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学術研究関係で、狂気の求道精神と日常を捨て去る覚悟は必要でしょうか。

私はその筋(研究者)の人間では全然ないのですが、そうした一般の立場において疑問があるので、実態の研究生活がどうであるか教えて下さい。

私が少し前にちょっととある会合に出た時、その中で理系の大学で教えている先生がいました。
会話をしていると、ふととある話題に話が飛びました。
その人曰く、理系の大学院は、映画「セッション」である、と。

私独自の解釈も含めますが、咀嚼すれば次のようなことをおっしゃられていました。
セッションと言う映画の中では、ドラムを極めようとする若者と、それを極限のところまで行かせようとする超パワハラ鬼コーチ教師が、道を究めんとしてパワハラと圧力と挫折とそれに打ち克って真なる究極のドラムの世界を手に入れる、と言うことでした。
その間には、日常の生活、ささやかな幸せでさえも捨てろと言うシーンがあるとのことで、このような過酷な世界を経て真の世界を得る、と言うところが理系の大学院である、と。
そうした大学が日本にこことこことここ、と言う具合に三つ言及してました(具体的には記憶していません)。
夜中に教授から呼び出されるような、過酷な労働状況に近い研究生活において、それが嫌で理系大学院生が院生を辞める、と言うこともしばしばあるということです。
その状態の是非については言及はされていませんした。

これはまるで日本の修験者です。道を究めるがために日常生活とそこに付随されるであろう幸せを捨てる、と。

ここで疑問に思いました。

1.まずこれは日本の理系大学院で一般的に見られる光景なんでしょうか? 
  私が受けた印象では、日本のトップの大学や実績を出す限られた研究室がそういう風になっているのではないか、と言う感じであって、一般的ではないような気もします。

2.加えて気になったのが、アメリカやその他諸外国での状況です。
  ここまで過酷な研究生活は、私の先入観としては、日本の修行僧であればそういうものがあるだろう、対してアメリカは何かエンジョイしているというイメージが当初あったのですが、どうも色んな人の話を聞くに、アメリカこそが、そういう学問に対して究極的な求道精神を求めることが多く、そして日本以上に厳しいようにも思います。これも私の先入観ですが、それがゆえにノーベル賞の大量取得があるのではなかろうか、と。
 つまりアメリカの大学での理系研究においては、狂気の求道精神と日常を捨て去る覚悟、映画「セッション」のように、人間であることの全てを捨てて常人ならざる状態で研究に没頭する様があり、それこそが、世界の頂点に立つための条件であるのだろうか、と言う疑問が湧いてきたのです。

 日常の幸せを享受しながらも、理系の真理を掴むと言うことはできないのでしょうか。

 ただこれは私の推測から出たにすぎません。なので、この作業仮説は合っているかどうか、どなたかこの周辺事情をご存知の方がいらっしゃれば教えて頂けないかと思った次第です。

 おそらく「ピンキリなので、そういう大学もあればそうでない大学もある」と言う回答も出てくるかもしれませんが、その場合、トップの大学ではそういう研究生活になっているか、と言うことも教えて頂けると幸いです。

どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい。
宜しくお願い致します。

A 回答 (2件)

人生をエンジョイしないことを研究に対する真剣さの証みたいにみなす勘違い求道精神は、日本にはまだ残っているかもしれませんが、アメリカには基本ありません。



以前、アメリカのトップ大学院を垣間見る機会がありましたが。院生がラボにいるのは基本的には9時5時です。

前の方の回答にある「9時5時じゃない」というのは、就業時間が決まっていてそれで終わりになるわけじゃないという意味だろうと思いますが。その点は同じなんですが、でも夕方には実験なり解析なりに一区切り付けて帰る人がほとんどです。

無論、必要があれば夜中まで居残ることもあるし、家に帰っても一生懸命論文読み込んだりしているのかもしれませんが。

概して治安がよろしくないこともあって、彼等は夜遅くならないうちに、可能なら明るいうちに用事を済ませて家に帰ろうとする傾向が強いです。なんせ、夜になったら建物の玄関から駐車場まで警護の人がついてきてくれるという妙な国です。

院生に限った話じゃないですが、やることが多すぎて通常のビジネスアワー内で消化できないときは、日本人なら残業が普通ですが、アメリカ人はしばしば朝出てくるのを早めます。あちらのTVニュースは朝5時の通勤渋滞をよく報じていました。

当時、院生の人達の遊びに付き合った、付き合わされたこともあります。

あちらの院生は親のスネはかじらない、大学側からぎりぎり暮らしていける程度のお給金(stipend)をもらっているのが普通ですが、派手に遊ぶほどの金はないので、ホームパーティを結構やっていました。それにお呼ばれしたことがあります。あるいは、観光地に行くのにレンタカー使いたいが、25歳以上でないと借りれないか料金余分にかかるかで、年上の私が代表者で借りてほしいと。彼等はよく働きよく遊ぶ人達です。

実は日本の大学院生だって、夜遅くまでラボにいる人はたくさんいても、そういう人って大抵お昼近くにならないと出てきませんから。夕ごはんや雑用に費やす時間を考えると、研究活動自体に当ててる時間はさほど変わらないように思います。

雑用について補足すると、日本の大学は研究をサポートする人的資源が貧弱で、試薬のストック作り、器具の洗浄、実験動物の世話みたいな仕事を自分でやらねばならないことが多い、アメリカだとそういうのは基本的に実験補助の人の仕事です。大学教員ポスドク院生といった研究者やその卵の人達は、その立場にふさわしい仕事をちゃんとやるべきだ、もっと時給低い人がこなせる仕事に時間を費やすのはもったいないという感覚が強いです。
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国立の研究型大学工学部の元教員です。

僕の周りや旧帝大を含むいくつかの大学や米国大学でそういう教員は一人しか知りません。その一人も1年くらいで方針を軟化させてくれました。その映画のことは全く知りませんが,その先生の表現はちょっと驚くべき内容・レベルにしか思えません。
 さて,修士までは研究者の卵だとも思っていません。工学系では卒論・修論のテーマは,確かに我々教員がいま現在実施している研究の一部です。そして卒論はともかく,修論は学会論文集に受理されるレベルのことをやってもらいます。僕のかつての指導教員の言葉を借りると,4年生以上は研究スタッフです。しかし,もう大人ですから時間管理は本人たちにやらせています。締め切りはお互いにわかっていて,毎月1回以上は打ち合わせをしますから,間に合うかどうかはわかります。なかにはどうしても進捗が遅い学生がいますが,それは,体裁が整う範囲で間に合うよに妥協していますし,周りもそうです。学生の居所と教員の部屋はすぐそばなので,毎日のように顔は合わせます。昼食は一緒ですし。
 ただ,研究というのは9時5時の仕事じゃないです。24時間365日,何故なんだろう?という問いかけをしながら進めるものです。学生だけじゃなく教員もそうです。だから教員も夕ご飯まで学生と一緒という人も少なくありませんし,家庭で夕食をとったあと大学に戻る先生もいます。タナボタなんてことはほぼあり得ない。常に考え続けていないと答には近づけないのが研究です。だからといってプライベートな活動ができないわけでもないし,禁止もしていません。どちらを優先するかは,TPO によるだけのこと。それをちゃんとできれば,サークル活動もアルバイトもできます。
 これは修士までのことです。博士課程の場合は,テーマも独自で考える学生が増えてきます。教員もそれを望んでいる。そうでないと,就職するときの助教の公募で他の候補に勝てないかもしれないですからね。博士課程の学生は講義は2科目くらいの集中講義で終わります。1年生のときの夏休み一週間でほぼ単位はそろう。社会人の学生が少なくないので,集中講義で,会社の休暇は1週間だけで済むようにしています。しかし,それ以外は毎日が研究です。卒論や修論もまだ誰も答を出していない課題の解決ですが,博士の学生は毎年1編くらいは成果を出さないといけませんから,課題解決をしながら,課題発見もしないといけなくなるのは将来のためには仕方がないことです。しかし,博士課程学生にも指導教員がついていますから,毎月1回以上の打ち合わせで,研究の状況だけじゃなく精神状態も把握できますから,その都度進路修正をしたりするわけです。40年以上前は週末も祝日も(強いられなくても)大学で勉強・研究をしていましたが,昨今は週末には博士課程学生も出てきませんね。いるのは教員だけとかです。それで毎年1編以上の論文が書けるように,周りの教員も気を付けています。夜中に呼び出す??? 出張帰りが夜9時くらいになって,そのまま自宅には帰らずに大学の研究室に一度顔を出す先生は少なくありません。その時間帯には大学院生ならいることが多いので,打ち合わせをすることはあります。わざわざ学生を呼び出すのではなく,こちらから大学に行って相談しますけどね。
 米国の場合は博士課程のことしかわかりませんが,ほぼ日本と同様です。米国の先生達は日本の教授ほど雑用がありません。教授会も入試業務も学部学生の世話も学会活動もありません。講義を毎学期1~2個担当する以外は毎日朝から夕方まで研究室にいます。そして,しょっちゅう実験室や研究室に来て学生と打ち合わせをします。米国の研究成果が日本より多いのは,単に博士課程の学生が多いというだけのことです。博士課程の学生の1年目は毎学期2~3科目履修があって,けっこう高度なので大変ですが,時間管理は自分でできますし,週末は遊べます。我々が留学したころは,留学生だけじゃなく米国人学生も全員が Research Assistant になっていて,教授の研究費で学費と生活費を支給してくれます。そのお金で縛られていますので(アハハ)研究のための勉強は毎週20時間はしないといけませんが,ま,そのくらいです。毎年1編ずつ論文を書いて学位をもらうというような点も日本の博士課程とほぼ同様です。日本の大学の先生はなかなか研究室にいないのに比べれば,毎日いるのでストレスは溜まりますが,研究相談にはいつでものってくれるというメリットがあります。お金でつながっている関係だから先生たちも指導をちゃんとしてくれます。週末に大学のコートでテニスをしたり,プールで毎晩のように泳いだり(そこに指導教員が泳いでいたりしますが),日本人だけでピツァ食べに行ったり,二泊三日のキャンプに行ったり・・・くらいはできます。日本の大学と違って,コンサートや映画上映(古典から最新そしてポルノまで)が学内でよくありますから,息抜きしたければいつでもできます。
 日常の幸せ??? ま,好きな勉強ができているのも幸せですけどね。家庭持ちの博士課程の学生だっていますよ。
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