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よろしくお願いします。
仕事、資格の勉強、プライベート、全てが中途半端なアラフォー男です。
自分の人生を救えるのは自分しかいない、そんな気持ちで一日一日、なんとか無駄にしないように、一歩でも前に進めるように努めてきたつもりですが、、、

年の瀬と言うこともあり、振り返って見ましたが、全てが中途半端です。
この一年だけでなく、今までの人生全てが中途半端のようでした。
唯一素直に喜べたのが、第一志望の国立大に入れた時(1浪していますが)、この時が人生のクライマックスだったような気がします。恥ずかしい。情けない。

仕事において大きなミスはないけれど大きな前進はない
資格の勉強において、半年くらい勉強すれば取得できる資格は取得できても、数年かかる資格に手を付けると途端について行けない、資格を取得したとしても業務に活かせる自信がない、
結婚生活は破綻、離婚、養育費を支払うだけの日々(コロナで会えないと言うこともありますが)

なんか全てが人生の破綻を意味しているように見えます。救いようがない人生にも見えます。

自己肯定系の本を読んだり、発達障害の人が人生を上手く生きていけるような本を読んだり、色々していますが、人生を変えることが出来ず、結局は全てが中途半端です。

養育費も子供が小さいので、と多く払っていましたが、自分が定期的に通院しなければいけない身になると、負担に思えてしまい、払い続けるのもきつく思うようになりました。
資格の勉強も一日何かを学ぼうとテキストは開くものの本当にこの勉強方法でいいのか、と迷うばかり、効率的な勉強とはとても思えず、修行のような気持ちで勉強しています。
趣味においても、習い事ですが、後から入ってきた人の方が上手くなっているという現実

自分に都合のいい解釈を出来る要素を見つけることが難しいです。
この年になって(原因はもっと前にあったのでしょうが)救いようがなく、これから良くなる兆しも見えません。毎日こんな気持ちで過ごすのもそろそろ限界に近いです。

まだ、一般就労で正社員として働き、親と同居しているため、かろうじて親孝行できる身分であるとか、養育費というお金を媒体としてではありますが、家族だった人や子供とつながりがあること、

こういう事に感謝しながら生きていくのがいいのでしょうか。身の程を知れと。

人と比較しても意味がないのですが、10代、20代の人でも手に入れている心の安らぎとか、希望とか、ある程度の落ち着きとか、コミュニケーション能力とか、継続的に努力をするマインドとか、正社員とは何であり、どうすれば社員として評価されるのか、というような基本的な事を私は学んで来なかったようでとても辛いです。

今から学んでも人生が良くなる兆しも見えず、、、しないよりはもちろんましなのですが。。。

一体どうしたらいいのでしょうか。優秀な人はたくさんいるし、幸せな人はたくさんいるので、自分はどんどん追い越されてゆくような、追い抜かれていくような、取り残されていくような気持ちになります。

A 回答 (1件)

サウナに行ってみてはいかがでしょうか。



私は都内在住の46歳会社員男性です。独身の一人暮らしで生まれつきの持病があって松葉づえをついて生活しています。

実家は地方の田舎ですが、母が実家で独り暮らししています。4歳ずつ違う姉妹がいて、独身の姉と既婚者の妹はそれぞれ隣町に住んでいます。父は8年前に他界しました。

私の場合、生まれつき血液が固まりにくい持病なので関節内に内出血を起こしやすく、幼少期から周りの同級生を見守る、見送る立場で生きてきました。幼稚園時代からお遊戯室でみんなが遊ぶ中、一人だけ教室に残されて一人で遊んで時間をつぶしたり。

体育の時間では、みんなが走ったり、スポーツするのを見学したり。運動会では一人だけ応戦席にいたり、修学旅行は全身が動けなくなっていけなくなったり。


最初から誰にも追いついていない、という体験を積み重ねて今日まで来ました。


尺度で自分を位置づけるというのは、理屈では理解できたとしても納得できないとか、実感できないとかといったことになる気もします。


感覚的なことを自分の生活の中にもっと取り入れていくと、「実感」がわいてくるのでは。


そういう例で、冒頭の「サウナ」を挙げました。熱い、冷たいといった手肌に感じる感覚が生きている実感になるというか。体をきれいに洗ってからサウナに入り、汗をきれいに流してから水風呂に入り、外気浴で「ととのう」というものですね。


ほかには、おいしいものを食べたり、美しい景色を観たり、いい音楽を聴いたり、スポーツをしたりといった「感覚の世界」に自分を置くことをなさるとか。ランク付けしたり、他者から誉め言葉をたくさんもらっても、自分が感じないと納得できないような。


私自身、関節などが激痛で傷んだり、動けなくなるのですが、そういった時間は仕事も休まざるをえなくなったり、転職も経験しましたが、健康であればこういった時間がないと思うといいな、と感じたことはありました。


私以外の家族には持病がないので、高校時代まで実家に住んでいたころ、父母や姉妹が出かける時には、私は祖母と実家で留守番をしていて。


祖母と過ごす時間が長かったので、10代のころからなんとなく「80代の人の方が話が合う」みたいな感覚があって。若々しさに慣れてなかったというか。


今は年齢と感覚が合ってきましたが、学生時代までは動けない、眠れない、痛みだけの時間は年に30日間はあったので、今まで生きてきて痛みだけの時間を差し引くと、まともに活動できた時間は実年齢より十数年分は少ないです。


そんな私からすると、「時間を過ごす」ということはすでに貴重な体験だと思います。


高校時代に通っていた予備校の英語講師が「夏休み一か月あると、君たちは自分が思っていたよりも遠くに行けるんだよ」と激励していました。たしかに、一か月後思っていたよりも学力はついたような。


その後、私は都内の私立大学の商学部に進学し、今に至ります。大学時代は、体調不良で四年間が過ぎたので、お金もなく、苦労しかなかったですけど。なので、若い時代が良いとは思わなくて。


学生時代や若い時間というのは、時間換算でいうと意外に短いと思います。

ある程度の年齢になってくると、それが自分のペースだと思います。

早い、遅れているといったことは思春期の頃の話だと思って、あとはマイペースで人生を歩むものではないかと。

これから、学生時代のように短い時間でもなにかに出会う可能性を考えると、未来に目を向けて、感覚のアンテナを磨いておく方がよいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2022/12/15 18:31

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