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はじめまして!
ハイドアンドシークについて、謎が多くパンフレットを読んでもわからないところがあるので是非!回答者様のお考えを教えてください。
(想像で十分です!どうもすっきりしないので…)

まず、なぜキャサリンが殺される必要があったのでしょうか?
チャーリーにとって彼女の何がじゃまだったのでしょうか?

それと、やかんのシーンで犯人がわかった、といっていらっしゃるレビューを見たのですが、もし同じような方がいらっしゃったらどうしてやかんのシーンでわかったのか教えてください。

そのほか、どの瞬間で犯人の確信がもてましたか?
(シャイニングに似てて・・・等という意見以外でお願いします)

A 回答 (5件)

ちょっと意地悪な見方をします。



☆…内容として語られる事柄 ★…(恐らく)演出の狙い

〇エミリーの語る内容から想像されるチャーリー像
☆…越してきた郊外の新居で出会った不可思議な存在。
★…恐らく森の洞窟辺りを根城にしている悪霊の様な物にとりつかれた。

〇パパから観たチャーリー像
☆…母親を失ったエミリーが心の隙間を埋めるべく(母親を殺したのがパパだと感じている)作り出した想像の産物。エミリーの第二人格。
★…パパはその職業的な意識から、飽く迄もチャーリーはエミリーの作り出した擬似人格だと思っているが、本当は何者か(悪霊?)が実在しているのではないか?

上記がこの作品の全てです。が、実際にはご存知の様にチャーリーはただ妻の浮気に苦しんだ(或いは殺害した事に悩み、その後で)パパが作り上げてしまったもう一つの人格です。それをミスリードさせる為に幾つかのトリックを仕掛けて構成されているのですが、通常この場合は観客が見た(の印象に残った)全ての行動や出来事がきちんと組み合わさらなければなりません。しかしこの作品はミスリード用のトリックを曖昧なままに、また、結局実際にはまったく意味の無かった出来事にしています。

・転居初日のエミリーが森を眺めている様子=如何にも意味ありげですが、お話にはなんの関係も有りません。

・怪しすぎる管理人の行動=結果的には単に挙動が不審なだけでまったく怪しくない人物。

・エミリーが洞窟へ=蝶に導かれていますが、結局オカルト要素ゼロで、複線にすら成っていません。強いて良く解釈すれば、種明かしの映像にも在りませんがパパ(チャーリー)を追いかけて洞窟へ?

・毎晩零時五分~六分で目覚めるパパ=意味有りません。恐らく妻を殺害した時の時間のトラウマでしょうが、納得できる説明も有りません。

・隣人の夫婦喧嘩や奥さんの意味深な言動=結局なんでもありませんでした。無くなった子供の写真にダコダちゃんを起用しても、其れだけで隣人のエミリーに対する異常な執着の説明にはなりません。

・チャーリーの様々なイタズラ=恐らく愛する妻を殺害してしまった事による自己嫌悪がああいった形で現れて自分に罰を与えているのでしょうが、ダコダの人形(これはエミリー自信がやった事かもしれませんが説明無しなので)や猫を使う必要は無いでしょう。

・極めつけはラストのエミリーの絵(公開ヴァージョン)ですが、いったい何を意味しているのか?二重人格の恐怖が終わらない…って意味でしょうか? こけおどしに過ぎません。

※・上記と関連して第三者であるキャサリンの殺害にも格別意味は有りません。如何にもチャーリーが別に存在し、恐怖をあおる為の小道具でしかありません。

 等等、かなり意地悪に解釈しますと、お答えは『意味有りません』になります。あるいは『こけおどしです』。

ヤカンに関しては、#1の方の仰るとおりだと思います。『時間経過を意識していないパパ』。また、これに類するまあ納得の行く複線としては、主にエミリーの精神状態を心配しての転居の筈なのに、何故仕事(エミリーに関する事だけですが)中にヘッドフォンをして外界の音を遮断するのか?本来ならばエミリーに何か起きた時の為に耳を澄ましているべきでは?つまり『パパ怪しい』ですね。後警察官はパパの異常性に気が付いている節があります。これも後付の納得要素ですが、エミリーに向かって「もし私が居なければパパに話したい事はあるか?」と聴いています。まあ本来ならば『パパが居なければ私に話したい事は…」と成るべきですがそこまで言っちゃあばれますもんね、観客に。で上記の台詞と成るのですが、後から(ネタが判ってから)思い返すと成る程…と納得した気分になる事を狙っての演出でしょう。ヤカンと同じですね。また、重箱の隅をつつくように好意的に解釈すれば、冒頭の駐車違反等は、実は「パパ」はちょっと自分勝手な所があるぞ! という複線に成ってますかね?
余談ですが、児童心理学的にも、郊外への引越しについて「まった」をかけた嘗ての教え子(最後にパパを射殺する人ですが名前忘れました)の言う事が正しいですね。あのような辺鄙な場所では心に傷を抱えた子供の精神を回復させる事はまず無理でしょう。本来ならばもっと寂しくない所で、エミリーが現在の周囲の状況に早く溶け込めるようにするべきでしょうね。あのような所でめったに居ない友達連れてきたって効果薄いですね。まあ、「パパ」が現実から逃げ出したかったのだろうって思わせる事で、これもヤカンと同じ複線となりえますが(実はこの辺で怪しいなと思ってしまいました)。私も期待していたのにえらくすっきりしなかった為、辛らつな事を沢山書いてしまいました。出来ましたら他の観方、考え方を参考にしたいです。失礼しました。
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この回答へのお礼

なるほど、なるほど。

詳細なご意見に大変興味を持ちました。
キャサリンのシーンでは、結構びっくりさせられました。

すっきりしない映画で、エミリーの今後さえ気になります。

貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/19 14:49

#3です。


間違ってたらゴメンナサイ。

>キャサリンは殺された部類に入らないのでしょうか?
>勝手に窓から落ちただけという解釈(?)でしょうか。

窓から落ちて(落とされて)殺害されたのは「エリザベス」で
エミリーを助け、引き取ったのが「キャサリン」と思ってました。。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そういえば、私も勘違いしてたかもしれません。汗
落ちた人がエリザベスだった可能性が高いです。
すみません!うっかり間違っていました!

お礼日時:2005/05/27 05:52

こんにちわ



この映画は正直面白くなかったですね。
折角ロバート・デーニーロとダコタ・ファニングだったのに。
不完全燃焼でした。

#2さんの回答は納得!ですね。

ただ、最後のエミリーの絵ですが、あれは彼女自身がパパの様にもう一人の人格を作り上げた(もしくは作り上げつつある)のを表現しているのではないかと思いました。

彼女にとってはショックの大きすぎる日々でしたから。
その辛さをもう一つの人格に託してしまうのか、
はたまたパパの様に凶暴な人格として現れ、後々同じ様な事件を起こすのか、はわかりません。
なんにしろ単に思わせぶりなラストでした。

それから、自分としては「シャイニング」よりも「シークレットウィンドウ」に似ているなと思いました。

最近この手の作品が多いですが、「ハイドアンドシーク」は脚本が奇をてらいすぎてペケでした。。。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ラストや、多くの謎がある点で少しすっきりしないのが残念でした。
#2さんのご回答は詳しくてなるほど~!という感じです。
エミリーの絵については後を引きますよね。
ちょうどハイドアンドシークを見た直後にシークレットウィンドウを見たのですが、そんなに似ているとは感じませんでした。
ただテーマとなるものは同じだったかな?とは思います。
多重人格という人格障害のテーマはちかごろ良く取り上げられますよね。

お礼日時:2005/05/19 14:57

こんばんは。



デビッドが知らぬ間に手が汚れているのに気づくシーンで「おや?」と思い、やかんのシーンで確信をもってしまいました。

本人の知らないうちに何かが起こっているな?と。

>まず、なぜキャサリンが殺される必要があったのでしょうか?

キャサリンは殺されていませんよね?(襲われましたけど)

キャサリンが襲われる理由としては単に「正体を知られた」からではないでしょうか?

よく比較される「シックスセンス」は最後の最後までわからなかったので、正に衝撃の結末だったのですが・・

「ハイドアンドシーク」に関しては前半部分で結末がわかってしまい面白さ半減でした。

この手の映画は途中で判っちゃうとダメですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど。
キャサリンは殺された部類に入らないのでしょうか?
勝手に窓から落ちただけという解釈(?)でしょうか。

勘のよいかたにはすぐにわかった!というお話だったようですが、私は考えながら見ていなかったので、結構楽しめました。
でもすっきりしないというのは感じました。
シックスセンスはラストにちょっとした感動もあって、謎めきますがすっきりしてよかったです。

お礼日時:2005/05/19 14:53

わたしもすっきりしない派です(笑)。



キャサリンの件は、エミリーが彼女を嫌っていたからかなあ…と思います(パパと恋仲になるかもしれないと考えていた)。
だからエミリーの“友達”であるチャーリーが、邪魔者を始末したのかと。
エミリーは殺害までは望んでいなかったとは思いますが。

それから、やかんのシーンではまだわたしは気づきませんでした。
なので、かなりうろ覚えなのですが…
あれは、パパがやかんを火にかけたばっかりだったのに、その次の瞬間、もうお湯が沸いていた、というシーンだったと記憶しています。
つまり、お湯が沸くまでの時間、パパは記憶が欠如していた、ということが表れているシーンだと思います。
なので、その空白の時間はチャーリーとして過ごしていた、と見抜いた人が多かったのかもしれません。

わたしが犯人の確信を持ったのは、中盤以降でした。
どのシーンでわかった、というより、色々今までのことを考えていたら(窓が開いていたこととか、チャーリーが姿を現さないとはどういうことなのか、とか)もしかして二重人格なのかなあ…と。

『シャイニング』に似ている、という意見もあるんですね。なるほど…。考え付きませんでした。

想像の域を出ないので、わたしもほかの方の意見を参考にさせてもらうつもりです^-^
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この回答へのお礼

なるほど~、ありがとうございます!

やかんにはそういう意味があったのですね、もうお湯が沸いていた、とは気づきませんでした。

レビューを見ても「○○に似ていた」、という意見が多く参考にならなかったので、大変参考になるご意見ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/19 14:47

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