
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
おそらく由来は妙見信仰から来るものではないかと思います。
戦国大名などの家紋や甲冑、旗印に月や星、太陽などの文様が用いられています。当時、北斗七星は周囲の星が動いても不動の位置で中心であり旅人を北へ導くことから、武士の間では月や星には特別な力があり、その力にあやかろうと特に武将の家紋や武具などにふんだんに取り入れられています。
詳細は下記のURLにも書かれていますのでご参考までに。
http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/afjpkamon.htm
参考URL:http://www.koboku.co.jp/tango/5-tango/tango-faq. …徳川
この回答へのお礼
お礼日時:2005/07/09 09:19
ありがとうございます!
紹介していただいたサイトを見てきました。とても参考になりました。
月や星に対してそういった考えがあったんですね。勉強になりました。
No.2
- 回答日時:
兜の前立てといいますが、あれは完全な飾りなので、各自、自分の「主張」があそこにこめられています。
可能性としては(1)おしゃれ(かっこいい)、(2)宗教的な理由(武運を祈る)の二つが考えられますが、月に対する呪術的な信仰は相当古い時代からありますので、伊達政宗の場合には両方ではないかと思います。
満月でなくて三日月なのは、満月にすると意匠として太陽と区別できないから。太陽は円、月は三日月で示すのが、当時のデザインの約束事でした。
もうひとつ、兜の前立てや角には、昔からU型のものが多いので、これにならっているだけで、特に月をイメージしているわけではない(バリエーションでUを平らにつぶしただけ)という可能性もありえます。
この回答へのお礼
お礼日時:2005/07/09 09:14
ありがとうございます!
確かに、満月だと太陽と区別できないですよね。なるほど・・・。
今、月信仰についての卒業論文を書いているので、参考になりました。
No.1
- 回答日時:
伊達家の家紋は現在までに8つ、正宗の代の時は6つありますが、その中に月をあしらったものはありません。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~date-18/kamon.html
正宗に関する逸話の中にこの弦月形前立に付いての話は特にないようです(あまり知られていないだけかも)。
ちなみに、三日月の左側の方が長いのは、刀を振り上げたときにじゃまにならないようにとのことです。
又、歴代の伊達家藩主の前立は半月形で、正宗のものと同様に左に傾いています。
この回答へのお礼
お礼日時:2005/07/09 09:09
お礼が遅くなって申し訳ありません。ご回答ありがとうございます!
三日月の左側が長いのには、そんな理由があったんですね。初めて知りました。
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