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みなさん、こんにちは!
コミュニーケーション能力についてのご質問です。

コミュニーケーション能力を上げるためのコツや基本はどんな意味がありますか?
また、コミュニーケーションは今後のどのようにうまく利用していけば良いと思いますか?

みなさんの意見とご回答お待ちしています。
よろしくお願いします。

「みなさん、こんにちは! コミュニーケーシ」の質問画像

A 回答 (2件)

コミュニケーション能力の本質は心配する力です。

自分または誰かを助けたいという思いから生じるものです。どんな力であっても自分も他人も助ける事が出来ないものは意味がありません。役に立たないという事です。

ご質問の図は力を分解していますが「何のために?」と言う部分は示されていません。つまりこの図を提示した人は誰かを助けようと思って書いているわけではないのです。そのため「あっているように見えるけど、当たり前すぎて価値を感じない」と言う印象を残します。

しかし、筆者がこの図を示す前に「困っている人の事例」を出し、自分が心配している事を述べていれば読み手の意識も変わってくるはずです。つまり「~を心配していて、~である人を助けたい」言う気持ちを言語や非言語で表現すればよいだけなのです。

重要なのは格好いい図ではなく、筆者が心配している人達や事柄であるわけです。こちらを重要視して伝え落とさない事です。そういう気持ちがコミュニケーション能力を高めます。

「多くの文章や格好の良い言葉。難解で理解に苦しむもの。
 そういうモノはマヤカシである。情報を発信している人が何を
 心配しているのか汲み取り、それだけを伝えようとすること。
 そういう濾過をする力、それらを強調して相手に分かり易くす
 る力。これが聴く力と伝える力となる」

では心配するってどういうことでしょうか?

「自分がやらないといけないと思う事柄。それらが上手くいって
 問題が生じない様に思うこと」

となります。自分の事を自分でしなければ行けないと思っている人は、自分の事ばかり心配して自分を助けてくれと伝えます。一般に良くないと叱られるタイプですが、それ以上に悪い状態もあります。例えば自分の事を自分でやりたくないと思っている人です。

自分の幸せを自分の力で為そうとしないタイプは自分も他人も助けようとしません。そのため誰の役にも立たない情報を発信します。例えば誰かを傷つけたり、馬鹿にしたりする発言です。私たちは自分または誰かを心配して助けようとして話を聞くものです。なのでこういう情報には不快感を感じるわけです。

「誰の心配もしていないのに何かを伝えようとするのは不可能。
 そういうムシの良い事を考える前に自分の事や他人の事を心配
 できる自分になるべき」

例えば、人が聞きたくもない汚い話や嫌味・冒涜の言葉をのべて「~なのは何故ですか?」と質問文を作る人です。コミュニケーションが何なのか分かっていない実証みたいなものでしょう。誰かを助ける気が無い発言は聞く側にとっても意味がありません。

では、

「自分より幸せな奴が沢山いるのに、どうしてこんな可哀そう
 な俺が相手の心配をしないといけない?」

この様に思う人はいないでしょうか?

これではコミュニケーション能力に蓋をされている状態でしょう。私の知り合いにいます。友人は多いのに一緒に仕事をすると必ず失敗をする人がいます。友人らを巻き込んで事件を引き起こします。そういう失敗から逃げる様に職場を変えてきたそうです。つまり友人を作れても「他人を心配すること」からは逃げた場合は良い結果に成らないんです。

コミュニケーション能力が低い人は他人の心配をしたことが無い、またはその量が少ないんです。責任感が無いとか弱いとか言われます。

しかし、

「そうは言っても何を直せばいいのか・・・」

と思うはずです。

そこで一つ大きな定義をしましょう。

「子供が泣いていたとき、煩いと思うだけで、心配に成らない人は
 幸せに成らないで良い人間である。その人が何かについて不快や
 不満を感じていた場合は、世界から正しい罰が与えられているの
 であって世界は正しく機能している。私たちは安心して自分の幸
 せについて考えるべきである」

如何でしょうか?

自分が不快感を感じるから相手が悪いと考えがちですよね。しかし、自分は誰の心配もしない人間であった場合。社会に歓迎されずに「無理やり生きている」わけです。その無理が祟って自分に罰が生じていると考えれば、社会は正しいなります。

どうして自分は自分や他人の心配が出来なくなったのか? 幼少のころまで遡り、原因となった出来事を思い出すべきです。その時の怒りや悲しみ(ショック=PTSD)の治療を先にすべきなんでしょう。本人の責任の無い事故であっても自分は故障をします。故障をした場合、それを治すのは本人の責任であり、放置したことにより生じる罪は必ず罰として帰ってきます。

「相手が悪いのは悪いとしても。自分の責任ではないとしても。
 壊れた自分を治さないのは自分の罪である」

私たちは「誰かが困っている」という情報を得ようと無意識に心を動かします。話を聞きながら「で? 誰が何で困っているんだ?」と知ろうとするんです。ニュースであってもそういうモノは報道に値します。しかし、誰かの不満や不正ばかりを取り上げている人は「誰の心配もしていない記者」でしかありません。これらが嫌われるのは当たり前でしょう。文章や番組を作れる能力がコミュニケーション能力ではないという事です。

心配からコミュニケーションに及ぶ多岐の事柄を以下に例示します。

・心配の内容を細かく伝える。
・相手が同じ心配をしているか確認する。
・困っている人を特定する。
・困っている人の困り具合を判定する。
・対策について議論する。
・原因について議論する。
・誰が助けられるのか分担を考える。
・誰が助けられるか情報を集めて当事者に教える。

「コミュニケーション能力とは人助けの繋がりがあって初めて
 顕在化する。誰かを助けようとする人を助けているという関
 係が無ければ顕現しない」

人助けの輪に繋がっていることが大事です。仕事は報酬があります。ボランティアはありません。しかし共に誰かを助けている営みです。こういうものに繋がり、心配を分けてもらう事が出来れば自分はコミュニケーション能力を発揮できます。そうでない場合は(例えば凄そうな人の持論を聞いたり、その活動をウォッチしたり)人助けの輪にはつながっていません。

「人助けの輪に繋がっていない者同士での会話はコミュニケーション
 ではない。どんなに会話を重ねても何れは自分の居場所が無いと感
 じて不安が生じる。先の見えている話に夢中に成らない事だ」

自分の暮らしに困っていないのに、正体不明の疎外感や居場所が無いと感じるのが人間です。これは人助けの輪に繋がっていないからです。そのためコミュニケーション能力も発揮されません。そういう状態は良くないと昔から知られています。

コミュニケーション能力はスキルではなく、周囲の環境が自分を選び、与える能力です。誰が一番心配したのか? そういう競争をしており、その中でもっとも心配をした人に解放される潜在能力です。

賢い大人は自分大事にするために、仕事やボランティア活動に身を置きます。他人(仕事の場合は起業家や発起人)の心配を分けて貰い、繋がる事で自分の成長を補完するためです。健全な状態を維持するというわけです。

コミュニケーション能力を高めるためには、

・誰かの心配をする集まりに参加する
・自分の役割や守備範囲を獲得する
・人と会話をする時は、誰の心配・何の心配をしているか探る
・人に話しかけるときは、誰の心配・何の心配をしているのか伝える
・上記から外れている人に時間を割かない(悪感情は伝染する)

がポイントでしょう。

また聞く側であっても気を付けないと行けません。

誰かを批判するときは批判をしている対象を心配して助言をするべきですよね。そうでない意見に耳を傾けると悪感情が伝染し自分の脳を学習させてしまうからです。これはウィルスに感染するPCと同じです。見ても聞いても行けませんよ。

逆に誰かを心配している発言であれば、それを見たり聞いたりする事で自分の脳が強化されます。これは体調制御にも役立ちます。

コミュニケーション能力とは「心配と言う善」を他人と一緒に運ぼうとする思い(駅伝で言う所のタスキ。リレーで言う所のバトン)です。伝言ゲームの途中で「何を心配している話なのか?」をすっかり落としてしまう人は嫌われるという事です。

私たちは「心配と言う善」を共有しています。これを伝えるネットワークに繋がる事で心の養分を得ているのです。その営みを理解していない(そういう共同体なのだと知らずに仲間に入りたがる)人が参加するのは迷惑だという事です。ここだけ抑えて置けば失敗しても反省できますし怖くないと思いますよ。

「ごめん。君たちは何を心配しているのかな?
 一緒に考えたいんだ」

これが最初に無ければいけませんよね。

以上、ご参考になれば。
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とりあえず、挨拶から始めましょう。

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