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百人一首のできた時期、平安から、鎌倉?これも教えてください。読み札には濁点が付いてますが、当時も書き言葉に濁点はあったのでしょうか。場合によるのでしょうか。また、発音もここで表記できる程度に教えてください。

A 回答 (2件)

『百人一首』は鎌倉時代に藤原定家が編纂したものです。


#1の方もお答えしているように『古今集』~『新古今』の秀歌(と言われていますが、定かではありません)を100首集めたものです。

『古今集』とは905年(平安時代)に紀貫之を中心として編纂された勅撰和歌集(天皇の命令によって作られた和歌集)で、
以下『後撰和歌集』『拾遺和歌集』『後拾遺和歌集』『金葉和歌集』『詞花和歌集』『千載和歌集』『新古今和歌集(こちらのみ鎌倉時代編纂)』となり、合わせて八代集と呼びます。

現在普通に使われる百人一首の札にはもちろん濁点はついていますが、
当時(平安~鎌倉)にはあまり濁点をつけるという習慣はありませんでしたので、
古い百人一首や、古今集、新古今集を見ると濁点がついていないことが多いですので藤原定家が書いたものには濁点はついていなかったであろうと考えられます。

発音については、どのように当時の人が発音したのかを示す資料が極端に少ないため、殆どと言っていいほど分かっていないのが現状かと思われます。
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こんにちは



百人一首は、平安末期から鎌倉時代に活躍した大歌人、藤原定家が、古今集から新古今集に至るまでの平安王朝の秀歌からピックアップして作った選集とされていますよね。
私が以前に読んだ本では、関東の豪族、宇都宮頼綱(うつのみやのよりつな)から依頼されて、山荘のふすまに貼る色紙に、定家が、古来の歌人の歌、一人一首を書き送ったのが後の百人一首の原型だとされている、とありました。
「百人一首」という名称が世に現れるのは、そのずっと後の室町時代に、この山荘の色紙のことが話題になって
そう呼ばれるようになったともありました。
そしてそれが広く一般庶民に流布するのは、またずっと後の江戸時代のカルタ遊びが始まった頃からではないでしょうか。

書き言葉の濁点については不勉強で分かりませんが
歌の中には、
「きりぎりす なくやしもよの……」とか
「をぐらやま みねのもみぢば……」など
濁点が必須の言葉もありますので
当時からあったように感じますが、どうでしょうか。
私が持っている木札は、すべて「やまと仮名」で書かれてありますが、かなに濁点がありますね。

今後、詳しい方のコメントがあることと思います。
私は参考までね。

この回答への補足

古今集とは何時頃の物でしょうか。答え必須ではありません。手元の読み札を見てみました。これやこの」以外の歌にはどこかに濁点がありました。(手元に99枚だったかもしれない。)風とか」高砂の」は漢字で書けば濁点不要と思うが、どうしても平仮名で書いていたような濁点も多い。99首には濁点があったように思います。皆さん。私の疑問にお答えください。

補足日時:2004/12/15 17:13
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