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なぜ阪神淡路大震災後に復興庁はできなかったのか。東日本大地震後にはできたなのに何か理由があったんですか?

A 回答 (4件)

被害の規模が比較にならない。



阪神淡路大震災は、従来の枠組みで復興できた。
しかし東日本大震災の被害はそんなものではなかった。

まず、被災地の規模において。
次に被災地の経済状況。
そして災害の様相。
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単純に、災害地域が主に兵庫県か、複数の都県か、の違いではないのかねぇ…

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新潟中越地震・阪神淡路大震災は、復興庁なしで復興業務をしました。


誰かの利権の為、復興庁ができたとしか考えらない
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過去の災害時における復興推進体制を振り返ると、1923年9月に発生した関東大震災では、首相直属機関として「帝都復興院」が設置されました。


その結果、広大な土地区画整理や主要街路および橋梁整備など現在の東京の都市インフラ整備に大きな成果を残しています。

1995年1月に起きた阪神・淡路大震災においては、「阪神・淡路復興対策本部」が設置されました。

復興にあたり「帝都復興院」のような国主導の計画策定を求める声も挙がる中、地域主導による計画策定および実施の下、国がその後方支援を行う「復興委員会方式」が採られました。兵庫県が公表した「復興10年総括検証・提言データベース」における検証テーマ「復興体制-復興の推進体制」によると、自治体が復興計画を作り、「阪神・淡路復興対策本部」が関係省庁や自治体と密に連携し計画実現を支援する仕組みは、大都市直下型の震災規模に見合ったものであり、被災地のニーズに柔軟に対応したことで住宅や港湾の早期復興の成果につながったとされています。

東日本大震災における復興庁も、阪神・淡路大震災同様、地域主導の復興理念をベースとしています。
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