長が低く、食料事情が悪かった事が知られています。
また食糧事情が悪かった事は、武士が書いた日記などの文献からも裏付けられます。

明治維新の時代になって『殖産興業』が旗印に掲げられるのも、言い換えると、目立って輸出できるような品物が何も無かったからです。
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費用対効果が無いからですよ。



古来、日本は貧しい国だったんです。
俵物三品という言葉があります。
江戸時代、中華料理の高級食材として知られた食品を、日本は中国に輸出していました。
言い換えると、それくらいしか輸出するものが無かった。

そんな貧しい国、放っておいても中国に敵対する国力などない国を、大軍を組織して平定したところで、費用対効果が無いのです。
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