プロが教えるわが家の防犯対策術!

外国にも神輿、に相当する行事とか、概念とか有りますか。
これは日本独特の物かな?と思えたので質問することにしました。

今や、日本の文化は世界が注目するようになって来たらしく、それを通して日本人自身が自分たちの文化の精神性に優れた点を再認識し、それが自信にもなってきている様です。

神輿って神様を載せる物ですよね。

大昔から今日まで神様を祀ってきた日本人の感性が日本文化の根底に有って、その神様は"好ましい神様"だったから今日の平和な日本の社会が築かれたんだと思います。

唐突に"皇室"の事になりますが、今週の週刊誌の皇室に関する記事で美智子様が雅子様に妃としての心構えを伝授したといいます。(伝授という表現は不適当ですが)

その内容は美智子様のお心の深さが尋常では無い事を知らして居ます。

国民の大多数が皇室に好感を抱いていて、それは国民全体が神輿であるように思えたのです。
とは言っても少数ではあると思いますが皇室に反感を持つ人もいて、それはそうならざるを得ない境遇に置かれた方々だと思えば、それも当然の事で否定する訳ではありません。

伊勢の神宮の神聖さに相当するような聖地は他の国にはなさそうですね。
外国の方が訪れてもその神聖さに心引き締まると云います。

やわな頭で一生懸命作文したので、回答待ってます。
宜しくお願いいたします。

質問者からの補足コメント

  • うれしい

    私にとっては、こうした幼稚な質問に戴く回答は総てベストアンサーと思えてしまうのですが、今回は敢えて、一つ選ぶことにしました。

    皆様ありがとうございました。
    勉強、します!

      補足日時:2016/01/22 10:28

A 回答 (18件中1~10件)

>神輿って神様を載せる物ですよね。


まあ、そうなんですが「神様を載せる」という定義だけでいいなら、世界中に神輿のようなものはあります。

他の方が聖母マリアを乗せた神輿について書かれていますが、その程度なら世界にたくさんあるでしょう。

問題なのは神輿というのはなにか、ということとその類似性です。

日本の神輿の最大の特徴は「地域の神様」ということです。氏神ともいいますが、地元の神様が乗る輿だから「神輿=御輿」なのです。そういう点では山車も同じです。大きな町で地域地域の御輿や山車が集まっても基本的には全部違う神様が乗っているのが普通です。

地域の神様=その地域の集合の象徴であり、地域の誇りが詰まっているのが神輿であるといえます。ですからその点で、日本の最大の神輿は皇居に住まわれる天皇であり、日本の象徴である、というのは正しい定義であるといえます。

このような「担ぎ出される象徴」としての神輿(神輿は祭りの前に神社から勧請され、終わると神社にお帰りいただく儀式をします)という点では、聖母マリアを乗せた輿はちょっと意味合いが異なります。聖母マリアはカソリックの象徴であって比較的普遍なものだからです。

この点で言えば、たとえばバリ・ヒンドゥーの神輿は日本のものと似ているかもしれません。ヒンドゥー教の合同葬式の際に死者は御輿に乗ってあの世に旅だつのですが、合同葬式まで時間があるために死者はすでに修行した霊(よい神)になる途中であり、それが輿にのって旅立つというもので「地域のすべての死者=共同体としての生と死」が輿に乗っているのが特徴でそれを村を上げて見送る=祭りになっているといえます。

つまり日本のスタイルとは異なりますが「地域の集合としての象徴」であるのは同じであるといえます。

また、台湾には媽祖祭という海の神様のお祭りがあるようです。全土(と横浜中華街)で行なわれるようですが、ここには媽祖様が乗った神輿が登場し、その下をくぐることで無病息災を記念するようです。これはマリア様の神輿よりは日本的でしょう。

基本的に神輿は一神教ではありえませんね。すべての地域や社会集団がひとつの神を信仰しているからです。ですから教会はあっても神社(それぞれ神が違う宗教施設)はありません。
 もしかしたら中国の土俗宗教とかインドの宗教とかには神輿と似た物はありそうです。

逆になんですが、一神教が土俗宗教を破壊した例もあります。たとえばイタリアの道祖神です。

イタリアは、ローマの時代は多神教で有名なローマ街道には方々に道祖神が立っていたそうです。当然に地域の神様であるわけですが、ローマがキリスト教を国教化したあと、これらの土俗神はすべてキリスト教の聖人(守護聖人)に変わっていきました。
http://blogs.yahoo.co.jp/numa44jp/40838657.html

一神教は地域の象徴である氏神を破壊し、同じ神をあがめることを強要したのです。ですから、地域の象徴である神輿とマリア様や十字架の乗った御輿を同じに扱うのは、本質的なところで問題があるといえます。

まあ、そういう細かいことを除いて「どんな神様でもいいから、載せてみんなで動かしたら神輿」というなら世界中にいっぱいあるといえるでしょう。
    • good
    • 4
この回答へのお礼

お礼が遅れ、すみませんでした。

皇室を神輿の主という私の"想い"を汲み取ってくださって、嬉しく思いました。

ありがとうございます。

お礼日時:2016/01/22 10:21

次の図はこれです。


結婚式。
輿入れとも言いますが、こちらはめでたい写真です。
もしかしたら、人が死して先祖に成るという考えは、死を陰険なものとして捉えるのではなく、厳かなものとしてとらえた結果、御輿に死者を乗せるということがあったのかもしれません。
前回答の方は、宮型霊柩車にも通じますね。
「神輿、って日本独特のものですか?」の回答画像18
    • good
    • 1
この回答へのお礼

神輿は矢張り人間の精神の象徴を載せる"乗り物"なんだと思いました。

人間在る処、神輿有り!
こんな感じです。

ありがとうございました。

お礼日時:2016/01/22 10:25

下の写真、なんだか分かりますでしょうか。


これは江戸時代の葬儀の図です。御神輿のようなものに無くなった方が乗っています。
人は死後、先祖に成るという考えから、この神輿のようなものに死者を乗せて手厚く葬ったのではないでしょうか。
神輿は霊魂を乗せる乗り物、と思ったのですが、次の回答に続きます。
「神輿、って日本独特のものですか?」の回答画像17
    • good
    • 1
この回答へのお礼

お礼が遅くなり、すみませんでした。

№18にお礼しました。

お礼日時:2016/01/22 10:22

1あほな、ありがとうございます!ヽ( ´ー`)ノ


(それが聞きたいがためにこの名前をつけた)

神輿の起源:みんな大好きウィキペディア↓です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E8%BC%BF …

縄文時代からあったという説がありますね。古いですねー。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

お礼が遅れすみませんでした。

ウィキ見ました。
人間って精神的に依存出来る対象が必要なんでしょう。
改めてそう思います。
大から小まで。日本人にとって神さまは、ほんとに八百万なんですね。
そしてそれが今日まで継がれて居る事に感心してしまいました。

ありがとうございます。

お礼日時:2016/01/22 10:02

お礼ありがとうございます。


他の回答者の人の回答のとおり、アーク(聖櫃)は、バビロン捕囚前後に行方不明(一説にはエチオピアに運ばれたというものがあります)になっているので、現在はありません。
したがって、現在のイスラエルではそのような行事はありません。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

お礼が遅くなりすみませんでした。

現在は無いと云う事ですが、精神的に依存するものが他の物に取って替られているのかも知れませんね。

ありがとうございました。

お礼日時:2016/01/22 09:45

№12のおぎないです。



▲ (檜原(ひばら)神社) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
http://bell.jp/pancho/travel/yamanobe/hibara_jin …

§ 2 神遣い(かみやらい)にあった神たち

『日本書紀』の崇神記によれば、第10代崇神天皇の6年、皇女・豊鍬入姫命(とよ
すきいりひめのみこと)に託して天照大神を宮中から大和の笠縫邑に遷し、その場所
に堅固な石の神籬(ひもろき)を造り祀ったという。

第11代垂仁天皇の25年になって、天照大神を豊鍬入姫命から離して倭姫命(やま
とひめのみこと)に託すことになった。倭姫命は天照大神を鎮座させる場所をあちこ
ち探したが、最終的に大御神の希望を入れて、伊勢国の度会宮に遷したという。

  ☆ 【ぶらじゅろんぬの勝手な註】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  西暦300年ごろに充てられる崇神ミマキイリヒコの物語ですが これを天皇と呼ぶ
  のは 後世からのあとづけです。天皇家の祖先であることに間違いはないようです。

  崇神は 神武カムヤマトイハレヒコと同じように《初国しらしし(おさめた)すめら
  みこと》と呼ばれています。初代《天皇》であると。初代がふたりいるわけです。
  (これは 事実ですよ。そう書かれています)。

  その後の天皇の系譜とは政略結婚によってつながっていると見られます。

  つまり 大きく天皇家は ふたつの筋に分かれます。3世紀のこの三輪イリ政権と
  400年ごろに河内(かふち)で始まった河内タラシ政権とです。後者が その後
  主導権をにぎりました。

  その信奉する神が アマテラスです。三輪山のオホミワ神社にもこの神を祀れと言っ
  たのだと推し測られます。ちなみに この三輪ないし纏向(まきむく)の地は 例の
  卑弥呼のものではないかと言われる箸墓(はしはか)があるところです。それは 3
  世紀のことです。

  要するに《最終的に大御神の希望を入れて、伊勢国の度会宮に遷したという》という
  のは この河内タラシ政権の信奉するアマテラスは それまでの伝統ではなかったと
  いうことです。それなら伊勢にでも遷すかということで 遷したあとではあたかも日
  本全国の《伝統》であるかのようになりました。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



天照大神の遷宮に関する伝承は、一種の神遣い(かみやらい)を物語るものと解して
よい。神遣いの対象とされたのは、天照大神だけではない。倭大国魂神(やまとのお
おくにたまのかみ、大己貴神の荒魂)も同時に宮中から追い出された。その理由が
『日本書紀』に記されているが、要領を得ない内容である。その部分を以下に転記し
てみよう。

 これより先に、天照大神・倭大国魂、二の神を天皇の大殿の内に並祭る。然うして
 其の神の勢いを畏りて、共に住みたまふに安からず。故、天照大神を以ては、豊鍬
 入姫命に託けまつりて、倭の笠縫邑(⇒檜原神社)に祭る。云々"

問題となるのは、第二センテンスの解釈である。天皇を主語と解すれば、この二神の
霊威が強力で畏れ多いので、同じ宮殿で一緒に住むのは精神的に落ち着かないとなる。
だが、主語を神と解すれば、それぞれの神の霊威が強く、そのため二神が同床にある
のは畏れ多いことだとの意味にとれる。したがって、二神をそれぞれ他へ遷すことに
したという。

  ☆ 【勝手註】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  要するに《二神》というのは 一階(国魂:おほなむち=おほくにぬし=すさのを)
  と二階(タカマノハラなるアマテラス)のことです。

  アマテラス系たる天皇家の内でも 《河内タラシ系 と 三輪イリ系》との双対で
  す。

  《神遣い》というのは 三輪の大神神社が アマテラスをそのど真ん中にまつれと
  いう河内タラシ政権からの要求をことわったことを意味します。

  でも 伊勢の地のやしろを見事に 全国民の崇拝する宮とするのにタラシ系天皇家
  は成功しました。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

宮中から追い出された天照大神は、豊鍬入姫命によって笠縫邑(=檜原神社)で祭
祀されることになった。倭大国魂神は淳名城入姫命(ぬなきのいりひめのみこと)
に託して祀ることになり、神地を穴師(あなし)邑(むら)にさだめた。だが、淳
名城入姫命は髪が落ち体がやせて祀ることができなかったので、やむなく大倭直(お
ほやまとのあたひ)の祖の長尾市宿禰(ながおいちのすくね)に命じて鎮め祀らせ
たという。天理市新泉町にある「大和神社」は大国御魂神を祀る神社である。

現在、檜原神社の境内には、豊鍬入姫命を祀る豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみ
や)が建っているが、その創祀は新しく昭和61年11月5日である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    • good
    • 2
この回答へのお礼

いや、ほんとに凄いですね。ブラジュロンヌさんは。
微に入り細を穿つ、という様な回答で私は抱えきれません。

でも、とても興味を引かれてしまい"勉強"したくなります。

ただ、この批判精神は強すぎて"激流"の様で、大木をもなぎ倒し押し流してしまっている様で、そこのところが気になります。

私は""お二階さん"は必要だと思うのですが?
ありがとうございました。

お礼日時:2016/01/22 09:42

★ (№8お礼欄) ~~~~~~~~~~~


これはブラジュロンヌさん独特の見方ですか。

それとも、一般的認識に沿っていますか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 一般的な認識として成り立つと思っています。

ただし 伊勢神宮について批判的に捉えるのは これも一般的に控えるのがよいと
いうことになっています。控えないと ケンカを売る意味合いがあります。

たとえば 実際には大神神社は アマテラスを祀ることをこばんだのですが・そし
て その摂社のひとつに祀るという妥協策をえらんだのですが それについて今で
は 角の立たないように表現して説明しています。

大神神社の境内マップからです。
▲ 【23】檜原神社(ひばらじんじゃ) ~~~~~~~~~~
崇神天皇の御代に宮中よりはじめて、天照大御神を遷し祀られた倭笠縫邑(やまと
かさぬいのむら)の地。(* この地が 檜原神社だという意味)。

伊勢の神宮の始まりの場所で元伊勢と呼ばれる。
本社(=大神神社)と同じく、本殿がなく三ツ鳥居を通して神座を拝する古代祭祀
の姿をとっている。
神社近辺からは大和平野の眺望が素晴らしい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 無難な表現にとどめています。
つまり もちろん《宮中(ただし実際には もっとのちの朝廷なのですが)》は
大神神社の本社のど真ん中にアマテラスを祀ってくれと要求したのです。

もともとうしろの山(三輪山)が神であるのだから 勝手にあたらしい神を祀るわ
けには行かない。うんぬんといった一悶着があったと捉えられます。

言いかえると 《朝廷》に対して ひと悶着を起こすような権威が大神神社にはあ
ったようです。伝統だったのでしょう。

つまり こういう見方は一般に学者らは隠している。その意味で わたしの独特な
《偏見》です。



つまり 《崇神(すじん)(ミマキイリヒコイニヱのミコト)天皇》のふるさとと
言える三輪の地とそこの大神神社に対して 《宮中》から要望を告げている。おか
しいぢゃありませんか?

崇神イリヒコは 言わば ムラヲサ(市長)のようなものでした。まだ《天皇》は
ありません。せいぜい おほきみ(大君)でした。あとで河内の方面で アマアガ
リしてスメラミコト(天皇)になった《朝廷》が 三輪の神社も おれたちの言う
ことを聞けと言うようになったことを物語っています。

そのあと すったもんだがあって やっと(やまとからは結構遠い)伊勢の地にア
マテラスを祀る神宮を建てることになりました。むろんその地には トヨウケ(豊
・大・餉)オホミカミ(つまり 五穀豊穣の神)が祀られている神社がありました。
これが いまの外宮となっているわけです。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご返事が遅くなってしまいました。
№13にお礼しました。

お礼日時:2016/01/22 09:34

中つ国とは瑞穂の国であって、中国である(世界地図の中国ではないぞ)。


馬鹿用に書き損じた。その私も馬鹿であることは認める。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

いえいえ、弘法も筆の誤り、ではないでしょうか。

お礼日時:2016/01/17 00:03

みこしは欧州にもあります。


中つ国は日本にもあり、中国にもあり、欧州にもある。それと同じだ。
勉強不足だ。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

不足、まで行ってません。
勉強、してないんです。

すみません。

お礼日時:2016/01/17 00:01

アーク(聖櫃)に関しては、|神|の啓示は|神|の言葉であり、|神|そのものと解釈される場合もありますから、|神|を運んだと考えても、あながち間違いではありません。

(ユダヤ教では、|神|は唯一絶対ですが、それはあまねく偏在すると考えられ、その言葉も|神|の遍在と解釈されます)
基本的に偏在するから、教会もどこにでも作れるわけです。(|神|への祈りもどこでも行えます)
|神|は、ユダヤ教の唯一絶対な信仰対象を示し、広義の神では無いと言う意味で、この表現にしています。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

古代イスラエルでは神輿が在ったと云う事ですね。

現在はどうなんでしょう。

ありがとうございます。

お礼日時:2016/01/16 23:57

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す