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サマセット(モーガン・フリーマン)が箱の中身を確認して、
その後ミルズ(ブラッド・ピット)が犯人を射殺するという
流れでしたが、こちらの展開に疑問があります。

ミルズは自分自身で箱の中身を確認していません。
犯人を射殺するという重大な決断をする局面で自分で確認し
ていないのは如何なものかと思います。

サマセットの見間違いで、箱の中身はミルズの奥さんではな
くよく似た別人かもしれませんし、精巧に作られた人形かも
しれません。

犯人は奥さんが妊娠していた事を知っていたので、奥さんに
接触したり会話したのは確定ですが、それでも100%殺害
した事の確証にはなりません。

私があの立場でしたら「それは本当なのか。何かの間違いじゃ
ないのか」と自分の目で確認しに行くと思います。

ただそれでしたら最初からミルズに行かせれば済む話。
脚本家、或いは監督は何故、サマセットに行かせたのでしょうか。

映画を見ていてとても不自然に思いました。
衝撃のラストというよりも、不自然さ・脚本の粗さが残るという
印象でした。
皆さんは如何でしょうか。

「映画「セブン」のラストに疑問があります」の質問画像

A 回答 (4件)

ミルズが自分で確認しないで撃つ・・という性格描写を冒頭から継続して表現してるじゃないですか・・・


それが ちゃんとした映画です。
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「セブン」を見たのは公開時というはるか昔に1回限りですので、記憶違いが多々あるとも思いますが…。




>ミルズは自分自身で箱の中身を確認していません。
犯人を射殺するという重大な決断をする局面で自分で確認し
ていないのは如何なものかと思います。

>私があの立場でしたら「それは本当なのか。何かの間違いじゃ
ないのか」と自分の目で確認しに行くと思います。

なるほど、「質問者さんは」そうなさるかもしれません。
私もおそらく同じタイプの人間ですので、同じように感じてはいます。

そして、「ミルズは」違うタイプの人間です。
作中でもすでに描かれていたと思います。
彼は良く言えば即断即決ができる人間であり、悪く歪めて言えば直情径行です。

犯人はそのことを知っていましたよね。
映画途中の追跡劇で、彼は自分を追うミルズがどういう性格の人間か知った。
そして彼は自分の"完璧な作品計画"(くだらないが)の完璧な完結が可能になったと喜んだのではないでしょうか。
あの「犯人の」視点からすれば、ミルズは劇中人物にうってつけだったのです。
だからこそ彼の妻を被害者に選び、ミルズを自分の劇中人物として動かすための仕掛けとした。

なぜサマセットがあの時、あの箱の中身を確かめに行く役目を選んだか?
サマセットはミルズとは違うタイプの人間です。それに長年殺人事件を担当してきた熟練の刑事です。
だから、上手くいっているようでいて、実はこれは犯人の掌で踊らされているだけなのでは…、という嫌な感覚があったんでしょう。
あの配達物が偶然あの場に届くわけがない。今までからすると、確実にあの場に犯人が届くように仕組んだ何かです。
自分たちは罠にはめられていた。
だって、あの場を前もって指定していたということは、犯人は完全にこの流れを読んでこの2人を誘い込んだという証拠ですから。
罠の顎が落ちようとしている。
だから自分が確かめに行った。サマセットもミルズの性格を知っているからです。
ミルズに確かめに行かせて、自分の想像以外の何かであった場合、ミルズは何をやるかわからない。事態を悪化させかねない。だからです。

サマセットは「自分の目で確かめに行く」タイプの人間です。彼はいろんな可能性を考え、熟慮してから決めたいタイプの人間です。

そしてそこまで犯人は読んでおり、サマセットの警戒心は裏目に出たのです。

なぜあの場でミルズは自分の目で本当かどうか確かめもせず、犯人を殺したか?
もうあの時しかチャンスがないからです。
サマセットが戻ってきて犯人を拘留すれば、犯人を殺すのは難しくなりますよね?
だからです。
自分は銃を持っていて、犯人と至近距離で二人きり。
それに犯人が何を言ったかも見当がつきます。ミルズにこれをそのまま言ったはずです。「復習したいならチャンスはいましかないんだぞ」、と。

ミルズは直情径行な人間ですが、刑事をやるだけあって馬鹿ではありません。
犯人の言葉だけで、あの箱の中身に確信を持った。
ミルズは今までずっと、犯人がどういう殺人犯か最前線で知る機会があった人間です。
犯人が必ず、本人の言葉通りの殺人をやる人間だと言うことを知っていた。
ミルズもまた、犯人がどういう人間か知っていたからです。

そしてこれは2つの意味もあります。
作中で他の被害者たちも、犯人に「言葉で」追い込まれて自滅していき、死を選んでいましたよね?これがまず最初の意味です。
犯人は短時間で、人に自滅や悲惨な死しか選べなくなるほど追い込むだけの言葉の力を持っているのです。
驚異的な人心掌握力です。
質問者さんが不思議には思ったのはミルズの選択だけなのですか?作中の他の被害者たちだって、本人がとても嫌だと感じただろう死に方や行為を自ら選んだかのような死に方をしていた者ばかりだったではないですか。
これは犯人が言葉で彼らの心理を巧みに操り、誘導し、思考能力を奪い、自らそういう残酷な死に向かって追いやったからです。犯人はそれだけの能力を持っている。
だからこそ、犯人はミルズであっても、あの場で「あの箱の中身を確認せずとも妻の頭部だと信じさせることができた」のです。
それが2つめです。

質問者さんは「自分なら自分の目で確かめに行く」と思っていますよね。私も自分がそういう人間だと思います。
しかし、悪魔的な言葉の力と知恵を備えた犯人に実際に追い込まれて、自分自身があの場にいたなら、ミルズのような決断をしたかもしれませんよ。


>脚本家、或いは監督は何故、サマセットに行かせたのでしょうか。

むしろ逆だと思います。
最後の選択肢に説得力が出るよう、犯人、サマセット、ミルズの性格をきちんと作り上げて細かく描写を重ね、最後にらせんが収束するのがあの最後のあのときだけ雨が上がった場面です。
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>サマセットの見間違いで、箱の中身はミルズの奥さんではなくよく似た別人かもしれません



サマセットって一般人ではなく刑事ですよね。そんな勘違いをかますようなポンコツではないと思います。劇中には描写されていないかも知れませんが鑑定とかそれなりの裏を取った上での発言であると捉えるのが普通かと。
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それ以前に不快な画が続く作品だった上、胸くそ悪いエンディングだったので、気が回りませんでした。

というより考えたくない作品でした。
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