【大喜利】【投稿~9/7】 ロボットの住む世界で流行ってる罰ゲームとは?

マナーって「思いやり」だと思ってたんですが、
「不快な気分を与えない」のがメインになってしまって
いるような気がして。。。
そこに「思いやり」があるのかなぁ?と思いました。

ムカシ読んだ本か何かでこういう話がありました。
「ある国の女王サマが他の国から来賓を招き、食事会を催した
その来賓は「フィンガーボウル」を知らずに、ボウルに
入っていたお水を飲んでしまった。テーブルに並んでいる他の
来賓や、大臣たちはそれを見てクスクス笑っている。女王は
それを見て、すぐに自分もフィンガーボウルの水を飲んだ」

本来なら、「フィンガーボウルは飲まないものである」
なんでしょうが、もてなしたい客に対しての行動、としてあるのが
マナーであれば、これは「思いやり」として理解できるのですが。

マナーって誰のためにあるんでしょう?
女王は、これはフィンガーボウルと言って、指先をすすぐために
あるものなんですよ、とみなの前で教えてあげるのが
よかったんでしょうか??

たくさんの方の意見をお伺いしたいので、よろしくお願いいたします。

A 回答 (9件)

それは 例えば電車の中。



帰宅ラッシュで込み合う車内の皆の顔には否応もなく疲れが漂っている。

と、電車が急停車し、隣りに立つサラリーマン風男性の足(靴)を踏んでしまった。


ここで「Sorry!」と言うのが、いわゆる「マナー」かなあ、と思ってます。(・・・もちろん日本なら日本語でしょうが)


もし何も云わなかったら、「何すんだコラ…!」とかいう事態になって、車内の雰囲気も険悪になるだろうし、下手すると、喧嘩沙汰にもなってしまいそう。


そんな事態を未然に防ぐために、「マナー」というのは、「お互い、不快な思いはしたくないよね!」という感じの共通意識を基底に、「自然と生まれてくる」ものなんじゃないかなっ、と思ってます。(おフランス料理等の「マナー」はちょっと「慣習」が入っていそうな気も個人的にはしています)


こういう「マナー」とか「ルール」とかを、そうと意識せずに自然と実行(遵守・遂行)できるようになれば、そこには 幸せ快適ライフが待っていそうな気が・・・!



 ・・・思わず熱く語ってしまいました。(* ̄ー ̄*)




   
   退散。


 
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この回答へのお礼

ここまで回答を寄せていただきました皆さまに
この場をおかりして、改めて御礼申し上げます。
なお、全ての回答にも点をつけたいのですが、
それはできないので、該当なしで締め切らせて
頂きますこと、なにとぞ
ご了承くださいますようお願いいたします。

お礼日時:2003/11/11 09:51

マナーは、自分自身のためでも第三者のためでもあると思います。


自分がその場に同席している相手だったら、自分のしている行動を
どう捉えられるだろう?と考え、他の人も自分も心地よく過ごせるには
どうすればいいだろうかと、自身で気づくものだと思います。
また、礼儀でもあります。
その相手が例え恥をかいても、その場で教えてあげなければならないことも
あれば、こそっと耳打ちをして教えてあげるべきこと、自身で気づくべきこと
この3つがあると思います。

たとえば電車で、「携帯電話のご使用をおやめ下さい」とアナウンスされても、
使っている人は多く、よくてもマナーモードにしている人もいます。
実際、電源を切らなければ電波は発生しており、ペースメーカーへの影響を
与えています。これに気づく人は、本当に少ないでしょう。アナウンスも電源を
切るという指定はしていない。まして、病院ですら平気でメールをしている人
電話の着メロがなっていることも少なくはありません。
この場合、教えてあげるべきなのか、気づき手もらうのを待つべきなのか、
マナーとルールとの違い、そして何が思いやりか。
知識の違いもかいま見られる、判断の難しいところです。
結局は、自身の自覚と気づきの問題だと思いますよ。
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この回答へのお礼

車内放送をまねて携帯電話のご使用はお控えくださいませ~~
ってブツブツそばで言い続けたら、効果ありますかねぇ??
ペースメーカーへの影響を特集して、テレビ番組などで
検証を目に見えるカタチにはしないんでしょうか??

なんかかえっていろいろ疑問がわいてきました(^^;

回答ありがとうございました!

お礼日時:2001/12/07 13:01

マナーは自分のためにある、と私は思ってます。


世間一般のマナー、ビジネスのマナー、電子メールのマナー、
その他いろいろ環境に応じたマナーがありますが、
それによってお互いが気分よくやりとりできるという決まりごとですよね。

その環境に自分が初めて入っていくとしたら、どういう風に人と
関わっていいのかよくわからない。知らないうちに失礼をしてしまったら
その後、その環境で自分がしたかったことができなくなるかもしれない。
そのときに、手始めにマナーが決まっていれば、それに従うことで
従来からその環境にいる人たちに快く迎え入れてもらえるでしょう。
その上で自分が働きかけていけば、まともに相手にしてもらえる
可能性が増えると思うのです。

そういう意味で、マナーは自分が新しい環境に入るときのガイドと
感じています。そこから先の交流は、関わり方によって、もっと
複雑なものに影響されるのだろうと思います。
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この回答へのお礼

さまざまな考え方があるのですねぇ
回答ありがとうございました!

お礼日時:2001/12/07 12:54

その、フィンガーボウルの話、私も読みました。

何で読んだのかな?
あ、確か、マナーの話として、紹介されたような気がします…。

その女王さんは、きっと、その方の作法にならうことで、不快にさせないと思ったのでしょうか…
教えてあげることも、それはそれでよいと思います。
その女王さんが思った、思いやりの形が、そうなったのでしょうか…。
テーブルマナー知らずと、その来賓の方に恥をかかせてはいけない、ということなのかな。

マナーって、不快な気分を与えないためのもの…?
ちょっとわからないけど、隣に人がいても、平気なように、お互い譲歩するための
作法じゃないかなぁ、と思ったりします。
思いやりの部分は、隣に人がいることを許容できるようにすることじゃないでしょうか。
だから、どちらもつながっている、同じ場所にあるものかも、なんて思いました。
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この回答へのお礼

女王は「マナー違反をしている」のですよねぇ。。
フィンガーボールの間違った使い方を積極的にすることはで
もっと大きな観点が見えてくる???

回答ありがとうございました!

お礼日時:2001/12/07 12:56

私はですね、他者への思いやりってものすごく大切なことだと思っています。


これは人が生きていくうえで実は一番求められるルールであるべきだとも思います。
現在人間が使っているルールが他者への思いやりを排除してしまったために、ルールにもとずいているマナーが引きずり落とされて、思いやりが通用しなくなっているのだと思います。
少数派の意見だとは思いますが、かなり自信ありです。
なぜかというと、私の生存そのものが他者のためであり、日々の生活は他者のためのマナーに基づいて暮らしているからです。
特別な僻地で自給自足で暮らしているわけではありません。
地方都市で自営業を営んでいますが、営みの根幹に他者への思いやりがあるからです。
マナーとは人と人の間だけで成立するものだとは思いません。
人が接するすべてのものに対してもつべきものでしょう。
自分を生かしてくれるすべてのものに感謝し、思いやりの念をもってお返しする。
これが本来あるべき生活の姿だと思っていますし、日々実行しています。
ルールとは本来思いやりから生じるマナーに基づいて決められるべきものとも思います。
現代社会が抱える諸問題を考える時、マナーに基づかないルールによってもたらされた結果が多くあるでしょう。
私は質問にある女王の行為は「マナー」そのものだと思います。
善意のお客様を不快にさせるような「ルール」はマナーに悖る決まりごとです。
その場において、ルールなどよりも思いやりに基づいたマナーの方がどれほど大切か、ご存知の聡明な方なのでしょう。
私は「マナーのないルールなど意味がない」と確信しています。
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この回答へのお礼

>「マナーのないルールなど意味がない」
この「マナー」の部分を「思いやり」に言葉を置き換えても意味が通じる
ような、気がします。

回答ありがとうございました!

お礼日時:2001/12/07 12:53

[マナー]とはあなた自身、または私自身のためにあって、おのずと身についていなければ見え透いた[付け焼刃]という事でしょう。





それと同時に「他人(ひと)の振り見てわが身をなおせ」と言う諺(ことわざ)とセットにして考えれば、明らかだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!

お礼日時:2001/12/03 21:08

私も、yoshiki_reo さんと同じような感じですね。


「マナー」は「決まりごと」に近いものだと思っています。

なので、私の感覚では
「電車で高齢の方に席を譲る」のは「マナー」ではなく「善意or思いやり」になります。

hatopoppo さんがあげられている例でいうと、
ある国の来賓がフィンガーボールの水を飲むという「マナー違反」を
してしまったことに対し、その来賓に対する「思いやり」から
同じ「マナー違反」をした、
という感じでしょうか。
ある意味、こういった場合は食事会の後でこっそり教えてあげるのが
「マナー」のような気もします。
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この回答へのお礼

>ある意味、こういった場合は食事会の後でこっそり教えてあげるのが
>「マナー」のような気もします。

それは、「思いやり」ですよね!(^^*
それも、すごく行き届いた感じですね!

回答ありがとうございました!

お礼日時:2001/12/03 21:07

よく最低限のマナーは守りましょうって聞きますよね。


私は、マナーとは社会に参加する人々がお互いを尊重するための
単なる決まり毎であると思います。
たとえば、お箸の生活の日本人が、フィンガーボールを日常では使いませんよね。
けれど、レストラン西洋の料理を食べる時には出てきます。そこでは日本の食卓のルールは通用しません。われわれが、西洋料理のルール(決まり毎)に
あわせているんです。
上の例で言うとそれは単にお客様に恥をかかせないための
気遣いであり、マナーとは違うと思います。
やはりマナーの重要な部分は他人に対して、不快な気分を与えないとゆうのが
主旨でしょう。
思いやりは、それはその人それぞれが感じとって行動することであり。
マナーはどのように思おうと社会生活において、そう行動すべきである。ってゆう
規範であるようなきがします…。

なんかなにが言いたいか分からなくなってきました…
すみません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!決まりごと。。。なるほど。。。
いちいち、すべての決まりごとを覚えるのは大変そうなので(^^;
その目的がわかれば早いかな~と思いました(((^^;
「気遣い」と「マナー」は違うのですねぇ。

お礼日時:2001/12/03 21:06

えっと、答えになってないかも知れませんが、不快な思いを相手にさせないと言うこと=思いやりになりませんでしょうか?



規程の作法を守ることだけで周りに不快感を与えないと言うこともあるでしょうが、その女王がもしその場で「それは指をすすぐための物ですよ」と言えば、その客人が無知だと言うことを言い知らしめているようなもので、恥をかかせることになったでしょう。その恥をかかせないためにその場はそう言う行動を取ったと言うこと=思いやりでマナーだと思うので、私は女王の取った行動は、その場では良かったと思います。

今感じられているのは、形式にだけとらわれすぎてないか?とういことなのでしょうか?でもその形式を守ることを「美」とする人にしてみれば、思いやりにも匹敵するのではないかナァと。確かに形にこだわってばかりの人は多いですけどね。

私はやっぱりマナーって周りの人への思いやりという心がまずありき、だとおもいます。その上で、ある程度の形式を守り、それを思いやりにつなげる事ができるというのは、大事だナァと思います。(できるのにしないのと、まったく出来ないのは大きく違うと思うので。)
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この回答へのお礼

そうです。なんかカタチばっかりで。。本来の目的をもってすれば、おのずとどうすればいいのか、わかるような気がするんですが、カタチばっかりだと、かえって、トンチンカンな感じがして。。。早々の回答ありがとうございました!

お礼日時:2001/12/03 21:03

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