大人になっても苦手な食べ物、ありますか?

小説って言うのは主人公が自分で物語を組み立てていくのと自分は入ってなくて客観的に見た形式があるんですか?例をあげると、綿矢りささんのは前者で山田悠介さんが後者ですよね?

A 回答 (3件)

まあ、そういうことになりますが、すっぱり2つに分かれているわけではありません。



まず、記述形式と視点は、微妙に違います。

「私」「僕」などが語りかける調子の文章で書かれたものは、一人称の記述形式です。また、第三者が客観的に見た形で書かれているのは、三人称の記述形式です。

一人称の小説でも、途中で三人称になったり、別の人物の一人称になったりと、小説の部分によって切り替わることがあります。

一人称の場合は、通常、「僕」「私」などの視点で書かれています。では、三人称の場合は完全に客観的に書かれているかというと、そうではありません。三人称でも、たいていは登場人物の誰かの視点で書かれています。

例えば花子の視点で書かれている場合は、こんな感じです。

*****
花子がドアを開けると、いまにも泣きそうな顔をして太郎が立っていた。「きっとふられたんだわ」と花子は思った。
*****

という具合に、三人称でも花子の行動や考えが主体で話が進んでいて、太郎がどう思っているか、なぜそこにいたのかは、地文では語られていません。読者は花子に感情移入して読んでいくことになります。

ミステリでは、三人称でも、たいていは探偵や被害者側の視点で書かれています。本当に客観的な視点であれば、誰が犯人で何をやったかは明確なわけですから、面白くありません。

この視点が、章や節、ときには段落によって切り替わっていく小説もあります。

一応小説を書く基本的なテクニックとして、視点をあまりころころ変えないというのがあります。読者が混乱するからです。

どういう視点で書くかというのは、小説の重要な要素の1つです。私は綿矢りささんのも山田悠介のも読んだことがないので、実際にはどうなのかわかりませんが、小説家によって好きな手法、得意な手法はありますね。でも、多くの小説家は、小説によって一人称にしたり、三人称にしたり、1人の視点で通したり、複数の視点を次々と切り替えたりと、工夫を凝らしています。同じ小説家でも、作品によって違います。
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よく言う「一人称」と「三人称」という視点での書き方ですね。



「一人称」は誰か一人登場人物の視点で書かれるものです。主人公視点のものが多いですね。
「わたしは」や「ぼくが」といった書き方です。
こちらは一人称の対象となった登場人物、(主人公など)の内面や心情を描きやすいのが特徴です。
ただし、あくまでも視点は主人公本人ですから、主人公が知らない事や、その場にいない場面の事は書くことができない、というのもポイントです。

「三人称」は他者の視点からみた書き方。いわゆる「神の視点」です。
どの登場人物でもない、第3者からみた視点が描かれます。
「彼らは」とか「彼女は」といった視点です。

他に「二人称」というものありますが、こちらは殆ど使われない書き方です。
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俗に言う「一人称」と「三人称」ですね。


主人公の視点で描かれているのが一人称、
他の登場人物あるいは「神の視点(登場人物でないところからの視点)」で描かれているのが三人称
です。
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