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日露戦争の開戦の原因を知りたいのですが、誰か教えてくれませんか?

A 回答 (3件)

日露戦争は1904-5年に日本とロシア両国が、朝鮮と中国東北部の権益をめぐって戦った戦争です。

両国の背後には、列強の帝国主義的利害の対立があったため、戦費の調達や講和などに各国の利害や思惑が絡んだのです。一方で、新興国日本の大国ロシアへの挑戦として世界の注目を集めました。
[背景]
日清戦争によって、清国が敗北した結果、日本は朝鮮半島に対する支配権をより強固なものにすることに成功しました。しかし、当時旅順・大連に駐兵して実力で中国東北部を支配していたロシアの影響はまぬがれがたいものがありました。ロシアは中国東北部の独占的支配を求めていたため、三国干渉による日本の遼東半島放棄後も、この地方に対して鉄道・軍事基地の建設を行い、強固な支配権を確立しようとしていました。1896年の李鴻章との露清同盟密約、98年の旅順・大連地区の租借、さらにシベリア鉄道の建設に平行して東支鉄道の敷設権を獲得したのもその現れです。
この当時、帝国主義諸国の注目は極東に集まっており、列強は清国を舞台に分割競争を争っていました。
1900年に義和団事件が起こると、ロシアは満州における鉄道利権の保護を名目に大軍を投入し、事実上この地域を占領しました。一方、中国分割競争に立ち後れていた日本は、この事件を競争の遅れを取り戻す絶好の機会と見なし、連合国の一翼を担って大軍を派遣しました。
このことは、列強に対して日本が「極東の憲兵」として有効な軍事力を持つことを証明して見せることとなりました。
この事件とその後を通じて、日露の対抗関係はますます深まってゆくこととなるのです。
事件後、ロシアは1902年4月に満州還付条約(4)を締結し、同年10月以降、三期に分けて中国東北部からの撤兵を約したが、依然駐留を続けその支配を強化していきました。
その背景にはロシア政府内における強硬派の台頭がありました。このことは朝鮮を支配し、さらに中国東北部の市場独占を目指す日本資本主義にとっては、更に脅威を増大させる結果となりました。1902年に締結された日英同盟は、この事実を前にして、日本資本主義がロシアと対立するイギリスとの同盟を結ぶことによって、共通の利害にたつ大国の保証を得ることに成功し、更に対露戦の準備を進めることを可能にしました。この同盟関係は、ヨーロッパ諸列強の対立、すなわちドイツが、フランス・イギリスとの対抗上ロシアを支持し、ロシアの兵力を極東へ向けようとする政策をとり、また露仏同盟をむすんだフランスがロシアを援助し、これらの三国が、イギリス・アメリカと基本的対立関係を取っていた状況に、日本が参加したものと言うことができます。したがって日露戦争は、このような帝国主義諸国の対立を背景として、しかもこれら諸国の利害の対立が、当時集中的にあらわれていた極東を舞台として戦われた戦争だといえます。
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この回答へのお礼

 教えてくれて有難うございます。実は、いろいろと資料を探してみたのですが、なかなかいい資料が無くてとても役に立ちました。本当に有難うございました。

お礼日時:-0001/11/30 00:00

おおざっぱにいえば、日清戦争に勝った日本とロシアの満州における利権の対立、それと、保護下に置いた朝鮮にチォッカイ(具体的には、朝鮮政府の黙認のもとに山林の伐採をはじめた)を掛けてきたこと。


 日本としては、このままだと、せっかく手に入れた大陸での利権と朝鮮政府に対する支配権までも脅かされた。
 日露戦争については
     日露戦争(児島襄著・文春文庫)
 が詳しくかかれています。
 

 

参考URL:http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/2semi/japru …
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この回答へのお礼

教えてくれて有難うございます。とても役に立ちました。

お礼日時:-0001/11/30 00:00

補足ですが、私が思うに、司馬遼太郎氏の


「坂の上の雲」全6巻
を読むと参考になると思いますよ。
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この回答へのお礼

補足有難うございます。残念ながら「坂の上の雲」というのは持っても見たことも無いので・・・。有難うございました。

お礼日時:-0001/11/30 00:00

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