プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私は普段、神頼みというような事はほとんどしません。
初詣も、今までに行った回数を数えるのに片手で十分だと思います。
ついでに言うと、お墓参りも仏壇に手を合わせる事もほとんどしません。
(さすがにこれはまずいかなとは思ってますが・・・)
で、漠然とした疑問なんですが、神頼みって効果あるんでしょうか?
占いを専門的にされている方でも、神頼みってしますか?
霊感占い以外の占いって、ちゃんとした学問のようなイメージがあるんですが、
神頼みとは別次元の内容ですよね?
霊感占いは、どこから(誰から)占い結果を導き出してるんでしょうか?

神頼みというのは、一部の例外を除き、大概が欲にまみれたものだと思うんですが、
そんな頼みをほいほいと聞いてくれる神様なんているんでしょうか?
それとも、宝くじで3億円当たるような人ってのは、実は神様に声が届いた人だったりして?

ほんとに漠然とした疑問です。
一般の方に聞くよりも、このカテにいらっしゃる人の方がより答えに近い場所にいるのかなと
思い質問させていただきました。
どんなことでも結構なので、思ったことを解答してもらえると助かります。
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

信じる、信じないというのもありますが、普段でも神様はあなたを守られております。


ただ直接守っているかというとそうではなく、ご眷属や守護霊などを使って守られています。

神様とは非常に大きく、普段の小さな願いならばまったく動きません。一般人の願いならご眷属や守護霊で十分なのです。
では神様とはどのようなときに動かれるかというと、やはり大きな願い、大きな志のときに動かれます。普段は神様は大きな人間(国を動かす人、科学の進歩に貢献する人など)に対してお働きになっていますが、ときに一般人にでも大事なご用の時に動かれるときもあります。

もちろん一般人にも神様が直接動かれる大事な時期があります。それは出産、就職、結婚、離婚、死亡のときです。主に産土様が動かれます。出産したあとにお宮参りするのは産土様にお礼を申し上げにいくためです。

普段から神様に感謝している方はいざというときの神頼みも通用することがあります。神様も「よしよし、普段からわしの苦労を知って感謝しているから今回は特別に願いを叶えてやろう」というように。もちろん決めるのは神様ですからどういう結果になるかはわかりません。

また、神様はその人の努力を望みます。「お金がほしい」という願いが叶えられたらおそらくものすごい厳しい仕事がきて、その仕事を成し遂げられた結果お金が得られる、というやり方をされます。大きい神様ですから相手にも大きな努力を与えます。ポンと3億円はくれません。

では3億円当たった人というのはどういう人かというと、前世で物施を施した方とかでしょう。すべてが神様の為せる業ではありません。徳とか業(劫)とか複雑にからんでいますので3億円が当たった原因というのはいろいろです。その3億円でぐうたらになるのがわかっているのなら神様がしたことではないでしょう。
    • good
    • 0

西洋占星術とタロットの占師です。


タロットを学んだ時に聖書の勉強の為、しばらく教会に通ってました。

神社(神道)のそれとは違いますが、『神の存在』って『願い事をかなえてくれる便利な人』って事ではないと思います。
そんなイメージを勝手に持ってるだけでしょう。
『神頼み=神に対しての誓い』みたいなものじゃないかな。

自分の願い事を達する為の誓い。

交通安全のお守りって『事故に合わないように』の願いを込めて買うでしょ。
でも、事故る事もある。
安全を願うけど、叶える事とは違う。

お守りをみて『今日も気を付けよう』と思う事がお守りの意味なのかもしれませんね。
神に対する祈りもそうなんでしょう。

また、安全を願ってお守りを貰う事もある。
それも『願い事を叶える』って事より、『心配している人の気持ち』を受け取っているんじゃないかな。

日本人の信仰心はよその国より低いですよね。
それは安直に『神=便利』って考えがあって、『神=心の力』って考えになりにくい。

だから、『神はいない』とか『神頼みをしてもムリ』ってなっちゃう。

神って『いる』とかって事が重要じゃなく、『いる』って前提で生きようって考えのシンボルじゃないかな。

願い事を叶える存在が神なら存在しないでしょ。
でも『心も力』を与えてくれるモノなら対象は何でもありになるよね。

神って『便利で不思議な力』の持ち主って事じゃないし、そんな都合のいいものあるわきゃない。

祈りの対象で自分の心を強くさせる為のもの。かな。
    • good
    • 0

神を信じるときもあり、信じないときもある立場の人間ですが


「神頼み」って神に「お願い!」って側面もさることながら、
自分の意志の再確認・強化 見たいな意味合いも相当に強いのでは?
と感じることが多いですね。
やはり意志なきところに道はひらけませんからね
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど、初詣だと1年の抱負を述べたりもしますからね。
たまーに初詣に行っても、何をお願いすればいいのやら途方にくれましたが、
そういうのはいいですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/08 20:31

民俗学の一つの考えとして、神とはもともと漠然として攫みどころが無く、なのに大きな力を持つような存在です。

幸福を得て、災厄を退けるために人間は神を操る術を模索しました。その術には色々あるのですが
典型的なものとしては「文字」であったり、舞であったり、名をつける行為であったりします。
 しかし、人間は幸福を得る手段として神操りよりも「科学」のほうが有効なのではないかと考え、今では「科学」が主流となっています。
当然、科学ですべての問題が片付くわけではないので神頼みや信仰も
幸福を追求するための重要な手段ではあります。
 私は科学と理性こそが人類に幸をもたらすであろうと考えています。
従って神に対しては以下のような態度をもって臨みます。
「神仏を尊んで神仏を頼まず」
    • good
    • 0
この回答へのお礼

民俗学では神とは畏怖の対象で、神頼みといえば、
「怒りを静めたまえ~はんにゃ~かんにゃ~」というのが元々の姿ということですね。
「科学」と聞いて思ったんですが、たった半世紀でとんでもない成長を
遂げてしまったせいもあって、神様を便利屋にまで貶めてしまったのかなぁなどと思いました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/08 20:29

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!