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15代目執権の北条貞顕

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  • 質問者:negidaku583
  • 投稿日時:2005/03/10 17:19
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なぜ新田義貞が鎌倉幕府を滅亡に追いやったのに14代の高時の次がいるのでしょうか?

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  • 回答者:salad2
  • 回答日時:2005/03/11 16:54

執権は北条氏の世襲で16代まで
1●北条時政 1203年時政に始まり
2●北条義時
3●北条泰時
4●北条経時
5●北条時頼
6 北条長時
7 北条政村
8●北条時宗
9●北条貞時
10 北条師時
11 北条宗宣
12 北条煕時
13 北条基時
14●北条高時
15 北条貞顕
16 北条守時 ●は得宗

得宗(嫡流)の系図は、1時政━2義時━3泰時━
4時氏━5経時
   ┗ 6時頼━7時宗━8貞時━9高時 で
時政以後北条宗家は9代続いている。
4代時氏は父泰時より早く若死にしたので実際には家督を相続していない。

ちなみに鎌倉幕府の将軍は、源氏将軍3代、藤原将軍(摂家将軍)2代、皇族将軍(宮将軍)4代と計9代続いてます。

「得宗」ほかについては、No.1261523にてご一読いだいたとおり。

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この回答へのお礼

わざわざこちらにもありがとうございます。
将軍が9代も続いていたというのは新しい発見でした。

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No.1ベストアンサー20pt

  • 回答者:zzz-kkk
  • 回答日時:2005/03/10 20:24

実際には16代北条守時までいます。ですから、鎌倉幕府が新田義貞に滅ぼされた時の実際の執権は守時です。しかし、当時、1285年の霜月騒動より得宗専制と言って、北条家嫡流(北条家は色々と分家しましたので、嫡流とはもともとの北条本家ということです。)の家督(これを「得宗」という)が中心となった、ワンマン政治が行われていました。本来、源氏の血が途絶えた後の鎌倉幕府は執権が中心となって、評定をひらいて、その合議によって政治をするものでしたが、この得宗専制によって、執権が「かざり」になってしまったのです。15代貞顕も16代守時も北条家の分家の出身だったので、いくら執権でも「かざり」にすぎなかったのです。それに比べ、14代高時は8代時宗の直系の本家だったので、執権を退いても「得宗」として力を持っていたのです。これで教科書にも、参考書にも14代高時のことしか書かれていないのです。

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この回答へのお礼

ありがとうございます!
執権が「かざり」になったというのは意外でした。表現もわかりやすかったです。

  
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