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文明が発達し、人類の生活は便利になり、物質的に豊かになりました。
しかし文明が発達しても、それが直接人間性の発達につながるものではないといわれています。
物質的には豊かになったが、精神的には貧しくなったなどという人もいます。

それでは、人間性を向上させるものとは何でしょうか?
そもそも人間性とは何でしょうか?
精神的に豊かとは、どういうことを指すのでしょうか?
相手を思いやるといった精神はどのようにしてはぐくまれてゆくものなのでしょうか?

あまりに根本的なことを質問してすいません。
ヒントになるようなことがあれば教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

「向上」というからには「ものさし」「基準」というものが必要になります。


また、ご自身でお分かりのように、まず「人間性」を定義しなければなりません。

さて、ここで、重大な点に気づいてしまうわけです。
それは「人間性」とは「定性的なものであり、定量的なものではない(ものさしで計れない)」ということです。

広辞苑は、人間性を「人間としての本性。人間らしさ。」と定義しています。すなわち、まさに文字通り人間性とは「性質」なのです。

いったい「性質を向上させる」とはどういうことでしょうか?
性質とはたとえば、色が青だとか赤だとか、そういったものであり、どの程度青いとかどの程度赤いとか、そういったことではありません。

よって「人間性」を「向上」させるというテーマそのものが成り立たないのではないでしょうか?

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さて、ひるがえってご質問を「よい人間性を築くにはどのような方法がありますか」や「よい人間性とはどういう性質でしょうか」ということであれば、テーマとして成り立つでしょう。

しかし、ここにも一つの「正解」とも言うべきものを求める上での問題があります。
それは「よい」という価値観がひとによって違うということです。

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結局、人が人としてどのようであるべきか、ということは、容易に人に質問したり、誰かに規定してもらうようなことではない、ともいえます。

また、このテーマは哲学的であり宗教的です。
哲学や宗教は、人類が英知として築いてきたものであり、そこにはまさに「人間とはなにか」という「人間性の追究」があふれています。

ご質問の答え(あなたが考える正解)をお知りになりたければ、哲学書や宗教書を数多くお読みになることをお勧めします。
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馬鹿みたいな回答ですが、義理と人情だと思います。



自分一人で出来る事は、タカがしれています。
本当に皆の為になる事程、皆でやる事に意味があります。
自分一人が幸せになっても、幸せじゃないですよね。

今の世の中は、みんな、お利巧さんになって、
自分の事やお金の事しか
考えていない、犯罪も激増している
本当の幸せは何かを考える余裕を
失ってしまった様に感じます。

会社で偉くなって、出世したいとか
お金や電気製品や車や家、等にしか
幸せを見付けられないというのは寂しすぎませんか?
もっと近くに、本当の幸せはあると、思います。
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#1です。



>でも人間はどうやってそう感じてゆくようになるのでしょうか?

先に書いた通りです。「親が本気で子供の事を大事に考える」です。大事にする、というのとは意味が違います。その子にとって何をすべきか、何がその子の将来にプラスになるのか。そういった事を24時間365日考え続ける、そういう意味です。

>両親の細やかな愛情でしょうか。

私のイメージでは、「細やかな愛」ではなく「不動の愛」又は「無償の愛」でしょうか。
何があってもその子を愛し続けます、という姿勢がその子に伝われば「愛され、生かされている」と思ってもらえるのではないでしょうか。
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補足です。



教育問題としてこのご質問を考えると、以下の点を子どもたち(その子どもたちの保護者や、社会の大人全員)に示していくこと、がまずは第一歩かと存じます。

「人間は、みな一人一人違うところと同じところがある」
「人間は、みな一人一人自分の価値観を持っている」
「人間は、一人では生きられない」

しかしこれらを理解するには、宗教や哲学が必要になってくるのです。

たとえば、単に「親の愛情があれば」というのなら「親を失った子どもの人間性はわるいままか」といった点にぶち当たりますよね。また同時に「親の愛情に恵まれなかったが人間性豊かな人」も存在します。

人間性の形成要因を「特定」するという考え方は、なじまないと思いますよ。
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他の人が書きそうなことはなんとなく予想できますので、僕はあえて毛色の違うことを書いてみようと思います。

少々お付き合いください。

人間性の定義については色々あると思いますが、様々なものを元の形がわからないほど加工して、できあがった道具を使うのは人間しかしないことです。こういうのも人間性と呼んでいいですね。
まあ、今回はこの辺はあまり考えません。たいていの人が考えそうな範囲の「人間性」で話をします。

さて、僕は現代の人々の人間性が低下していると言われる原因を、自虐教育にあるとここでは述べることにします。
 最近この「自虐教育」の見直しが盛んに叫ばれ、逆に「右傾化だ」とか「過去の反省はないのか」という意見もたくさん出ています。僕の過去の投稿に書いていますが、現在の日本人がそこまで頭を下げないといけないほどひどいことを日本はしてきたのでしょうか?
 そこで出番なのが、当事者にして(市民団体等がいうところの)「被害者」であるアジア人の意見を見てみましょう。
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●ククリツト・プラモート 元タイ国首相の発言
「日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすく育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」

●セイロン(現スリランカ)代表のJ・R・ジャヤワルダナ蔵相の発言
「アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである」

●初代ビルマ首相バーモウ 『ビルマの夜明け』より
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。」

●フィリピン独立記念での演説 パルガス フィリピン大使 
「しかし、大日本帝国は軍政を最終的に撤廃し、フィリピン共和国の独立を承認するというこのうえない形で、その高邁な精神と理念を証明した。帝国はその全ての誓約と宣言を誠実に守り、フィリピン国民が憲法を制定し、自らの文化と伝統に調和する国家を樹立する最大の機会を開いたのである。大東亜において日本帝国はあまりに激しく、あまりに不当に圧政暴虐の侵略者として非難されているが、その寛容と自由の実践は世界も驚くであろう。日本は帝国であったが一つの共和国を認め、まさにその樹立に参画した」

●インドネシア スカルノ大統領の発言
「我々が(オランダから)独立を勝ち得たのは、日本があれだけ戦ったのに、同じ有色人種の我々に同じことが出来ない訳はないと発憤したからである」

インドネシアの中学3年用の歴史教科書
「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた」

●マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員の発言
この国に来られた日本のある学校の先生は「日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べに来たのだ」と言っていました。私は驚きました。「日本軍はマレー人を一人も殺していません。」と私は答えてやりました。
日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、その英軍に協力したチャイナ系の抗日ゲリラだけでした。
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http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/koramu25 …順番は私が入れ替えてます)
これ以外にもhttp://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1268218の7に上げてあります。
 さて、驚いたことにアジア各国の指導者は日本に好意的ですね。むしろ上記の7にあげたように
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『祖国と青年』平成6年2月号、アラムシャ陸軍中将の大東亜戦争肯定論 中島慎三郎より)
インドネシアの元復員軍人省長官で東欧大使を歴任したサンバス将軍
 「日本の戦争目的は植民地主義の打倒であった。その目的の大半は達成したが、南アフリカ、アジアにまだ残っている。そんな時に行った村山演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。村山さんは日本の果たしてきた歴史を踏まえ、A・A(アジア・アフリカ)の悲願を代表して、まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ、ラウレル・アキノ、汪兆銘、チャンドラ・ボース等を応援したのに、たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは遺憾である」
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http://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/gulfwar_ …
というように、アジアに謝罪しようとして活発だった旧社会党出身の首相に対して否定的なのが印象深いでしょう。
しかしマハティール首相のように、
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●マレーシア マハティール首相  黄文雄(台湾の評論家)著 「罠に嵌った日本人」より
「日本の戦争責任を問うならば、それより以前、非人間的な支配と収奪をつづけた欧米の宗主国の責任はどうなるのか。日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたらされた」
※ マハティール首相は「許す。だが忘れない」ともコメントをしている。つまり大東亜戦争を全肯定しているわけではない。
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(一番上と同じ)
と、評価しつつも、やはり他国に支配されていたことには変わらないと言う冷静な考えもあります。
 ただ、日本人がイメージしているアジアの怨嗟の声とは大きく異なっているようです。なんといってもあれだけ日本に文句をつけてくる韓国の人でもこれです。
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●朴正熙 元韓国大統領の発言(中曽根元首相との対談より)

「私は貧農の生まれで学校に通うなど思いもよらなかったが、日本人の役人が両親を説得して小学校に行く事が出来た。そしたら学校の教師がお前は頭が良いから無料の師範学校に行った方が良いと推薦してくれた。師範学校では更に優秀さを認めてくれて陸軍士官学校に推薦してくれた。その結果士官学校首席として日本人同期生のトップで卒業し、陸軍将校に成る事が出来た。今の私が有るのは清廉で誠実な日本人達のおかげである。」
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ところでなぜこんな話が関係あるのでしょうか?

それは、極東軍事裁判、いわゆる東京裁判の判事を勤めていた人の言葉にあります。すなわち、
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満州事変から大東亜戦争勃発にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・退廃に流されてゆくのを、私は見過ごして平然たるわけにはゆかない。彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書き換えられねばならない
[1,p32]
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http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/j …
です。

>日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・退廃に流されてゆくのを、私は見過ごして平然たるわけにはゆかない。

現在の日本の状況を、これほど的確に表している言葉が他にあるでしょうか?
 私たちはおそらく多くの人が戦争はいけないものだと考えています。そして、学校での教育によって、「日本は戦争を起こして平和を乱し、世界にひどいことをしたんだ」と思い込んできました。その結果、自分の親、祖父母、あるいは先祖をひどい悪魔のように感じてきた人もいることでしょう。「日本は謝れ!」と叫び続ける人に対して「もう許してくれ」と思っている人もいたことでしょう。こうして私たちは世界からはみ出していて、さらに先祖や伝統と言うどこの国もが持っている後ろ盾を失い、今が楽しければいいという風潮に流されてはいないでしょうか。
 パール判事はこれを危惧して、上の言葉を残しました。そして「日本人よ、日本に帰れ」と日本のことを強く案じています。
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 さらに広島の原爆慰霊碑に刻まれた「過ちは繰り返しません」と
いう文字を見て、博士は言った。

 東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴ
ーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わな
かった。東京裁判の影響は原子爆弾の被害より甚大だ。
[1,p29]
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http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/j …
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「日本は独立したといっているが、これは独立でも何でもない。しいて独立という言葉を使いたければ、半独立といったらいい。いまだにアメリカから与えられた憲法の許で、日米安保条約に依存し、東京裁判史観という歪められた自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や考え方が少しも直っていない。
日本人よ、日本に帰れ!と私は言いたい。」
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http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-pal.htm

このパール判事は東京裁判における、争点であったはずの戦時国際法のただ1人の学位所持者でした。そしてパール判事は起訴された「戦争犯罪人」について、次の判決を下しました。

「国際法に従い、被告人は無罪」

と。
http://www.geocities.jp/youdai0713/kan/p-l.htm


これに限らず、日本をかばってくれるエピソードはあります。上に上げた大東亜戦争(と日本人は呼ぶべきです)の戦後、賠償の話になって、インドは「連合国こそ日本に対して賠償金を支払うべき」と言っていますし、スリランカは真っ先に賠償請求権を放棄しています。また、最近でもこんな話があるそうです。
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★ アリ・ムルトポ准将の発言。名越二荒之助  「日韓2000年の真実」国際企画

「今から十五年前ほどの前、アジア各国の軍部代表がマニラに集まった時のことだ。例によってフィリピンと韓国の代表が、延々と戦争当時の日本軍と日本民族と現在の日本企業を罵倒する演説を打った。列席のアジアの親日家たちは「韓国代表の演説は痛烈無残で聞くに堪えなかった。だが、列席の日本代表(自衛官)は一言も発しなかった。」と悔しがった。そこで、インドネシアのは韓国の軍人に向かって次のように日本を擁護した。彼はASEAN(東南アジア諸国連合)結成の仕掛け人である。

<日本はアジアの光である。大東亜戦争は欧米人にアジア人の勇敢さを示したもので、チンギス・ハーンとともにアジア人の誇りである。  
(中略)
ここで、インドネシアの日本民族の価値についての見方を申し上げる。今、忽然として日本民族がこの地球上から消えたら、アジアとアフリカは非常に困る。その時に韓国が一番困ると思う。韓国は工業大国日本と競争したから、立派な工業国になれたのである。
(中略)
もし、日本がシンガポールの地点にあったら、インドネシア人は少なくとも百万人が日本に住み、日本人と同等の教育を受けるから、その人間関係から日本の技術、市場、金融、スタッフ等活用することができる。だから企業の成功は容易である。つまり、日本の近いところに位置していることは、幸運なのだ。経済的支援を連続的に受けていると言ってもよいくらいだ。インドネシアが日本に近ければ、今のような貧弱なインドネシアではない。
(中略)
つまり、我々インドネシア人は「日本はなにもしてくれなくてもよい」と考えている。日本は欧米と肩を並べて進歩しているだけで十分、アジア・アフリカにつくしている、と考えている。だから、我々アジア人は外交面に弱い日本を支援したいと思っている。日本から援助をもらうだけで応援しないのでは運命共同体とは言えないし、対等のパートナーとも言えないのではないか」
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http://plaza.rakuten.co.jp/07140714/2006

こうした声を見ても、一部の声の大きな人が叫んでいる「日本は絶対に悪」という考えのほうが正しいでしょうか? 戦時ですから、もちろんひどいケースもあったことでしょう。しかし、それでもこうした声を上げてくれる国々に対して、私たちは正しく彼らの声を聞いているでしょうか。

勘違いしてほしくないのは、僕は「日本が全面的に正しい」などとは一言も言っていませんし、言うつもりもありません。しかし、今の教育は明らかに間違っています。かつてパール判事が予想した事態に今まさに至っているからです。
 日本が悪いという教育をやめ、本当のアジアの、そして世界の声を聞けば、日本人は日本人としての誇りを取り戻すことでしょう。

>日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・退廃に流されてゆくのを、私は見過ごして平然たるわけにはゆかない。

私たちはこの言葉をはっきりと胸に刻むべきです。



おまけとして、こんなの(http://www.meijijingu.or.jp/intro/education/)もおすすめだったりします。「日本は悪だ」と言う人たちが、「軍国教育の象徴」と言う代物なんですが……ちゃんと読むとすごくいいことを書いてあります。

こういうのを見たり聞いたりしていると、なんとなく背筋がピンと伸びてきませんか?
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私は「想像力」だと思います。


ジョン・レノンの「イマジン」ですね。

この人は今どんな気持ちだろう?
私がこうしたらどう感じるだろう?
何をしてあげれば喜ぶだろう?
もし、私だったら、どう感じる?どう行動する?

今、現実に目に見えないものを想像してみること。
それが他者を思いやることにつながると思います。
そして、想像する力をたくさん持っている人が大きな世界を持っていると思います。

現代は、情報も豊富だし、目に見えないものを想像してみるというチャンスが少ない(それで生活に支障がない)ように感じます。
人間性・精神世界の貧しさはそれを反映しているのではないでしょうか。
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精神的に豊か、と言われて私は「誰かを思いやり、大事にしたいと思う心」という風に思いました。

質問者さまも書いてらっしゃいますが。

個人的に必要だと思う事は、「自分が愛され生かされているんだ」と感じさせる事ではないでしょうか。その為にどんな行為をするかは即答できませんが・・・。

親が本気で子供の事を大事に考えていれば、自然と子供には伝わるものだと思っています。最近の親は、自分の趣味や仕事に傾倒しすぎて子供の事を考える時間が減っている様に感じます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
「誰かを思いやり、大事にしたいと思う心を持つ」ためには、まず自分を思いやり大事にしたいという気持ちが必要なのかもしれませんね。
そのためには、「自分が愛され生かされている」ことを実感できることが大切と理解しました。
でも人間はどうやってそう感じてゆくようになるのでしょうか?
両親の細やかな愛情でしょうか。

お礼日時:2005/03/23 23:51

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