10代と話して驚いたこと

The Beatlesについての意見をお願いしす。 デビュー当時、その後(中期)、解散時の彼らの音楽スタイルはどのようにして移行していったかを詳しく知りたいと思ってます。いくつか彼らの曲を挙げて、どのような点で移行しているか知りたいです。 どうか、彼らの曲の変化に詳しく説明できる方よろしくお願いします。 

A 回答 (1件)

お答えいたします。

ビートルズのまずはデビュー当時ですが、音楽性としてはジョン・レノンが全体を統率し先陣を切り、ロックンロール色の強い楽曲をカバーし、そして作曲しておりました。チャックベリーの「ロールオーバー・ベートーベン」はカバーの代表曲でありますし、オリジナルとしては、「プリーズ・プリーズ・ミー」や「ヘルプ」、「ハードデイズ・ナイト」などが代表曲です。この頃のもうひとつの特徴としては、ジョンとポールがしっかりと共作していた、というのがあります。二人で作っていたため、後に二人がソロになった際に完全に明らかになったような、ジョンのストレート性とポールの甘美性がうまく調和されております。「キャント・バイ・ミーラブ」などもその一例でしょう。
中期は、ドラッグの影響が強く出てきて、実験的作風が多くなります。アルバム「リボルバー」「ラバーソウル」はそれがはっきり出た作品で、「ミッシェル」「アイム・オンリー・スリーピング」などはその特徴的作品です。「ノルウェーの森」「トゥモロー・ネバー・ノウズ」もそうですね。この頃ライブ活動もやめ、更なる実験の境地に、しかもいい方向で達します。それが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」ですね。世界初のトータルアルバムといわれるこの作品は、ポップス性と芸術的作品性、そして実験性が見事に現れております。特に最後の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」は圧巻ですね。
またこの頃の大きな動きとしては、主導権がジョンからポールに移ったということが上げられます。「リボルバー」にて、「エリナー・リグビー」や「ヒア・ゼア・エヴリホェア」という名曲を出したことに加え、「サージェント・・・」のコンセプト性というアイディア、そしてタイトルソングなどを作曲し、完全にリーダー性を発揮し始めます。そしてこれは最後のアルバム「アビー・ロード」まで続きます。そしてさらに、初期のような、二人で作るという作業がほぼなくなります。ハーモニーなどはやってますが、作品は一人で作る、という作風が強くなり、それは続く「ホワイト・アルバム」で完全に露呈します。ちなみにポールのリーダー性に対し、ジョンは「グラス・オニオン」という曲で皮肉を言い放ちました。そしてポールはさらに突き進み、プロデューサーのジョージ・マーティンと共に制作に意欲を現しますが、ジョンは逆に音楽から離れ始めます。そしてヨーコに走り始め、ソロを出し始めます。これは完全に実験音楽です。それをまとめようと、ポールは初期のスタイルに戻ってツアーに出ようと「ゲット・バック」というロックンロールナンバーを書きます。しかし、この企画には誰も乗ってこず、結局ボツになってしまいます。このときの音楽が後に「レット・イット・ビー」となってリリースされるわけです。実質の最後の作品、リボルバーは完全にポールの作品ですね。メドレーにするなどのアイディアは、ポールはソロになってからも多用しますし、ジョンの曲は、「カム・トゥギャザー」のようにメロディー性を重視せず、そぎ落とされた曲へと変化し、メロディー性たっぷりのポールにまるで対比させようとしたかのようです。結局はジョンがポールに対し、脱退を宣言したことで解散が決定したそうです。長文ですみません。わかってもらえましたら光栄です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。とても参考になりました。  

お礼日時:2006/04/29 13:01

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